1. HOME
  2. World Now
  3. 19万円のスーツは勝ち取った無罪の証し 出所した冤罪被害者に贈る社会復帰への一歩

19万円のスーツは勝ち取った無罪の証し 出所した冤罪被害者に贈る社会復帰への一歩

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
ペリー・ロット(右)の生地選びを手伝う仕立て服店「Bindle & Keep」のスタッフ
ペリー・ロット(右)の生地選びを手伝う仕立て服店「Bindle & Keep」のスタッフ=2024年5月16日、ニューヨーク・ブルックリン、Isabelle Zhao/©The New York Times

刑務所では、自分の個性を出すことは制限される。受刑者番号でしか呼ばれなくなるし、ほとんどの場合はお決まりの囚人服を着ることしか許されない。

そんな暮らしが何十年も続いたあとで、どうすれば自分のスタイルを取り戻せるだろうか。

その問いに挑んだ6人が米国にいる。DNA鑑定などの科学的な手法によって冤罪(えんざい)を証明する非営利団体「Innocence Project」(IP、訳注=日本、カナダ、英国、韓国などでもIPの活動趣旨をくんだ団体が設立されている)が無罪を立証し、2023年にそれが確定した人たちだ。ニューヨーク・ブルックリンにある仕立て服店「Bindle & Keep」(B&K)社がこれに協力した。

6人の内訳は男性4人と女性2人。ブルックリン海軍工廠(こうしょう)近くにあるB&Kのスタジオを訪れたのは、2024年5月の風の強い日のことだった。見本の服を試着し、生地を選び、特注スーツを作るために寸法をていねいに測ってもらった。

「これで、そこらの衛生局職員よりきっと清潔になる」。レネイ・リンチ(68、女性)は、ベルベットでできた濃紺のタキシードジャケットを試着した自分の姿を見て、こんな冗談をもらした。

家主を殺し、物品を奪った強盗殺人罪で有罪が確定したが、2023年1月に冤罪と認められた。ニューヨーク州バファローでの服役期間は、26年にもなっていた。

今は、自叙伝を出したいと思っている。それが実現したあかつきには、このスーツを着れば、本を宣伝する場にぴったりだと思う。「この服がすべてを表してくれる。私は何もいわなくていい」とリンチはいう。試着したジャケットには、シルクの襟がついている。

冤罪を晴らすことができるのは、受刑者のごく一部でしかないだろう。それでも、科学の進歩や、1992年に設立されたIPのような団体のおかげで、そうした事例は近年少しずつ増えている。

ただ、無一文で釈放され、借金をしようにも信用力がなくてどうにもならない場合が多い。ほとんどの人たちは、投獄されていた地方自治体を相手に民事訴訟を起こし、不当な有罪判決がもたらした結果に対する補償を得ようとする(この日、B&Kを訪れた6人のうち5人がそうしている)。

また、釈放されても、精神的な問題を引きずり、それが新たな社会生活への適応を難しくすることもある。

こうした事情が、冤罪の被害を受けた人たちにスーツを提供する理由になっている、とB&Kの共同経営者であるアシュリー・メリマン(47)は説明する。

B&Kは、主任仕立て人であるダニエル・フリードマンが2011年に設立。2016年にIPと協力しあうようになり、これまでに約50人の無罪確定者に無料で仕立て服を作った。通常なら、少なくとも1着1200ドル(1ドル=160円換算で19万2千円)ほどはする。

「こうしたスーツが自信や活力の源になることを願っている」とメリマンは話す。「私たちは、社会に復帰した人たちが見守られ、耳を傾けてもらっていると感じられる経験をする場所、自分で服を選ぶのを手伝う店員がいる場所を提供したい」

絹の襟がついたベルベットのタキシードジャケットを試着するレネイ・リンチ(左)と世話をする仕立て服店「Bindle & Keep」の共同経営者アシュリー・メリマン
絹の襟がついたベルベットのタキシードジャケットを試着するレネイ・リンチ(左)と世話をする仕立て服店「Bindle & Keep」の共同経営者アシュリー・メリマン=2024年5月16日、ニューヨーク・ブルックリン、Isabelle Zhao/©The New York Times

ペリー・ロット(62、男性)は、強姦(ごうかん)と侵入窃盗の罪で30年間、オクラホマ州エイダで服役した。無罪が認められたのは2023年秋のことだった。「まるで、外に通じる秘密の扉を見つけたようだった」とそのときのことを振り返る。

ロットは着飾るのが好きだ。B&Kには茶色のペニーローファー(訳注=甲の部分に切り込み飾りがあるローファー。そこに1セント〈ペニー〉硬貨をはさむのが流行したことがある)を履いてきた。

