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バイクタクシー「ボダボダ」の仕事が人生を変えた たくましく生きるケニアの女性たち

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
子どもたちや夫を学校へ送るため、バイクタクシーに乗ったモニカ・アティエノ
ケニア・ウクワラで子どもたちや夫を学校へ送るため、バイクタクシーに乗ったモニカ・アティエノ=2024年7月11日、Tara Todras-Whitehill/©The New York Times

ケニア西部のウクワラに住むモニカ・アティエノ(29)は、3人の子に十分な食事を与えられなかった時、新しい就労プログラムを利用して仕事に応募した。それまで長い間、男性だけが雇用されていたバイクタクシーの運転手に、女性を雇うというものだった。

当初、アティエノはバイクタクシーの運転手をしている夫には自分も運転手になるという考えを隠していた。夫はこれに気づくと激怒して、離婚すると脅した。しかし、アティエノは夫にこう言った。「私はやるよ。私は自分が何を成し遂げようとしているのかわかっているのだから」

2024年、数百時間にわたる訓練を受けてから、アティエノは「ボダガール」と呼ばれるバイクタクシーの運転手になった。運転手を支援する「ボダボダ安全協会」によると、ケニアには推定で約250万人のバイクタクシー運転手がいるが、そのうち女性は約千人だけだという。

自宅前に立つモニカ・アティエノと夫のスティーブン・オチエング
ケニア・ウクワラの自宅前に立つモニカ・アティエノ(左)と夫のスティーブン・オチエング。夫妻はともにバイクタクシー運転手になった=2024年7月10日、Tara Todras-Whitehill/©The New York Times

成功への道筋は障害だらけだ。アティエノと同様に運転手に応募した女性の多くは、車どころか、バイクを運転したこともなかった。乗客や同僚の運転手からの嫌がらせにさらされ、夫からは不満をぶつけられた。

女性運転手は訓練で、必須の技能として護身術や整備方法などを学んだ。そして今、彼女たちの多くが語ることは、収入を得て独り立ちし、自らに新たな強みを見いだしたということだ。なかには家族全体を養い始めた人もいる。こうした成果は、ケニアの女性たちがかつて不可能だと思っていたことだ。

「ボダガールズの一員になったことで、私の人生はまったく変わった。子どもたちがこざっぱりとした服を着て、毎日食事ができるのだから」と、最も早い時期に女性運転手になったリリアン・レヘマ(33)は胸中を打ち明けた。

この就労プログラムは、地域医療を担うマティバブ病院を20年前に設立したダン・オゴラが、病院の調理、清掃、受付などの就職口を求めて女性たちが次々にやってくることに気づいたことから動き出した。

この病院は人口約100万人のシアヤ郡で最も多くの人が働く職場の一つだった。その住民の大半は、平地や起伏に富む丘陵の間を縫うように曲がりくねる赤土の道でつながった村や小さな町に住んでいる。

トウモロコシ、キャッサバ、サツマイモの耕作で生計を立てる人が多く、アフリカ大陸最大の湖・ビクトリア湖で漁業を営む人もいる。仕事の求人は数少なく、とくに女性の働き口は乏しい。

職を求めに来る女性が多いこととともに、それと表裏をなす問題にもオゴラは気づいた。この女性たちがひとたび患者になると、診察のために病院へ行く交通費をまかなえなかったのだ。妊婦を含む多くの女性が病院まで2時間に及ぶ道のりを歩くしかなかった。病院への途上で出産してしまう人もいた。

病院にも資金を提供する米国の慈善団体「ティバ財団(Tiba Foundation)」の支援を受けて、オゴラは運転教習所を借り上げ、女性バイクタクシー運転手を訓練した。2022年4月、近隣の村から女性10人を採用し、ボダガールズが誕生した。

「彼女たちの仕事を創出することで貧困をなくす」とオゴラは語った。「しかも彼女たちが患者を連れてくることで、女性たちが医療サービスを受けられるようになる」

夫が亡くなったあと、4人の子を抱えたレヘマは小さな農地で栽培するケール(訳注=キャベツの一種)の収入だけでは暮らしていけなくなった。自宅を失う瀬戸際に至り、レヘマは物乞いで金銭をもらう状態に追い込まれた。数年間の苦難を経て、彼女は調理の仕事を求めて訪れたマティバブ病院で、思いがけない仕事の機会に恵まれた。

ボダボダと呼ばれるバイクタクシーを運転している女性がいることを、それまで彼女は聞いたことがなかった。

ボダボダは1960年代、ケニアとウガンダの国境付近で、運転手たちが「ボーダー(国境)からボーダーまで」と声をかけて顧客を勧誘したことが起源だと研究者たちは説明する。最初は自転車のタクシーだったが、インドから輸入された格安のバイクを利用する運転手が徐々に増え、やがて定着した。ボダボダはケニアの主要な経済活動の一つになった。

「(バイクに)どうやって乗るかも知らなかったけど、乗り方を習うことができた」とレヘマは振り返る。

時間と忍耐をかけて、路面の予測が難しい近隣の未舗装路を走り抜ける技術を習得した。曲がる直前にブレーキを踏み、車体を傾けてコーナーに突っ込み、安定を保ちながら曲がった。不便な場所でエンジンオイルを交換する方法も身につけた。

