――スタートアップワールドカップ九州予選のプレゼンで、希少疾患は子どもが多く、その命を救いたいと話してしました。なぜ子どもが多いのですか。
要するに、病気のせいで大人になれなかったからなんです。大人になる前に亡くなってしまって。特に遺伝病というのは、自身のせいでもなく、どうすることもできずに人生が閉ざされてしまう不条理なもので、僕はそれを許容したくないんですね。そういった思いを込めてあのようなプレゼンになりました。
希少疾患の多くは有効な治療法が確立されていなかったり、薬がなかったりします。そんな状況は大人でもつらいのに、まして子どもがどうやって受け止めているのかと思うと、胸が痛いです。
子どもの親も自分たちを責めることがあります。遺伝病であればなおさらです。学者としてできることをしたいというのが研究の原動力になっています。
希少疾患は、僕がスタートアップワールドカップ九州予選でプレゼン資料を作っていた段階で、世界に約6千種類存在するという資料がありました。ところが最新のデータによると約7千種類に増えているようです。
希少疾患は多くの場合、遺伝子の変異が原因なのですが、遺伝子配列の解析は今の時代、それほど難しくはないので、元々奇病と言われていたものの原因がどんどんわかってきて、その結果、病名がついて希少疾患として認定されるようになっています。ただ、その原因については色々あります。
――そんな希少疾患の治療薬の開発に取り組まれているわけですが、次世代の創薬として注目される核酸医薬の技術を使っていますね。中でも世界初の技術である「Staple核酸」の活用に取り組んでいます。従来の創薬とどこが違うのでしょうか。
先ほども言いましたが、希少疾患の多くは、遺伝子の変異が原因とされています。それによって異常なたんぱく質が作られたり、正常なタンパク質が不足してしまったりすることなどが起きてしまい、様々な病気を引き起こします。
これまでの薬の開発だと、この病気の原因となるたんぱく質に直接狙いを定めていました。ところがたんぱく質は構造が複雑で、効果的な薬を作る作業は、込み入った形状の鍵穴にぴったり合う鍵を探すようなものです。膨大な時間と巨額なお金がかかることが多く、それだけつぎ込んでも期待通りに効果が上がらないということもあります。
これに対し、僕が取り組んでいる核酸医薬では、たんぱく質が作られる前の段階を狙います。たんぱく質は、その設計図とも言えるmRNAの塩基配列(遺伝暗号=コドン)をリボソームが読み取って作られるわけですが、例えば人工的に作製した短い核酸(siRNA)を体内に投入し、標的となるmRNAに結合させて切る(分解させる)ことで、病気の原因となるたんぱく質の生成を妨げる手法があります。アメリカの二つの製薬会社が先行して技術を確立していますが、このやり方だと、標的以外のmRNAに結合してしまった場合は副作用が生じることがあります。
これに対し、僕らの技術はmRNAの形を変えることで作用するので、想定外の位置に結合してしまっても、副作用が出ないと期待できます。仕組みとしては、Staple核酸と名付けた短い核酸(糖、リン酸、塩基で構成)が標的となるmRNAの2カ所に結合し、それによって標的となるmRNAに立体的で特殊な構造体を作ります。この構造体はとても堅固で、文字どおり障害物となってリボソームの読み取りを阻むため、異常なたんぱく質が生成されないというわけです。
先行2社の技術ともう一つ違うところは、異常なたんぱく質を減らすだけでなく、正常なたんぱく質を増やすこともできる点です。
mRNAは自らを分解したり、作ったりしています。分解が始まる端っこに同様の構造体を作ってやることでmRNAを分解する酵素が進んでくるのを阻むため、mRNAの分解を遅らせることができ、その間、正常な正常なたんぱく質を作る時間稼ぎをするというわけです。
例えば、両親からそれぞれ受け継いだ二つの遺伝子のうち、どちらかに変異があることで発症する「ハプロ不全症」という遺伝疾患があります。一つの正常な遺伝子からできるたんぱく質だけでは体の機能を補いきれない状態になるわけですが、ハプロ不全症に分類さている希少疾患の薬を私たちは開発しています。Staple核酸でたんぱく質を作るmRNAの分解を食い止め、たんぱく質の生成量を増やすことができるかもしれません。病気の原因は異常なたんぱく質の増加もあれば、必要なたんぱく質の不足ということもあるので、Staple核酸を使った技術は、そのどちらにも応用できるのではないかと考えています。
