トランプ政権のDEI政策の転換はやりすぎ?それでも「多様性疲れ」を否定できない米国

ほぼ初対面が多い10人程度の会食での自己紹介でのこと。ホストが「名前と所属と最も記憶に残る政治的瞬間を一言ずつ紹介してください」というお題をだしました。こういう場面によくあるのが、他人がちょっと驚く自分のFan Facts(面白い趣味や習慣など)を紹介するというもので、通常ちょっとウケるネタを自分の番になるまでクルクル頭を回転させて、英語の文章をなんとか組み立てることが多いのですが、このときは、考える間もなく「It’s Now, Now.(今現在)」と答えました。
多くの人がそうであるように、トランプ大統領が就任して以来、わたしも報道から目が離せない日々が続いています。朝日新聞をはじめとして報道に携わるワシントン駐在記者の方々は今まで以上に多忙を極めておられることと思います。ちゃんと睡眠は確保されておられるのだろうか、デジタル版の記事を「フォロー」している 記者たちの顔を浮かべながら勝手に心配しています。ニューヨークタイムズでは、「All of the Trump Administration’s Major Moves in the First XX Days(トランプ政権のXX日目《例えば69日目など》の主要な動きのすべて」が毎日アップデイトされていて分かりやすかったのですが、とにかくいろいろなことが起こっているのでトランプ政権の動向やこれまでの改革のすべてを 正確に把握している人は一握りではないか、と思える程です。
ほかの国ではありえないスピードで、様々な分野で改革が相次いでおり、それに伴ってわたしの周囲でも大量解雇や政府から大学側に出されていた基礎研究費や補助金が大幅に削減されたり、停止されたりしたことで、解雇や一時的なレイオフ、研究そのものが止まってしまったなど直接的なインパクトを受けている人が大勢でてきています。
日本好きなLGBTQコミュニティーの知人から「アメリカはもう嫌。どうやったら日本で仕事して住めると思う?」と聞かれました。
サイエンティストの仕事のかたわら、わたしの高校生の子供の家庭教師をしてくれている30代前半のゲイ男性。あるとき前までブラウンだった髪の半分がピンクになっていて「え、どうしたの?」と聞いたところ「トランプのDEI重視の政策廃止に絶望したから」だそう。
トランプ大統領は連邦政府のDEI(Diversity=多様性、Equity=公正性、Inclusion=包括性)プログラムを終える大統領令に署名しました。
このプログラムは、性別、人種、障害の有無などに関係なく、みんなが活躍できるようにしよう、社会的なマイノリティーの人たちがもっと機会(チャンス)が得られるよう、組織などにおける彼らの比率を上げていきましょう、というプログラムです。
トランプ政権によってアメリカのDEI環境が停滞しているのをみて、日本企業の人事担当者の中に「日本もそんなにDEIに取り組まなくてもいいのでは」と考える人がいらしたら、そのご判断はちょっと待っていただきたいと思います。というも、アメリカ社会や企業・学校などのDEIの取り組みはレベルやスケールの点で、日本とは規模が異なるためです。
「多種多様な人材を活用することで、企業によいシナジーと結果をもたらす」と、多くの日本企業がすでに推進努力を続けていることでしょう。女性役員を増やす努力をしている企業も多数でてきました。
しかし、元タレントの中居正広さんと、自社のアナウンサーだった女性とのトラブルをめぐる対応が批判されてきたフジテレビのケースは、DEIに対する意識や実際の取り組みにおいて、日本はアメリカと比べて大幅に遅れていると痛感させるものでした。
例えば1月27日にあった10時間超の記者会見で出た一つの質問がそれを如実に物語っていました。その質問とは、大株主の投資ファンド、ダルトン・インベストメントがフジ側に対し、高齢者男性ばかりが役員を構成していることや、在任期間が異様に長い役員がいることを問題視していることについて問いただす内容でした。これに対し、フジ側の経営陣が「マネージメントの適性を阻害する要因ではない」と言い切っていたのには、私も「関係していないわけではないでしょ!」と思わずツッコミを入れてしましました。
フジテレビというマスメディアは、トレンドを作り、時代の変遷とともにコンテンツを提供し、最も「意識高い系」の集団に私には見えていました。しかし、その役員たちの感覚が今の時代から大きくずれているのに驚きました。
同時に、フジテレビの件は氷山の一角で、同じような「感覚のズレ」を抱えている日本企業は多いのかもしれない、と軽いショックを受けました。
一方で、アメリカでは、トランプ政権が、職場でも学校でも多様性への配慮は「too much(行き過ぎ)」として、能力・実力主義に戻す方向に舵を切っています。例えば、役員に占めるマイノリティー(LGBTQや女性ら)の比率を30%以上に引き上げる目標を設定していた企業も、取り組みを撤廃したり、小さい規模に変更したりするなどの変化がバイデン政権のころからすでに起きていました。
