笑いの背後にアメリカ公教育のリアルな課題
アボット小学校では、教師に欠員が出ても代用教員が手配できず、2年生と3年生を同じ教室で教えることすらある。しかし劇中にはみすぼらしさや惨めさは一切なく、家族で安心して楽しめる明るいコメディー・ドラマとして人気を博し、アメリカのテレビ界の最優秀作を選ぶエミー賞も多数受賞している。
最大の魅力は、異なる個性を持つ教職員7人がそれぞれに少しずつ”脱線”しているにもかかわらず、見事なチームワークを見せ、毎回、大笑いさせてくれることだ。しかし笑いの背後にしのばせてある、アメリカの公教育システムが持つ問題点もひそかな見どころと言える。
2021年に始まり現在、第4シーズン放映中の『アボットエレメンタリー』は、アメリカ北東部ペンシルベニア州の大都市フィラデルフィアの黒人地区にあるアボット小学校が舞台だ。
主役は、若い黒人女性教師のジャニーン(キンタ・ブランソン)。第1シーズン開始時には着任2年目という設定だった。良い教師になりたいと常に奮起し、それが空回りして失敗も多いジャニーンだが、愛すべきキャラクターだ。
第1シーズンの冒頭で、ジャニーンは担任を受け持つ子どもたちに自分でオバマ大統領の写真を切り貼りした本を見せる。学校の予算不足によって、近年の大統領が掲載された本がないのだ。
次の瞬間、ジャニーンはカメラ目線となり、視聴者に向かって、学校の近くにあるアメフト・スタジアムの改修工事風景を見せる。『アボット エレメンタリー』はドキュメンタリーをまねた「モックメンタリー」と呼ばれるスタイルの番組なのだ。
ジャニーンは、フィラデルフィア市はスタジアム改修に巨額の費用をかけながら、アボット小学校に新しい大統領の本を買う予算さえくれないのだと訴える。不器用にテープで貼られたオバマ大統領の写真で視聴者をクスリと笑わせながら、公立学校が抱える問題をサラリと提示して見せたのだ。
以後のエピソードにも、鉛筆、ノート、ハサミ、のりといった基本的な教材が足りず、教師たちが寄付依頼のために動画を作ってSNSに投稿する、遠足の資金作りのために生徒たちが街頭でお菓子を売るといったシーンがある。どちらもコメディーとしておもしろおかしく誇張されているが、足りない教材を教師がポケットマネーで買うことや、PTAが課外活動の資金を捻出するためにカップケーキやクッキーを焼いて売る”ベイク・セール”など、全米のあちこちの学校で実際に行われていることだ。
PTAの資金力の格差が、教育の質の格差に
アメリカで「公立学校」という際、幼稚園から高校を指す。キンダー(ガーテン)と呼ばれる5歳児幼稚園は小学校に付属していることが多く、義務教育ではないが小学校と同じ校舎にある。その公立学校の予算は、三つの財源(地方・州・連邦)の組み合わせによる。配分は州によって異なるが、平均するとおおよそ、地方(市や郡など)45%、州45%、連邦(政府)10%となっている。
ただし同じ州の中でも学校がどの地区にあるかで地方財源からの額が大きく変わる。公立学校予算はその地区の固定資産税によって賄われるからだ。つまり高所得地区と低所得地区では納められる固定資産税がまったく異なり、したがって貧しい黒人地区にあるアボット小学校の予算は非常に少ないことになる。州によっては貧しい地区に予算を加算する仕組みもあるが、それでも学校間の貧富の差は縮まらない。
その極端な例がニューヨーク市だ。同市は多様性で知られるが、同時に人種民族や所得による地域ごとのすみ分けがもっともはっきりした都市の一つでもある。市内のマンハッタンやブルックリンの一部には非常に裕福な層が暮らしており、子どもを私立校に通わせる家庭も多いなか、予算・教材・教師が充実して平均学力の高い地元の公立校に通わせる家庭も多い。そうした学区を選び、子どもの就学前に引っ越してくるケースも少なからずある。
こうした公立校の質の高さを支えているのは、PTAだ。
全米の高所得地区には年間200万ドル(約3億1000万円)を生み出すPTAが存在する。ニューヨーク市の場合、PTAが主に寄付によって集めた資金は、主要科目の教師の人件費には使えないと定められているが、補助教員、美術や音楽などの教員には使える。また、放課後プログラムも人件費がかさむが、これにも利用できる。こうした学校では教室にコンピューターやタブレットを筆頭に各種の教材が十二分に備えられているのも言わずもがなだ。
高所得地区では学校の新年度に、PTAから各家庭に1000ドル(約15万7000円)を優に超える寄付依頼を出すところもあるが、多くの家庭はそれが払える所得層だ。
資金作りのためにアボット小学校では手作りのブラウニーが売られるが、富裕層の住む地区ではPTAが生徒の保護者やドナー(寄付者)から集めた高額な商品、例えばブロードウェー・ミュージカルのチケットなどを入札形式のオークションにかける。
オークションの目的はPTA(=学校資金)への寄付であることから、出品された商品は市場価格以上の値段で落札される。こうしたオークションが可能なのも、生徒の保護者がブロードウェー関連の職に就いているか、PTAのメンバーがそうした人々とコネクションを持っているからこそであり、低所得地区では到底不可能だ。
主演・脚本・制作総指揮を務めるブランソンの才能
ジャニーンも、他の先生たちも、こうした事情を知っている。ゆえにアボット小学校が急に潤沢な予算を得られるとは思っておらず、ベテラン教師は市の教育委員会メンバーが視察に来てもニコリともしない。どうせ予算はもらえないのだ。だからこそ、この先生も自分にできる限りの方法でお金を集めようとする。しかし、生徒たちにショッピングモールでお菓子を売らせるのは教育者としての倫理に反し、先生は葛藤する。そのジレンマさえうまく笑いにつなげるのが、『アボット エレメンタリー』の人気の理由だ。
なにより中心となる教職員7人の取り合わせが絶妙で、視聴者を大いに笑わせてくれる。
ジャニーンが仲の良い同期の教師は、白人男性のジェイコブ(クリス・パーフェッティ)だ。ジェイコブは育ちの良さをうかがわせる、おっとりした青年だが、黒人教師に向かってアフリカ滞在時の自慢をするなど、自分もブラック・カルチャーに詳しいことを披露する悪癖がある。
ジャニーンが母親のように慕うのは、ベテラン教師のバーバラ(シェリル・リー・ラルフ)。真珠のネックレスがトレードマークの、教会通いを欠かさない黒人女性だ。そのバーバラの親友は、同僚のメリッサ(リサ・アン・ウォルター)。イタリア系で赤い髪が自慢。大人相手には口が悪いが、子どもへの愛情は人一倍だ。
浮足立つ若い教師たちに常に一家言ある用務員のミスター・ジョンソン(ウィリアム・スタンフォード・デイヴィス)も重要なキャラクターだ。
校長のエヴァ(ジャネール・ジェイムス)はとにかく派手で大声、校長の立場を満喫しているが、時に生徒より自分を優先する変わり者。そんなエヴァも教師不足には勝てずに予算のやりくりをし、代用教員のグレゴリー(タイラー・ジェームス・ウィリアムス)がやってくる。四角四面な青年だが、着任初日にジャニーンとトイレで鉢合わせ……。
物語は学校の予算にまつわるものだけでなく、「先生の日」に生徒から先生に贈られるプレゼント、体育館でのイベントにはDJが必須など、アメリカの学校カルチャーを垣間見られるものも多い。
主要な教師たちが担任となっているのがキンダーから高学年と幅があり、教室でのエピソードもお漏らしから生徒によるポッドキャスト・クラブまでいろいろ。また、教師と親の価値観の違いによる衝突、教師同士のプライベートなつながりも見どころだ。
『アボット エレメンタリー』で主役のジャニーンを演じるキンタ・ブランソンは、このドラマの制作者でもある。身長150センチと小柄で、それを劇中で自らジョークにすることもあるが、実は非常に秀でたプロデューサー兼脚本家だ。
アメリカのコメディー・ドラマ(シットコム)には、これまでも黒人視聴者向けにキャスト全員が黒人のものが数多く作られてきた。しかし『アボット エレメンタリー』は黒人地区にある小学校を舞台に、メインキャストのほとんどが黒人でありながら、人種を問わずに幅広い視聴者からの人気を得て、高視聴率を上げている。
番組には、いわゆるブラック・カルチャーも随所に盛り込まれているが、誰にでも楽しめるよう、うまくアレンジされている。また、主役のジャニーン、ジャニーンに思いを寄せるグレゴリーのどちらも、黒人女性に非常に人気のあるバッグのブランド「Telfar(テルファー)」を知らなかったり、長袖のポロシャツの裾を常にズボンにタックインしていたりするなど、若い黒人のステレオタイプを意図的に外しているのも、巧みと言える。
大きな注目を浴びた第1シーズンを受け、ブランソンは2022年の第74回プライムタイム・エミー賞にて、コメディー・シリーズ作品賞、同脚本賞、同主演女優賞にノミネートされ、脚本賞を受賞。黒人女性としてコメディー・シリーズ3部門のノミネートは史上初のことだった。この年、タイム誌「もっとも影響力のある100人」にも選ばれている。
翌2023年、第75回プライムタイム・エミー賞では黒人女性として史上初のコメディー・シリーズ主演女優賞を受賞。この年、ドラマの舞台であるペンシルベニア州にある名門ペンシルべニア大学の卒業式で演説も行っている。ブランソン自身、同州フィラデルフィアの出身で、母親は幼稚園の教師だったことから『アボット エレメンタリー』の着想を得たと語っている。
現在、『アボット エレメンタリー』は第4シーズンが好調にオンエア(配信)中だが、ブランソンは2025年公開のミュージカルー・コメディ映画『Golden』にも出演している。
こちらはケルヴィン・ハリソンJr.、ハル・ベリー、ブライアン・タイリー・ヘンリー、ジャネール・モナイなどそうそうたる顔ぶれとの共演となっている。ブランソンは『アボット エレメンタリー』でその歌唱力をチラリと披露しており、歌声を聴くのが楽しみだ。俳優、コメディアン、プロデューサー、脚本家とマルチな才能の持ち主であるキンタ・ブランソンは、今後も大いに注目してしかるべき存在と言える。(敬称略)