開発費用と時間についても将来的には大幅に削減できる可能性もあります。すでに研究レベルでは薬の合成は圧倒的に安くて簡単にできます。今のところ実際に製品化されている医薬品としては、核酸医薬は世界で最も高価ですが、流通が活発になれば価格も下がるでしょう。
――Staple核酸によってmRNAの一部を折り曲げで構造体を作るとのことですが、いったいどういうことでしょうか。
DNAの右巻き二重らせん構造は有名ですよね。四つの塩基があって、アデニンとチミン、グアニンとシトシンが結合しています。いわゆるワトソン・クリック型塩基対ですが、実はDNAやRNAにはこれ以外の塩基対形成のパターンがあって、その一つにフーグスティーン型塩基対というものがあります。
そのルールでは、ナトリウムやカリウムといったイオンの存在により、グアニンとグアニンが結合し、G-tetrad(G-テトラッド)と呼ばれる平面構造を形成します。この平面構造が積み重なるとG-quadruplex(グアニン四重鎖〈G4〉構造)という強固な構造を作ります。
遺伝子の中でもグアニンが繰り返されている配列が多く集中している部分でこの構造は形成されますが、グアニンが繰り返されている箇所が離れている場合でも、Staple核酸を使えばこの構造体を作ることができます。Staple核酸が標的のmRNAに結合して一部を折り曲げます。すると離れていたグアニン同士が近づき、G-quadruplexを人工的に作り出すことができるんです。
先行2社の技術はRNAi(RNA interference:RNA干渉)と呼ばれています。先ほども言いましたが、彼らの技術が異常なたんぱく質を減らすことに対し、僕らの技術は減らすことも増やすこともできます。先行2社の技術を超えてやろうという野心を表現しようと考えて、「i」の一つ前のアルファベットでもあり、かつRNAを自在に操るという意味も込めてRNAh(RNA hacking:RNAハッキング)と呼んでいます。
――国際的な特許も取られているということですが、ずっとこの研究一筋にやってこられたのですか。
いや、実はそんなことはなくて、相当紆余曲折がありました(笑)。僕はそもそも医者になりたかったんですね。父親が医科系の短大で教鞭を執っていた関係で、医師という職業を子どもの頃から身近に感じていました。ところが大学受験で2浪しても医学部に合格できず、大阪薬科大(現・大阪医科薬科大)の薬学部に進学しました。
同じ医療の分野ではありますが、医師が直接患者の治療ができるのに対し、薬の研究はそうではありません。僕にとってこの二つの仕事は「似て非なるもの」でした。
医者になれないということに対して未練があり、全然勉強に身が入らなくて、大学院入試も第1希望の研究室には通りませんでした。
結局進んだのは第2希望の研究室で、DNAの研究をやっていたのですが、そこでも色々あっていづらくなり、共同研究先である京都大大学院の物理学の研究室に身を寄せてDNAの研究を続けていました。
博士課程に進む際、この研究室では専門違いということで、京都大大学院の別の研究室に入りまして、そこで取り組んだのが、Staple核酸の技術のヒントになるDNAのナノ構造体を作る研究だったんです。
どういう研究かと言いますと、「DNAオリガミ」と言って、DNAの鎖を折り紙のように折りたたむことでナノサイズの二次元、三次元の様々な形状を作る技術のことです。ニコちゃんマークや星形など、色んな形が作れます。
DNAと言えば二重らせんですが、一部のウイルスはとても長い1本のDNAしか持たないものがあります。これを使い、200本以上の短いDNA(staple strand)を結合させるのですが、DNAの塩基は決まった組み合わせでしか結合しないので、鎖を折りたたんででも目当ての組み合わせで結合しようとします。そうやって1本の長いDNAが様々な形を作っていきます。
この技術は半導体チップの開発などのほか、3次元の構造体にすれば、その中に薬を入れて体内の目当ての場所に運ぶドラッグデリバリーの手法とか、そんなナノレベルの応用が期待されています。
でも当時の僕は自分がやりたいこととはちょっと違うかなと思いまして。医者になりたかっただけに、人の病気を治すための何かしたかったので、「もっとできることを増やしたい」「技術を身につけたい」と考えて、さらに別の研究室に行きました。そこで出合ったのがRNAのG4構造(G-quadruplex)でした。どの遺伝子がこのG4構造を持っているのかを調べる研究に取り組みました。
