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ゴーダチーズ産地が気候変動で消滅危機 下水あふれ地下室水浸し、でも市民の反応は…

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
マルクト広場で開かれるチーズ市に立つ地元農家のAd van Kluijve
マルクト広場で開かれるチーズ市に立つ地元農家のAd van Kluijve=2024年7月11日、オランダ・ゴーダ市、Ilvy Njiokiktjien/©The New York Times

オランダ南西部の小都市ゴーダ。最近のある朝、丸くて黄色いチーズが何百個も、市中心部にある「マルクト(市場)広場」の石畳の上に並べられていた。毎週開かれるチーズ市の光景で、その歴史は中世にさかのぼる。

オランダのゴーダ(Gouda、オランダ語でハウダ)の位置=Googleマップより

チーズを買いにきた客と話し込んでいるのは、地元の農家Ad van Kluijve(以下、オランダの人名は原文表記)。青い作業用の上着、首には赤いバンダナ、それに青い帽子をかぶって木靴をはいている。

熟成度の若いチーズはマイルドなキャラメル風味がすることで知られ、これをいくらにするのかの交渉が進む。多くの種類があるが、ここで取引されるチーズはこの街の名「ゴーダ」で世界中に知られる。

ネタを明かせば、この価格交渉は観光用のアトラクションだ。実際の価格は、別のところで決まる。この地域はチーズ製造が主要産業で、オランダの国内生産の約60%を占め、年間17億ドル(1ドル=150円の換算レートで2550億円)の輸出額を誇る(オランダの乳製品業界団体ZuivelNL〈シャーベル・ネーデルラント〉調べ)。

マルクト広場ではシーズンになると、チーズ市が毎週開かれる
マルクト広場ではシーズンになると、チーズ市が毎週開かれる=2024年7月11日、オランダ・ゴーダ市、Ilvy Njiokiktjien/©The New York Times

しかし、50年後、100年後を考えると、このチーズ市がここで存続していることは考えにくい、と専門家は見ている。その背景には、いくつかの複合要因がある。

ゴーダ市は泥炭湿地の上に築かれており、地盤沈下の危険と背中合わせだ。気候変動の結果、降雨量が増え、海水面が上昇している今、そのリスクはさらに増大している。そのため、この都市がある河口デルタ一帯は大洪水に見舞われる恐れが常にある。

「あまりよい状況ではない」。地盤沈下を専門とするチームをオランダの非営利の水理研究機関Deltaresで率いるユトレヒト大学教授のGilles Erkensはこう話す。「かなり深刻な状況といった方がいいかもしれない」

この地域の海水面の上昇を予測しているエラスムス・ロッテルダム大学教授のJan Rotmansは、「緑のハート」と呼ばれるゴーダ市周辺の田園地帯は21世紀末までに洪水で沈没するか、水に浮かぶいくつかの人工都市となって生き延びるしかないだろうと予想する。

Rotmansは「Embracing Chaos:How to Deal With a World in Crisis?(混沌〈こんとん〉を受け入れて:危機に直面する世界にどう対処するべきか)」の著者でもあり、「100年後にはゴーダ産のチーズはほぼ存在しないだろう」と見ている。

「土地が水没し、乳牛を飼えなくなれば、チーズはこの国の東部(内陸部)でつくるしかない。それはもう、ゴーダチーズではない」

オランダの国土の多くは、何世紀も前に泥炭湿地の上に築かれた。スポンジのように圧縮されやすい土壌だ。ゴーダ市の場合は街の重みで常に地盤の沈下が進んでいる、と市議会議員のMichel Klijmij-van der Laanは説明する。持続可能性と地盤問題を活動の専門分野としている。

市の最も古い部分は毎年約3~6ミリ、新しい部分は1~2センチ沈下している。

だから、「2040年か2050年までに新しい対策を立てねばならない」と市議はいう。「これまでずっととってきた方法が今後も通用するという保証はなく、別の解決策を見つけねばならない。ポンプでただ水をくみ出し続けるのは現実的ではないし、その費用はやがて手に負えなくなる」

オランダ・ゴーダ市にある建物の玄関前には、浸水防止用の土囊(どのう)が置かれている
オランダ・ゴーダ市にある建物の玄関前には、浸水防止用の土囊(どのう)が置かれている=2024年7月10日、Ilvy Njiokiktjien/©The New York Times

この問題に取り組むために、人口約7万5千のゴーダ市は年間2200万ドル(33億円)以上を治水対策に費やしている。日常的な維持管理から修理や設備の改良、パイプの交換などにあてており、その額は飛躍的に増えるだろうと市議は語る。

このため、チーズ市が立つ広場に面したビルに国立の関連情報集約センターを設けることに市議は尽力した。政策立案者や科学者、建築家などの専門家が集い、解決策を探るのが狙いだ。

