22年間行方不明だったメモ帳2冊が、無事に戻ってきた。チャールズ・ダーウィン(訳注=1809~82年)が後に進化論となる構想を温めた記録が書き込まれており、所蔵していた英ケンブリッジ大学図書館は2022年4月、何者かによって返還されたと発表した。
2冊は明るいピンク色のギフトバッグに入っていた。中からは大喜びするに違いない図書館の司書にあてて、「ハッピー・イースター」(訳注=22年のキリスト教の復活祭は4月17日)と印字されたメモが出てきた。
「ハッピー」という言葉では表せないほどの反応を示したのは、司書のジェシカ・ガードナーだった。大学図書館として20年に紛失の事実を公表し、メモ帳が戻ってくるよう国際社会に訴える戦略に打って出た担当者でもある。
この2冊には、1837年にダーウィンが記した走り書きのメモやスケッチがびっしりと詰まっている(訳注=ダーウィンは1831年から36年にかけて英海軍の測量船で世界を一周し、ガラパゴス諸島などの自然をつぶさに観察した)。中には、(訳注=生物の巨大な連鎖をスケッチした)あの有名な「生命の樹」もある。
こうした構想は、自然選択説などの進化を説明する理論として結実した(訳注=1859年に「種の起源」を発表)。そして、今日でも畏敬(いけい)の念とともに研究の対象とされている。
ガードナーが、自分の事務室の外に置かれたピンクのバッグに気づいたのは22年3月9日だった。図書館内だが、防犯カメラが設置されていない一画だった。
同僚たちとともにバッグを開けると、紛失当時にメモ帳が入っていた青い収納箱があった。その中の茶封筒から、食品などを包むラップにきっちりくるまれた状態で2冊は見つかった。「ハッピー・イースター」とタイプされたメモもあった。
「いまだに震えが止まらない感じ」――1カ月近くたって2冊が戻ってきたことを大学側が発表した日に、ガードナーは取材を受けてこう答えた。「どんなにうれしかったか、表現するのは難しい」
発見時に警察に相談すると、ラップをすぐにはずさないよう指示された。(訳注=鑑識作業などがあるためで)盗難事件として捜査は今も続いている。
数日後、大学の保存部門の専門家が細心の注意を払ってラップをといた。傷みはないか。欠けているページは。他部門の専門家を加えたチームが、丹念に全ページをチェックした。
その中にジム・セコードもいた。ダーウィンがやりとりした書簡の体系的な整理を進めているケンブリッジ大学の「ダーウィン・コレスポンデンス・プロジェクト」の責任者。この2冊がなくなる前の1990年代には、実物を取り扱ったこともある。
そのセコードは一目見て「本物」と思った。保存状態もよく、失われたページがないことも直感したという。
見つかったメモ帳は偽造品ではないかという心配は、最初からしなかった。使われている何種類かのインクや紙質の古さ、革の表紙とメモ本体との留め金、いや保管されていた収納箱だけでも、偽造するのは不可能に近かった。
「本物であることには、疑いの余地がなかった」
もともとこの2冊は、図書館の最も貴重な所蔵品を保管する特別書庫に収納されていた。2000年9月に写真を撮るために取り出されたが、1カ月後の定期点検で収納箱ごとなくなっていることが分かった。
どこかに紛れ込んだのではないか。何年もかけて捜したが、見つからなかった。図書館側は、盗難文化遺産の専門家も交えて検討し、盗まれた可能性が最も高いとの結論に達した。
それが戻ってきた。ダーウィンの書簡を集めた貴重なコレクションが再びそろうことを願っていた学者たちにとっては、気持ちに一区切りがついた。
でも、多くの謎を解くには、それで十分とはいえない。どのようにしてなくなったのか。誰が持ち去ったのか。22年もの間どうなっていたのか。それが、なぜ、今、戻ってきたのか……。
地元のケンブリッジシャー警察は、「捜査は継続中」との声明を出した。同時に、「値の付けようもないほど貴重なこのメモ帳が、本来あるべきところに戻ってきた喜びを大学側と分かち合いたい」とのコメントを加えた。
何が返還の動機になったのかは知るよしもない、とガードナーは思う。それでも、(訳注=ガードナーの主導で)2年前に紛失の公表に踏み切り、本紙も含めて世界的に報じられたことが、良心の痛みを誘う一因になったのではないかと信じることにしている。
いつこの2冊が返ってきても、うれしかったことだろう。でも今回は、とくにタイミングがよかったとガードナーは喜んでいる。7月から始まる展示「ダーウィンとの対話」に間に合うからだ(ニューヨーク公共図書館には23年春に巡回してくる)。
「ダーウィンは、世界中の人々にとって大きな存在になっている」とガードナー。ケンブリッジ大学には、本人による書簡が何千とある。「でも、この2冊はとくに重要だ」
その中身は、かなり以前に電子データ化されている。だから、この2冊がなくても、使われた言葉やスケッチなどの画像は研究できる。
ただ、先のセコードは、それだけではない重みを指摘する。新説をいかに考え出したのか。一個人としてのたぐいまれな洞察力がこの2冊には満ちており、その現物を見ることには計り知れない価値があるというのだ。
当時のロンドンでは、どの文具店にもあった手帳だ。手あかに汚れたそのページに、ダーウィンがメモを走り書きする姿を想像してほしい。何でもない小道具のようなものが、偉大な考えを引き出す様子が浮かんでくるだろう。
「この2冊は、新説の発見を生々しく具現化していると思う」とセコードは言葉に力を込める。
「そこが、われわれにとって本当に大切なところなのだと私は考えている」(抄訳)
(Daniel Victor)©2022 The New York Times
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