――DNAを折り曲げることと、グアニンで構造体を作ること、いずれもStaple核酸の技術につながっていますね。
そうなんです。紆余曲折をへたのですが、結果的にこの二つの研究がStaple核酸のアイデアにつながりました。
G4構造を研究する中でわかってきたのは、通常グアニン同士が離れているとこの構造はできないのですが、人工的に近づけてやると構造を作ることができるということでした。近づけるための手法として、当時(京都大学博士研究員時代)の指導教官だった佐藤慎一・熊本大特任教授と共にStaple核酸を思いついたんです。
その場しのぎで博士課程に進んで始めた研究と、それまでの研究に興味を持てなくて新しいことに取り組んだことが、結果的に人を治したいという当初やりたかったことにつながって。「人生戻ってきたな」という感じでした。
――現在は熊本大で研究を続けながら、起業もしています。熊本大に拠点を移した経緯と起業のきっかけを教えてください。
京都大ではアイセムス(iCeMS、Institute for Integrated Cell-Material Sciences=物質-細胞統合システム拠点)に所属していました。文科省の「世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)」による支援も受けていたのですが、それが終了したので研究が続けられる場所が必要になりまして、熊本大の研究者募集に手を挙げて採用されました。それが2017年のことです。
ただ、熊本大で所属した研究室は化学系で、僕は生物系でしょ。自分の研究に使える機器がそろっていませんでした。例えば37度に設定する機器がないので、37度にしたお湯にビーカーを沈めて、その中にラップをかぶせたシャーレを入れるみたいなことをやっていました。
まあ、そういう苦労を楽しむこともできたのですが、こうやっている間にも、もしかしたら病気で亡くなってしまう人がいるかもしれないと考えると、一刻も早く薬を作りたいと思うようになって、色んな研究費に応募するなどして、どうにか機器をそろえていったという感じです。
薬の開発には莫大なお金が必要で、すべてを公的な研究費でまかなうことは不可能なんです。通常のやり方では無理だなと思い、起業を目指してピッチコンテストに出るようになりました。
でも会社ってどうやって作るのかわからなかった。そこで、とにかくピッチコンテストに出場し続けました。もう100回じゃきかないぐらい。しゃべりまくって、名刺交換して。そんなとき、「起業に興味あるんですか?」と声をかけてくれたのが、共同創業者でCEOの谷川清でした。
彼は当時、大鵬薬品のCVC(コーポレートベンチャーキャピタル)である大鵬イノベーションズ代表を務めていました。医薬品分野での投資先や協業先を探していて、僕らの技術を見て、まずお互いの研究に対する考え方や企業に資するかを見極めてもらうために共同研究費を出してくれたんです。
そして最終的に「起業しませんか」と言ってくださったので、StapleBioを設立し、谷川がCEOを兼務、僕がCSO(最高科学責任者)に就任しました。谷川はその後、大鵬イノベーションズを退職して僕らの会社に専念することになりました。彼にしても希少疾患の患者を救いたいという強い思いがあったのだと思います。
――研究者と企業幹部の「二足のわらじ」を履くことについてはどう感じていますか。
自分でまいた種なので、責任を持ってこの事業を最後まで見届ける、ちゃんとコミットすることが大事だと考えています。
でもそれは大学での研究者としての業務をいい加減にしていいということではまったくなく、自分でしっかりマネジメントしないといけないなとは思いますね。
――勝田さんも谷川さんも希少疾患の患者を救いたいという熱い思いが伝わってきます。勝田さんは実際に患者と会うなどしているのでしょうか。
実は一度もないんです。感情が入りすぎると冷静に判断できなくなる気がしていて。実験などで少しでもいい結果が出ると、「これは本当にいける」と前のめりになって、その結果、何かミスが出たら、それこそ患者も自分たちも大変なことになるので。
そういうことがありうるので、うちの研究室はできるだけ自動化を進めたいなと思っていて、一部はすでに実現しています。
