西アフリカの内陸国ブルキナファソの研究室で、遺伝子を組み換えた数千匹の蚊(カ)の幼虫を検査して選別していた科学者たちは、マラリアの感染の拡大を防ごうとしていた。アフリカ大陸でマラリアは、最大の死因の一つだ。
しかし、米国のビル&メリンダ・ゲイツ財団が資金を提供しているこの研究について、親ロシア派によるプロパガンダはこう発信した。科学者らは現地の人々をマラリアから守っているのではなく、感染させているのだと。
「あの蚊の群れがブルキナに出現してから、マラリアとデング熱が増加したことに私たちは気づいた」と、親ロシア派の意見をしばしばインターネットで発信してきたフランス系トーゴ人活動家のエグンチ・ベアンジンがインタビューで語った。
ベアンジンはこの主張の科学的な証拠を何も示せなかった。研究者たちも、こうした主張には根拠がないと言っている。それでも、彼の反欧米的でロシアのアフリカでの立場を称賛するメッセージは、SNSを通じて60万人以上のフォロワーに毎日読まれている。
近年、米国が財源を提供してアフリカ各国で展開する保健医療計画を狙い撃ちして親ロシア派が数多くの偽情報を流しており、ベアンジンが発信する情報はその一つにすぎないとみられている。
アフリカ大陸がエムポックス(サル痘)の大感染を含む数種類の伝染病に襲われ、ワクチン接種などの意欲的な対策を進めようとしたまさにその時期に、このような偽情報が流された。
米国や欧州の政府当局者はその狙いは明らかだとし、アフリカの人々の欧米への信頼感を低下させ、西側の国々の権益を弱めようと着々と手を打ってきたロシアを後押しするものだとみている。
2024年3月の米上院の公聴会で、米アフリカ軍司令官のマイケル・ラングレーは「ロシア連邦の情報発信は、ここ数年間、米国政府の情報発信をのみこんでしまった」と指摘。ロシアの情報発信に対抗するため、「とくに情報戦」に追加の財源を確保するよう要請した。
アフリカ戦略研究センター(訳注=対話を通じた信頼構築によってアフリカの安全保障の向上を目指す組織。米国防総省が管轄する)によると、ロシアは2022年以降、アフリカ22カ国で80の偽情報を活用する作戦を展開したことが記録され、他のどんな組織よりも多くの偽情報にかかわったという。
こうした作戦では、資金を与えられたアフリカ人インフルエンサーとロシアの国家主導メディアが相互に影響しあって活動の幅を広げ、「偽情報による風説がエコーのように反復する効果を生み、風説を暗記させるような空間をつくりあげた」とセンターの担当者はみている。
その中には、マリやニジェールのような、ここ数年で軍主導の政府がロシアと同盟関係を築いた国々から、米国と西側諸国の駐留部隊を国外へ撤退させようとする記事やビデオ映像が含まれている。
西側諸国がアフリカで支援する保健事業は、ロシアが狙う最新の標的の一つになった。冷戦さなか、米国がこの大陸にエイズの感染を広げたとして、ソ連が非難した手口を思い起こさせるシナリオだ。
米国務省によると、ロシアの情報機関が支援する報道機関「アフリカン・イニシアチブ」も、「蚊が媒介するウイルス性の病気の発生に関する偽情報」を含む、同様の風説を発信している。
アフリカで広まる偽情報を分析して情報源を調査する非営利組織「コード・フォー・アフリカ」の編集長アタンダイウ・サバは、「こうした風説の出どころを調べると、大部分はロシアの政府か団体・機関に近い人物にたどりつける」と述べた。
ブルキナファソでは、ゲイツ財団など西側機関の支援を受ける非営利団体「ターゲット・マラリア」の研究者約40人が、マラリアを媒介しない新種の蚊を生み出す研究に取り組んでいる。
WHO(世界保健機関)によると、マラリアは2022年にアフリカで60万人近い死者を記録し、この病気による全世界の死者の95%を占めた。ゲイツ財団は東アフリカのジブチやウガンダでも、同様の計画を支援している。
「この伝染病が根絶されることを、ブルキナファソの全国民が望んでいる」とターゲット・マラリアの昆虫学者スレイマヌ・サンカラが同国第2の都市ボボ・ジウラッソの研究所で最近語った。
ターゲット・マラリアの研究者たちが遺伝子を組み換えた蚊の最初の一群は2019年、ブルキナファソ西部の住民約千人の村バナで放たれた。2025年にはバナで第2の群れが放たれる予定だ。
ターゲット・マラリアが蚊の群れを放ってから、この村でマラリアの患者数が増えたと活動家のベアンジンは主張したが、その証拠を示していない。取材に対し、増加を示すデータを提示できず、彼の主張を支持する科学者や医師の氏名を挙げることもできなかった。