2年前、彼女は居住地域で最初の女性運転手の一人になった。今、出産間近の妊婦たちを乗せて病院に急行し、健康診断に向かう母と乳児を運ぶ。病院に到着すると、誰にでも温かい笑顔であいさつし、赤ちゃんにキスをして、地域で敬愛される政治家のように握手を交わす。

子連れの乗客をクリニックに送るため、バイクタクシーの準備をするリリアン・レヘマ
ケニア・ウクワラで、子連れの乗客(右)をクリニックに送るため、バイクタクシーの準備をするリリアン・レヘマ=2024年7月9日、Tara Todras-Whitehill/©The New York Times

「ボダガールズ」計画はたちまち成功し、人々に希望を与えた。

ルーシー・オデレ(38)は毎朝、自宅の前を高速で走り抜けるボダガールズの堂々とした姿に驚いた。幼いころに小児まひを患って、右足を引きずるようになり、長時間立ち続けることが困難だった。このため、仕事を見つけることはさらに難しかった。

親元で暮らすシングルマザーのオデレは、自立を志してボダガールズの就労プログラムに申し込み、2023年5月、他の女性13人とともにボダガールズ第2期の一員になった。

最初は足を振り上げてバイクの車体にまたがることが難しく、苦難を味わったという。「何度も泣きました。自分は立ちどまっているのに、他の人たちが上達していることを目の当たりにするのだから」

あきらめずに続けると、彼女の問題を解決できる方法が出てきた。彼女がもっと簡単に乗車できる小型のスクーターだ。夜にはスクーターを狭い自宅へ慎重に押し込んで、信頼できる友人のように自分のソファの隣に並べる。

「病院まで長い距離を歩くことがどんなことなのかを私は知っている。私が苦しんだように他の人が苦しむことのないようにしたい」

就労プログラムはこれまで51人の女性を訓練してきた。早朝の光のなか、色とりどりのバイクに乗る彼女たちが現れる。シートの色はプログラムの訓練生であることを示す明るいピンクでそろっている。卒業生には革製で紫色のシートが与えられ、そこにはボダガールズのロゴも手縫いされている。

2024年夏、バイオレット・オニアンゴが陣痛を感じた時、家族は彼女を病院へ運ぶ費用を払えず、赤ちゃんの父も協力しなかった。そこで、それまで何度か健診に連れて行ってくれたボダガールズの一人に電話をかけると、無料で病院まで連れて行ってくれて、女の子を無事に出産することができた。

その後、熱心なサッカー選手であるオニアンゴは娘についてこう話した。「学校に行き、教育を受け、私のようなサッカー選手になってほしい」

一方、男性のボダボダ運転手の多くは、女性に仕事を奪われていると文句を言う。

「ボダガールズが始まる前、私の仕事は順調だったが、状況が変わった。彼女たちのせいで仕事が減った」と、シアヤ郡で長くボダボダの運転手を続けているフレデリック・オウィーノは言った。

女性運転手の参入を支援しているケニア・ボダボダ安全協会のケビン・ムバディ会長は「女性がボダボダを運転することをおかしいと思う乗客がまだ少なくない」と指摘。女性運転手が「男性の乗客によるセクハラ」を受けることがしばしば起きていると言い添えた。

ボダガールズは自衛のために護身術を学ぶ。訓練コーチたちは彼女たちにこう教えている。乗客が不適切な行為に及んだ場合、まずバイクを止めて、規則をきっぱりと伝える。さらに自衛の構えをとるため、両腕を伸ばし、両方の手のひらを外側に向け、脅されたら足で蹴るための態勢を整える。

ボダガールズは、近くの学校に行ってこうした技術を女子生徒たちにも伝えた。

護身術の訓練を受ける女性バイクタクシー運転手のボダガールズ
ケニアのリフンガで護身術の訓練を受ける女性バイクタクシー運転手のボダガールズ=2024年7月8日、Tara Todras-Whitehill/©The New York Times

ケニアの女性をめぐる労働環境はゆっくり変わっている。より多くの女性が、運転手だけでなく技師や整備工の職を得るようになったことで、彼女たちに対する社会全般の考え方も変化し続けている。

当初アティエノの就職に疑念を抱いていた夫は、就労プログラムに参加した直後の妻に対して別れると言い張った。しかし、1カ月後には自分の収入の2倍を妻がすでに稼いでいると知り、考えを変えた。アティエノはボダガールの収入で1匹の牛と数匹のブタを購入し、せっけん製造や洋服仕立てなどの事業にも乗り出した。

2024年7月のある朝、アティエノは自分の紫色のバイクの後ろに2人の子どもを乗せて学校へ連れて行った。夫もまたバイクにひょいと腰掛け、教師と保護者の会合に向かった。学校で子どもと夫を降ろした後、アティエノは運転を続けて、仕事に向かった。(抄訳、敬称略)

(Tara Todras-Whitehill and Sarah Hurtes)©2025 The New York Times

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