市当局は最近、「堅固なゴーダ市」と称する短期的な計画も承認した。市内にある運河「トゥルフマルクト」の両岸をダムのようにかさ上げし、ポンプで水を周辺の川にくみ出して市中心部の水位を徐々に下げ、最終的に25センチ低くしようというものだ。

しかし、先のエラスムス・ロッテルダム大学教授のRotmansは、「この国は10年以内にもっと抜本的な新しい対策を開発せねばならない」といらだちを隠さない。とくに、この地域の海抜の低さと人口、牛や産業の密集ぶりを指摘する。

「これほどよく守られている河口デルタはほかにはない。でも、これほど脆弱(ぜいじゃく)なところも、ほかにはない」とRotmansは危機感を抱く。

「気候工学の技術関係者の緊張感のなさには、いら立ちを覚える。今後20年の間に大きな災害が起きても、私は驚かない。恐らく、そのときになって初めて人々は反応することになるのだろう」

問題の緊急性に訴えることが常に理解されるわけではない、と市議のKlijmij-van der Laanはため息をつく。住民が、慣れ切ってしまっているからだ。

「ここで暮らしていると、この問題は単なる現実にすぎなくなる。庭や道路を必要な高さにし、国内のほかの地域より高い固定資産税を払うのが、あたり前になっている」

しかし、ゴーダ市内のいたるところに水による危機は忍び寄る。トゥルフマルクト運河の水位は、路面の下約10センチのところまできている。水面に点々と浮かぶスイレンの葉の上に咲く花は、道路とほぼ同じ高さにある。

水面が路面に迫っている運河トゥルフマルクト
水面が路面に迫っている運河トゥルフマルクト=2024年7月11日、オランダ・ゴーダ市、Ilvy Njiokiktjien/©The New York Times

旧市街の建物はひんぱんに浸水に見舞われ、古風な路地には下水があふれるようになった。地下室はしょっちゅう水浸しになり、ポンプで水をくみ出さねばならない。その壁には白カビが根を下ろし、表面のしっくいにひび割れを生じさせている。

市議によると、最も古い家の中には、基礎がまったくないところもある。さらに、1千軒以上が木の杭の上に建てられている。木は、地中の湿気が強すぎると腐ってしまう。

「市の最も古い地区の家屋の多くは、いってみれば脚を水につけた状態にある」と先のユトレヒト大学教授のErkensは例える。「常に水がたまっている地下室も多い」

2024年7月のある日の午後。好天に恵まれ、将来を心配する市民はあまりいないようだった。オランダの治水技術者は水の管理能力の高さで知られる。ダムや堤防、運河といった複雑なシステムを駆使して、湿地の上に広大な国土を築いた。

「まあ、どの家も毎年少しずつ沈んでいるけれど、結局はミリ単位にすぎないから気にすることもない」とMarco van der Horstはこともなげにいう。マルクト広場の一角にある創業187年のたばこ店「D.G.van Vreumingen」(訳注=オランダで最も古いたばこ店といわれる)の所有者だ。

「確かに対策は必要だけど、数年のうちにおぼれてしまうわけではない。この国では、常に水を管理してきたし、これからも常にそうするだろう」

「この国では常に水を管理してきた」と、これまでの治水対策を信頼するたばこ店の所有者Marco van de Horst
「この国では常に水を管理してきた」と、これまでの治水対策を信頼するたばこ店の所有者Marco van de Horst=2024年7月11日、オランダ・ゴーダ市、Ilvy Njiokiktjien/©The New York Times

しかし、エラスムス・ロッテルダム大学教授のRotmansは、水を永遠に管理できると考えるのはやめた方がよいと話す。「50年後、100年後の海水面と陸地の状況を考えれば、これまで通りに水位を保つのは信じられないほどの費用がかかることになる」

市中心部のチーズ市に戻ると、ブラスバンドが演奏していた。空は明るく晴れ渡り、人びとは陽気に騒いでいた。

カナリアイエローのスーツに赤いネクタイをしたWijtze Visserは、群衆の中にいた一人の女性の手を取って踊りに誘った。

こんな暮らしを脅かす水位の上昇に不安を感じないのか、と聞いてみた。

「今、住んでいるところが、すでに海抜マイナス7メートルだからね。水位がちょっと上がったからといって、私にはどうってことはないよ。自分の子どもたちの世代にだって、問題が起きるなんて考えられないね」という言葉が返ってきた。

「で、そのあとは?」と突っ込んでみた。

すると、「そのあと?」と少し間が空いてから、こういった。

「そりゃあ、絶対に問題が起きるよ」(抄訳、敬称略)

(Nina Siegal)©2024 The New York Times

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