例えばウェスタンブロットという実験があって、これはたんぱく質の増減を調べるものなのですが、論文の捏造で最も多い実験の一つとされていて。たとえ悪意がなかったとしても、少しでもいいデータを出したいという気持ちが実験の操作に伝わっちゃうんですよね。無意識のうちにぐっと強く押してしまうとか。この実験について、うちの研究室では専用の機器を導入して完全に自動化しています。
もちろん、患者の方々とはお話ししてみたいという気持ちはあります。でも今はまだ、そのタイミングではないと思っています。
――ピッチコンテストにたくさん出場していますが、何か得るものはありますか。
大いにあります。例えばスタートアップワールドカップ九州予選では、ほかの方が宇宙関連の事業についてプレゼンしていました。そのとき、僕らの技術を宇宙で使えるんだろうかとか、想像しました。地球上でやっているような化合物の合成が宇宙空間でもできるのだろうかとか。
例えば本当に火星に移住するという未来が来たとして、移住者が大きな病気をした場合、「地球から薬が届くのを待ってください」ってなったとき、待てないじゃないですか。そうなったときのシミュレーションをしていました。
ただ、このようなピッチコンテストに出場することが好きか嫌いかで言うと、あまり好きではないんですね。
というのも、例えば九州予選でも出てきた、宇宙に行こうとするベンチャー企業や物流のDXに取り組む企業、画期的な手法でインフラのさびを除去する企業とで優劣はつけられないと思うんです。色んな社会課題があって、どれも解決すれば人々が幸せになります。そう考えると、どの会社もどの技術も、本当にすばらしいです。
逆に僕らの技術は、本来なら使われない方がいいわけです。誰だって希少疾患になりたくはないですからね。
――大学発のスタートアップが増えている印象です。ご自身の会社もその一つですが、こうした動きをどうみていますか。
大学発のスタートアップというのは、僕は必要だと思っています。ピッチコンテストで審査員からよく聞かれる質問の一つに「既存技術との違いは何ですか」というものがあります。実は大学の研究者って、むしろそれしか考えてないんです。
そもそも研究成果を論文にしようとするとき、ほかの技術はこうだけど、我々の技術はこうだ、っていうのを考えるんですね。つまり、大学の研究者は「0から1を作る」人たちなんです。
一方で、課題があると思うのはコミュニケーション能力です。既存にはない新しい技術や手法、プロダクトを生み出したことへの思い入れが強いがゆえに、「なぜ世の中は理解してくれないのだろう」と考えてしまうことがあります。実際、僕もそうでした。何回プレゼンしても誰も見向きもしてくれない。審査員からたくさん無視され、嫌なことを言われるわけです。
そういった経験から、ピッチコンテストの心構えを聞かれたとき、「怒らないこと」と言うようにしています。審査員も嫌な気持ちにしようと言っているわけではなくて、彼らは彼らなりにたくさんある案件から光り輝く可能性を見つけたいわけです。10分説明しなきゃわからないのだとしたら、それを1分で説明できるようにしてよっていうのもあると思います。それをこちらも理解しないといけなくて。
僕の場合、九州予選では全く専門用語を使っていませんでした。確かRNAという言葉すら使ってなかったんじゃないですかね。専門用語を使えば、聞いている人は「何やら難しいことを言っているな」というマインドになってしまいます。
――大学側の支援体制など、スタートアップを取り巻く「エコシステム」はどうでしょう?
最近はどんどん充実してきたなと思います。大学内での研究に対する支援もそうですが、例えば地方自治体による支援も増えています。僕たちが起業したのは2021年ですが、まだ3年しかたっていないのに、今の方が圧倒的にいい環境です。
背景には、支援のための仕組みや制度が整ってきたというのもありますが、やっぱり人々のマインドの変化が大きいと思います。
例えば海外では、AmazonやAppleといった、僕らが子どもの頃には存在しなかった新しい企業がどんどん誕生しています。これに対し、日本では昔からあった会社がいまだに頑張っている。それで僕たちの暮らしはハッピーなのかと問われれば、そうでもない。そういった意味での閉塞感(へいそくかん)があって、何とかしたいと考える人たちが少しずつ増えている気がします。