バナの地域社会のリーダーたちは読み書きができず、研究者たちにだまされて蚊を放つことを許可してしまったと、ベアンジンは説明した。しかし、最近現地を取材したニューヨーク・タイムズの記者によると、この説明とは異なる実態が浮かんできた。
村の古老たちに尋ねると、彼らは実験を許可する契約書を読み、サインをしたと答えた。デング熱の感染が増加した認識もないという。
バナ村のイスラム教指導者セイドウ・サノゴによると、現地での研究の開始後、マラリアの患者数は減ったのが事実だという。この理由としては、蚊が繁殖する場所を減らすために、トイレのふたを閉じる方法や汚水を適切に処理する方法を、研究者たちから村人が学んだことが考えられるという。
「研究の最初から私たちを組み込んで事業が進められたうえ、彼らはその目的を明快に説明してくれた」とサノゴはターゲット・マラリアについて話した。「私たちは疑問や心配を抱いたら、それを伝えている」
それにもかかわらず、ブルキナファソではサンカラや同僚の研究者たちは、ゲイツ財団によって同胞に致死性の病気を広めるように洗脳された共犯者だとする風評が流布している。2023年暮れから2024年春にかけて、ゲイツ財団はアフリカの人口を抑制する活動を隠すために科学的な研究を利用していると非難する情報が、SNSで発信された。
その後、ターゲット・マラリアによって遺伝子を組み換えられた蚊の群れがデング熱の致命的な大流行をもたらしたというまったく根拠のない主張が、アフリカ全体にフォロワーがいる親ロシアのインフルエンサーたちから拡散した。マラリアとデング熱は異なる種類の蚊によって媒介される病気なのだが。
ゲイツ財団アフリカ所長のポーリン・バシンガは声明文で、地方自治体やコミュニティーとの共同作業で研究を進めていると説明。「私たちが推進する計画によって病気が流行したとする主張はすべて、何の根拠もなく、命を救う重要な目標の価値をおとしめるものだ」と指摘した。
ベアンジンは、ロシアの組織から資金の提供を受けたことや、ロシアによるアフリカにおける偽情報キャンペーンにかかわっていることを否定した。しかし、彼はロシアの対アフリカ政策を「たいへん公正なものである」とし、アフリカ諸国は「西側とのすべての協力を停止すべきだ」と言い添えた。
アフリカ各国の世論に影響を与えようとしている国は、ロシアだけではない。情報活動は明示される場合と隠された方式で実施される場合があるが、米国や欧州のいくつかの国が長期間にわたって類似した情報操作を仕掛けたことは、歴史家たちが解明してきた。
アフリカを植民地化した旧宗主国がかつてアフリカ睡眠病や梅毒などの病気について医療事業を強制したことで、かえって信頼が損なわれたことが複数の研究で示されている。このため、現在の西側がアフリカで実施する保健医療計画への各国内の反応もまた、緊張や不安を伴うものになっている。
近年でも、新型コロナウイルスのワクチンのアフリカへの供与が大幅に遅れたことで、大陸各国に憤りの声が広がった。
このため、保健医療はロシアが情報操作を展開するのに格好の素材となり、作戦はテレグラム(訳注=ロシア発チャットツール)の広範な通信網や、ロシア政府が資金を投じるニュースサイト、アフリカ現地の活動家やジャーナリストらに支えられることになった。
カメルーンのテレビ局「アフリケ・メディア」は2023年、ロシア政府が所有するテレビ放送網RTと提携する協定を結んだ。現在、同局のYouTubeの登録者数はRTとの提携前よりも数十万人増え、100万人を上回った。
ブリンケン米国務長官は2024年9月、RTが「アフリカン・ストリーム」というオンラインのプラットフォームをひそかに運営しているとし、これをアフリカ各国や海外在住のアフリカ出身者から取材してロシア政府のプロパガンダの拡散を図る媒体だと非難した。
アフリカの西部や中央部の国々では、軍事政権がロシア政府との協力関係を強化する一方、独立系ジャーナリストの言論を抑圧しており、親ロシア的な報道機関が発信する情報が国民の言論への支配をますます強めている。
ブルキナファソを含むいくつかの国では、ラジオ・フランス国際放送、ボイス・オブ・アメリカ、英BBCといった西側の放送を停止する措置を取った。
この問題で米国は今、新たな対策に取り組んでいる。2024年春、ブルキナファソの隣国のコートジボワール政府と、ともに偽情報と闘うための協定に調印した。
アフリカの国とこの種の協定を結ぶのは初めてだった。(抄訳、敬称略)
(Elian Peltier)©2024 The New York Times
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