最終コーナーを曲がって、200キロのマラソンレースを締めくくる長い直線に5人の選手が入ってきた。
1997年のスケートマラソン。凍った運河の上を滑走する選手に、カメラをのせたバイクが並走する。映像はオランダ中に生中継され、沿道には「幻の大会」を一目見ようと、世界中のスケートファンが集まり、声援を送った。
この年を最後に20年間、大会は開かれていない。これまで開催はわずか15回で、この半世紀では3回。幻の大会と呼ばれるゆえんだ。
そこには自然相手のスポーツならではの理由がある。地球温暖化の影響で開催が年々厳しさを増すなか、運河に張った氷の厚さが、スケートマラソンを主催する全11市の測定場所で15センチを超えないといけない。
大会の舞台は首都アムステルダムから車で北に約1時間のフリースラント州。州の11市でつくる実行委員会が主催する。レースは、州中部のレーワルデン市から時計回りで進んでいき、それぞれの市のチェックポイントを通過してから再びレーワルデン市に戻ってくる。
種目としては、200キロを滑る「スケートツアー」と、一般の「レジャーツアー」の二つがある。レジャーには外国からを含めて1万人以上が参加する。
11市の一つ、ハルリンゲン市でスケート博物館を営むハウケ・ボーツマー(75)によると、大会は今から100年以上前、大勢の人が、州内の凍った運河を1日で駆け巡ったことをきっかけに始まった。第1回大会は1909年。この時は約50人が滑った。
買い物に行くのもスケートで
オランダでは、運河が凍ればスケート靴を履いて通勤し、買い物にも出掛ける。2014年ソチ冬季五輪で、出場国・地域トップの23のメダルをスピードスケートで獲得したのは、スケートが生活に根付いていることと無縁ではない。
それだけにスケートマラソンの存在感は特別だ。スピードスケート日本代表コーチでオランダ人のヨハン・デビット(38)は「大会にはみんな出たいと思っている。気温が零下になれば氷が張ったのでは、とウズウズし出す」と言う。選手の中には、大会が開催されれば五輪を諦めてこの大会に出るという人もいるほどだ。
大会優勝者はスケート靴などが博物館に展示される。多額の賞金が出るわけではないが、国民的スポーツの英雄として人々の記憶に刻まれる。
大会が開かれなかったこの20年間で、開催への期待が高まった年がある。厳冬が訪れた6年前の12年。地元メディアも人々も盛り上がった。だが、11市のうち2市で、氷の厚みがわずかに15センチに届かなかった。
大会は過去15回のうち14回が1、2月に開かれた。博物館を営むボーツマーは「生きている間にもう一度」と願う。ゴール手前には、過去の出場選手をたたえるタイルで装飾された橋がある。それを眺めていたイエッサー(19)は「大会のことは両親から聞いた。一度見てみたい」。今年こそ、分厚い氷が張るほどの厳冬はやってくるのだろうか。(文中敬称略)
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さかきばら・いっせい/1979年生まれ。スポーツ部でスピードスケートなどを担当。今回の取材で、日常に息づくスケート文化を肌で感じ、オランダ選手の強さの理由が分かった気がした。