それぞれの切り込みには、ペニー硬貨を入れていた。新しいスーツをもらえるという約束は、これからの新しい人生の一章をさらにわくわくするものにしてくれた。

「おれは、もう、番号なんかじゃないんだ」

カールトン・ルイス(57、男性)は、自由の身となり、スーツを作るために採寸してもらっているという状況をなかなか理解できなかった。ニューヨーク州シラキュースで1990年に第2級殺人罪で有罪となり、2021年11月の感謝祭の前日に出所するまで30年余を刑務所ですごした。2023年8月には、有罪判決そのものがくつがえされた。

ルイスが選んだのは、灰色がかった黒いスーツで、絹のような裏地がついている。スーツの採寸をしてもらって、「ただもうしびれた。服役中に何度も夢見た『普通の人が生活の中でしていること』が、こうして実現したのだから」。

仕立て服店「Bindle & Keep」で採寸してもらうカールトン・ルイス
仕立て服店「Bindle & Keep」で採寸してもらうカールトン・ルイス=2024年5月16日、ニューヨーク・ブルックリン、Isabelle Zhao/©The New York Times

レナード・マック(72、男性)にとっては、B&Kにいること自体が無罪の証しだといえる。ニューヨーク州ホワイトプレーンズで1976年に強姦と武器の不法所持の罪で有罪となった。7年ほどして仮釈放されたが、冤罪が晴れたのは2023年9月になってからのことだった。

「いつの日か、潔白が証明されることは分かっていた。いつ、どうやってそうなるのかが分からなかったが、罪を犯していなければ、いつか私の無実も証明されるだろうと思っていた」

マックは、ベトナム戦争の退役軍人であることを示す帽子をかぶって、この日の試着に臨んだ。新しいスーツは、ボランティアの牧師として仕事をする際にぴったりだと思う。

「ひと味違ったレナード・マックをみんなに知ってもらいたい」というのだった。

仕立て服店「Bindle & Keep」にいること自体が潔白の証しだというレナード・マック
仕立て服店「Bindle & Keep」にいること自体が潔白の証しだというレナード・マック=2024年5月16日、ニューヨーク・ブルックリン、Isabelle Zhao/©The New York Times

タイロン・デイ(53、男性)も、無実であることをずっと主張してきた。テキサス州ダラスで1990年に性的暴行罪で有罪になった。1994年にアメリカンフットボールのスター選手だったO・J・シンプソンを被告とする殺人事件の裁判がテレビで取り上げられるようになると、これに触発され、DNA鑑定を使って罪を晴らすことを考え始めた。

「自分が無実だという事実を忘れたことは決してなかった」とデイ。26年間も投獄され、出所しても性犯罪者として登録されざるをえなかった。有罪判決がくつがえったのは、2023年5月だった。「実際にこの身に起きたように、いつか潔白が証明されるだろうといつも夢見ていたし、希望を失うこともなかった」

出所後は、ダラスで地域社会の農業団体「Restorative Farms(再建農場)」を立ち上げるのを手伝った。新鮮な農産物を作りながら、地元の農業雇用の場を創出することを目指している。

デイは自分のスーツに、灰色のしま模様が入ったロイヤルブルーの生地と紫の裏地を選んだ。「紫は、自分と妻のお気に入りの色なんだ」

有罪判決が覆っても、新たな人生の始まりと結びつくことはそれほど多いわけではない。

ロサ・ヒメネス(女性)の無罪が確定したのは、2023年8月だった。テキサス州オースティンでベビーシッターをしていたとき、面倒をみていた幼児が紙タオルで窒息死した。2003年に殺人罪で有罪となり、ほぼ20年も刑に服した。そして、服役中に腎臓病と診断された。

無罪となっても、人生の再出発には制約がついて回った。何年待つことになるかも分からない腎移植を少しでも早く受けるために、生まれ故郷のテキサス州からニューヨークに越さねばならなかったのはその一例だ。

ピンクのスーツを作ることに決めたロサ・ヒメネス。教会での自分と妻の結婚式に着るつもりだ
ピンクのスーツを作ることに決めたロサ・ヒメネス。教会での自分と妻の結婚式に着るつもりだ=2024年5月16日、ニューヨーク・ブルックリン、Isabelle Zhao/©The New York Times

ヒメネスは、腕にばんそうこうをつけてB&Kに来た。来店前に透析を受けていたからだ。「いまだに、人生をきちんと取り戻せないでいる」

だからといって、将来への計画を描くのをやめたわけではない。ヒメネスは、バラ色のペイズリー柄の裏地がついたピンクの上着とワイドパンツのスーツに決めた。

この衣装は、妻のM・J・フローレスと予定している盛大な結婚式で着るつもりだ。二人は、2024年に入ってごく内輪の民事婚(訳注=裁判官または法が定める公務員の面前で行う婚姻)をニューヨークで済ませ、法的にはすでに結婚している。

これについては、「ある日、二人で目を覚まして、急に結婚しようということになったので」とヒメネスは笑う。「今度は、教会で改めて式を挙げようと思っている」(抄訳、敬称略)

(Sandrab E. Garcia)©2024 The New York Times

ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから