東洋文庫は日本最古、アジア最大の東洋学専門の図書館・研究所だ。1924年、三菱第三代社長の岩崎久彌(ひさや)氏(1865-1955)が創設し、今年100周年を迎えた。
東洋学とは日本を含めたアジアを研究対象とする歴史学などの学問。東洋文庫は国宝5点と重要文化財7点を含む様々な言語による100万冊以上の資料を所蔵している。マルコ・ポーロの「東方見聞録」は約80種類を保管しており、刊本におけるコレクションは世界最大である。
国立国会図書館の支部だった期間を経て、現在は公益財団法人「東洋文庫」が運営し、いまも国内外約300人の研究員が資料の研究を続けている。
併設されているミュージアムでは企画展「知の大冒険─東洋文庫 名品の煌めき─」が開催中(12月26日まで)。冒険小説「ロビンソン・クルーソー漂流記」(1719年、ロンドン刊)、14世紀のモロッコ人旅行家イブン・バットゥータの30年にわたるイスラム地域の旅の記録「大旅行記」(1877年、パリ刊)、ロゼッタ・ストーンの発見によって解読された古代エジプト文字の辞書「ヒエログリフ辞典」(1920年、ロンドン刊)など、貴重な蔵書約100点が展示されている。代表的なコレクションを以下で紹介する。
「日本一美しい本棚」ともいわれる「モリソン書庫」
高さ10メートル、三方の壁面を埋める巨大な「モリソン書庫」は、日本一美しい本棚ともいわれている。
モリソンのコレクションは、北京在住の医者、ロンドンタイムズ記者、中華民国政治顧問だったオーストラリア出身のジョージ・アーネスト・モリソン(1862-1920)が中国、清朝が戦乱へ突入していく19世紀末から20世紀初頭の約20年をかけて収集したアジア関連の書籍や地図、写真、絵画などで、1900年に勃発した義和団事変の際には北京の英国公使館に避難させたという。
1917年、東洋文庫の創始者である岩崎氏は約3万5千ポンドで2万4千点のコレクションを一括購入した。しかし、北京から日本に到着した直後、大型台風による河川氾濫の水害被害を受け、洗浄、乾燥、装丁の取り換えなどの修復作業を行わなければならなかった。
また、第2次世界大戦中には、東京の空襲を逃れるため宮城県へ疎開し、地域の人たちが個人宅の蔵などで保管した。1949年、5285箱を積んだ35台のトラックによる輸送で東京への帰還を果たすなど、この100年間で幾多の危機や困難を乗り越えてきた。企画展の閉幕後はリニューアル工事のため2026年冬まで閉館する。
東方見聞録(マルコ・ポーロ、ルスティケッロ著、1664年、アムステルダム刊)
黄金や宝石を豊富に産出する島「ジパング」として日本の名が、初めてヨーロッパに知られるきっかけとなったのがマルコ・ポーロの「東方見聞録」だ。
1271年、父と叔父とともに25年の月日をかけてヨーロッパから中東やアジアを旅し、ポーロが見聞きしたこと、体験したことを文筆家ルスティケッロが筆記してまとめたとされている。当初は写本で広まり、15世紀後半にヨーロッパで活版印刷技術が発明された後、様々な言語で印刷本が出版されるようになった。
東洋文庫は世界に3冊しか現存していない1485年刊のラテン語訳本も所蔵している。同じ版の「東方見聞録」は15世紀の探検家クリストファー・コロンブスが読んだとされており、大航海時代の幕開けに大きな影響を与えたようだ。企画展では、紙の状態を維持するため、随時、入れ替えを行っており、現在は1626年、ヴェネツィア刊の「東方見聞録」が展示されている。
ジャワ誌(トーマス・ラッフルズ、1817年、ロンドン刊)
著者のトーマス・ラッフルズ(1781-1826)は、貿易都市シンガポールの設計者として知られている。英国がシンガポールを統治する以前、ラッフルズはイギリス東インド会社の職員としてインドネシアのジャワ島に派遣され、31歳のとき、島を統治する準知事に任命された。
帰国直後の1817年に出版されたこの本は、ジャワの統治に対する改革やボロブドゥール遺跡発掘の自身の経験をもとに記されており、ジャワ島の気候、歴史、文化に関する貴重な文献として高く評価され、ラッフルズはナイトの称号を授与された。
ロビンソン・クルーソー漂流記(ダニエル・デフォー、1719年、ロンドン刊)
英国のジャーナリスト・作家、ダニエル・デフォー(1660-1731)が1719年に発表したサバイバル小説の金字塔だ。
本の表題には英語で「Written by himself」(彼自身による著作)と書かれているが、ロビンソン・クルーソーは架空の人物。無人島に漂着した主人公の青年船乗り、ロビンソン・クルーソーが幾多の困難を乗り越えて生き抜き、祖国に帰還するまでの28年を描いている。英国における小説の先駆けで、1作目が好評を博したため、3作まで刊行された。
大地図帳(ウィレム・ブラウ、ヨアン・ブラウ編、1648-65、アムステルダム刊)
全9巻からなる地図帳には世界各地を網羅した約600の地図が収録されている。東洋文庫が所蔵しているのはオランダ語版。スペイン・ポルトガルによって始まった大航海時代は17世紀にオランダに主導権が移り、中心都市アムステルダムには商人や探検家を通じて世界の地理に関する情報が集まり、世界地図の更新と出版が繰り返された。
アムステルダムを拠点とするウィレム・ブラウとヨアン・ブラウの親子は、天文学と科学を学んだオランダ東インド会社の公認地図製作者で、親子の地図は最新の知識を反映し、実用性に富み、ヨーロッパ人の地理認識に大きな影響を与えた。複数の言語に翻訳されてヨーロッパ各地の王侯貴族にも献上された。
ヒエログリフ辞典(ウォーリス・バッジ、1920年、ロンドン刊)
古代エジプト、アッシリアの研究者であり、大英博物館の責任者として古代エジプトコレクションの形成に深くかかわった英国の考古学者バッジの著作。ヒエログリフは古代エジプトで使われていた神聖文字で、神殿や墓、石碑などに刻まれている。
1799年、ナポレオンのエジプト遠征の際に、神聖文字、神聖文字を単純化して一般的に広く使われていた民用文字、ギリシャ文字の3種の文字が記されていたロゼッタ・ストーンが発見され、1822年にフランス人学者、シャンポリオンが解読に成功した。
クルアーン(コーラン、1371-72年写、シリア地方)
イスラム教の聖典。結婚や商売、作法、刑罰など、信徒の生活や行動について多岐にわたって規定している。東洋文庫所蔵のこのコーランは金泥による華やかな色が特徴だ。