1936年ベルリン五輪の男子マラソンで日本代表として出場し、優勝した孫基禎さん=1936年8月9日、ドイツ・ベルリン、朝日新聞社
ベルリン五輪男子マラソン表彰式で表彰台に上がった選手たち。中央はオークの鉢植えを持つ金メダルの孫基禎選手=1936年8月9日、ドイツ・ベルリン、代表撮影
1936年のベルリン五輪のマラソンでゴールテープを切る祖父・孫基禎さん=1936年8月9日、ドイツ・ベルリンのライヒスシュポルトフェルト(帝国スポーツ広場)オリンピアシュタディオン
第11回オリンピック・ベルリン大会第9日、陸上最終日のマラソン競技、1位でゴールテープを切る孫基禎選手。2時間29分19秒は当時の五輪記録。朝鮮は日本統治時代で、日本代表として出場した=1936年8月9日、ドイツ・ベルリンのライヒスシュポルトフェルト(帝国スポーツ広場)オリンピアシュタディオン
ベルリン五輪男子マラソンの折り返し点で競り合う孫基禎選手(右)と英国のアーネスト・ハーパー選手=1936年8月9日、ベルリン郊外、朝日新聞社
ベルリン五輪男子マラソンの折り返し点で競り合う孫基禎選手(右)と英国のアーネスト・ハーパー選手=1936年8月9日、ベルリン郊外、朝日新聞社
ベルリン五輪男子マラソンで2時間29分19秒の五輪新記録を出して金メダルを獲得した孫基禎選手。表彰式後にドイツ青年の祝福を受け、オークの鉢植えを手に疲れ切った表情でグラウンドを歩いた=1936年8月9日、ドイツ・ベルリン、朝日新聞社
オリンピック男子マラソンの日本代表選手たち。左から南昇竜選手、孫基禎選手、鈴木房重選手、塩飽玉男選手。孫選手は当時の世界記録保持者でメダル候補として期待されていた=1936年5月21日、東京府東京市四谷区神宮外苑の神宮競技場、朝日新聞社
ベルリンへ出発する前に、明治神宮に参拝するマラソン日本代表選手たち。旗手は塩飽玉男選手(マラソンに出場するが途中棄権)、後ろは順番に南昇竜選手(銅メダル)、孫基禎選手(ソン・ギジョン、金メダル)、鈴木房重選手(マラソン選手候補だったが3人の枠に残れず1000メートルに出場)=1936年6月1日、東京都渋谷区代々木神園町、朝日新聞社
国威発揚を目的に企画された「戦捷祈願聖鉾リレー」で、青山小学校の生徒から孫基禎さんに引き継がれる聖矛=1938年11月6日、東京市・外苑入口、朝日新聞社
1964年の東京五輪を前に来日した孫基禎さん。当時は韓国陸連の会長を務めていた=1964年10月2日、東京都内、朝日新聞社
バルセロナ五輪男子マラソンで韓国の黄永祚選手が優勝し、マラソンゲートの正面付近で応援していた孫基禎さんは満面の笑顔を見せた=1992年8月9日、スペイン・バルセロナ、朝日新聞社
80歳記念パーティーでの孫基禎さん=1992年9月25日、東京都目黒区の目黒雅叙園、朝日新聞社