私自身はリベラルな社会的政策を支持する西海岸地域の典型的な居住者なので、DEIの促進や啓蒙活動は継続すべきと考えます。しかし、そんな私ですら正直、「多様性疲れ」を感じることはあります。
例えば、性自認が男女いずれにもはっきり当てはまらない「ノンバイナリー」の人が会議のメンバ―に入っていたときのこと。その人は自分に使って欲しい代名詞を、「He」か「She」ではなく、ノンバイナリーの「They」と呼ばれることを希望していました。
その人は見た目は女性なので、うっかり「彼女が言ったみたいに….(As she sad…)」と言ってしまったら、「they!」と即座に数名からギャンギャン怒られました。しばらくしてまた「she」と間違ってしまったのですが、再び怒られることに。もうその日は発言が控え気味となりました。
メールを書くとき際に「He」か「She」以外の代名詞に言及する場合、読み直して間違いを訂正するチャンスもありますが、会話の中やスラックなどの即時性のあるコミュニケーションの際には間違えることもあります。わたしもまだまだです。その会議での代名詞エラーは、100%わたしの落ち度で不注意はあるものの、正直「もう代名詞めんどくさい」という思いがよぎったのは否めません。
トランプ政権は「生物学的な男女」のみを性別として、性自認が異なるトランスジェンダーやノンバイナリーの権利を否定しています。政府のメールアドレスで使用していい代名詞は「He」か「She」のみ。職員が希望するそれ以外の代名詞の使用を禁止する措置を講じています。
実はシリコンバレーにある一部の企業からも、バイデン前政権の時期から「差別や偏見をなくすのは分かるけど、DEI研修多すぎ」という声が上がっていました。
また私の所属している「北カリフォルニア・ジャパンソサエティ」では数多くのイベントを実施していますが、イベントの登壇者を数名選定する際、必ず女性が入らないと大変なことになります。ですので、一人は必ず入ってもらうようにするのですが、特にゲームやベンチャー・キャピタル(VC)の業界では、そもそも女性の割合が少ないので、人選に苦労します。
メインスピーカーの4人は全員男性ですが、パネルディスカッションのモデレーターに女性を起用しているにもかかわらず、「スピーカーは全員男性。この団体は性差別主義者」といった批判のメールが数通、必ずきます。そんなときは正直、「だから一人(無理やりでも)女性いれているのに、多様性めんどくさい」と思うこともあります。その方々にすると、モデレーターではなくスピーカーとして女性が入らないと納得いかない、ということでしょう。
一方で、日本で開かれるイベントの案内をみると、大手企業やメディア、大学の主催であっても、登壇者や論評者が全員男性、というケースも、以前より減ってきているとはいえ、まだ目にすることはあります。
「人種の公平を推進していきましょう、トランスジェンダーなどの性の多様性をみんなで受け入れていきましょう、女性の幹部登用を増やしていきましょう」という政策を民主党政権で推し進めたがゆえに、人々の意識が向上したのは事実です。同時に、一周回って「Too much(行き過ぎ)、実力主義に戻すべき」というフラストレーションを訴える声も拡大していきました。
アメリカは広いので、世代や地域によっては多様性の理解が低いところもあります。カリフォルニアも広いので一概には言えません。しかしながら、少なくともサンフランシスコ・シリコンバレーの多くは社会的価値観がリベラル寄りなので、たとえ、経済政策では内心、トランプ大統領に寄り添っている人でも、根本的な価値観と人権に対するリスペクトは継続すると個人的には楽観視しています。
従来の経緯や枠組みを度外視したやり方への反発はもちろんあります。世界を震撼させた関税問題をめぐっては、全米50州でトランプ政権に対する抗議デモが起きました。政権発足以来、最大規模でした。参加者らは「Hands Off(手を引け)」などと書かれたプラカードを掲げました。
今回こちらで取り上げたのは、変化するDEI政策ですが、それ以外にも連邦政府の大量解雇、トランプ関税の嵐、アメリカはカオス中にあります。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」。やりすぎはやり足りないことと同じように良くないという意味ですが、アメリカのDEI政策もまたしかりです。アメリカは政権が変わるたびに、振り子のように政策のあり方も揺れ動きます。まるで4年や8年ごとに壮大な社会実験をしているかのようです。大胆なABテスト(AパターンとBパターンを比較して効果を検証するテスト手法)をしているよう、と言った人もいます。
今回の振り子の揺れは相当に大きく、やり方やスピード感はある意味シリコンバレー流。ガチガチにゴールを決定し、そこに向けてゆっくり足場を固めて進めていく、途中で「あ、違ってる」とわかっても一旦決めたゴールなので変更なく進めていくやり方ではなく、アジャイルに(俊敏に)、とにかくやってみる、ダメそうだったら違う方向に素早く切り替える。そういった、かつてない壮大な社会実験の真っ最中のカオスのアメリカで生きている気がしています。