――著書を拝見すると、お酒との出会いは小学生の頃ですか?
そうですね、この季節(6月)、お袋が毎年梅酒を仕込んでいて、よく手伝わされたものです。2年間エキスを出しつくした梅がしわくちゃになってて、食べると甘くて、でもアルコールも入ってるから、ちょっと酔っ払っちゃってみたいな。親からお酒を飲むなと言われたことはありません。辰巳家ではおなかをこわしたら梅酒、風邪をひいたら卵酒が定番でした。
大学の頃は芝居に明け暮れ、稽古が終わったら「さあ飲みに行くぞ」という感じ。今も同じですが……。人間関係もよくなるしアイデアも生まれる。大切な時間だと信じています。
今は、若い人が飲まなくなりましたね。ちょっと寂しいです。こんな言い方はお酒を飲めない方には申し訳ないといつも思うんですが、お酒は人を幸せにします。ただ、何事も欲張っちゃいけません。
――その後、「くいしん坊!万才」に出演(1991~1993年)するようになり、色んなものを食べ、ワインも楽しむようになったのですか?
ワインを色んな場所で、色んな場面で飲むことが増えたのはあの番組からです。番組のスポンサーがキッコーマンで、マンズワインは子会社。海外の有名シャトーのワインも輸入していました。
撮影現場でも料理に合わせて飲むのは和食系なら日本酒、洋食系ならワイン。ビールはNGでした。ロケ隊は必ずワインを持ちこんでいて、他にもキッコーマンの宣伝部の方にもおいしいワインをたびたびごちそうになり、経験値が増したというのもあります。
その後、日本に赤ワインブームがやってきて、ワインに詳しいイメージを持たれていたので、ワインに関するインタビュー、イベントの出演依頼が増え、日本ワインの応援も頼まれるようになる、という流れで。
色んな食事と合わせるのは、新たな発見の連続です。魚でも、特にマグロやカツオのような赤身のお刺し身にしょうゆとわさびをつけると、絶対に赤ワインが合う。それもマスカットベーリーAのような日本の赤ワインがとっても合うんです。そうやって頭の中で「これには何が良いだろう」と考えて、実際にやってみると本当に楽しい。頭を使って食べるのが大切ですね。今では、そういうペアリングの会を月に4、5回開催しています。
――「日本のワインを愛する会」の会長も務めていますね。
日本の農業を応援したいという思いがあります。実は農業に不可欠なものの一つが二酸化炭素(CO2)。私たちが食べているものは全て、空気中のCO2を光合成で定着させたブドウ糖から始まっているということを忘れちゃいけません。
食物連鎖ということを考えてみると、動物性の食物も実はそうなんです。タンパク質も脂肪も、もちろん炭水化物も、使われている炭素原子(C)は元々は空気中のCO2 から来たもの。もちろん、穀物やブドウなどお酒の原料も同じです。ということは、お酒を長期熟成したり、コレクションしたリすることは、環境にも良いんです。二酸化炭素を蔵の中に定着させているわけですから。セラーにため込んだワインを眺めるだけでも幸せになる方は多いはず。まあこれは、ワイン好きの屁理屈かな。食べ物だけじゃなく、材木も紙も天然繊維も、二酸化炭素なしには存在しません。そう考えると、CO2を敵視する世の中って、どこか違ってる気がしてなりません。
ワイナリーにもしょっちゅう行ってますが、本当に丹精込めてつくっていることが分かります。おじいちゃんが植えたブドウを、次の代が仕込んで、孫の代でようやく飲む、とか。そういう話を聞くと、ああ、命をつなぎながらつくった、本当に大切なものをいただいているな、時間や歴史が凝縮したものなんだな、と感じます。人生が豊かになり、変な飲み方ができなくなりませんか?
――今の飲み方や頻度はどうですか?
基本的には食べながら飲みます。昔からお酒だけ飲む、というのは好きじゃない。かなり量も飲みますけど、ヤケ酒や寝酒はしないし、お酒だけを飲むこともほぼありません。一人で飲むのはやっぱりつまらない。とくにワインは複数で飲むのが楽しいお酒だと思っています。
――酔っ払うとどんな感じになりますか? 失敗するようなイメージはないですが。
そんなことないです、失敗はしょっちゅうですよ。楽しくなって陽気になって、でも眠い時は寝てしまうこともありますし、電話魔にもなるみたいです。翌朝、携帯の履歴を見て、「あれ、こんな時間に何の話をしたんだろう」と首をひねることも少なくありません。
――改めて、お酒の楽しみとは何でしょう? なぜお酒を飲むのでしょう?
なぜ飲むのか、と改めて聞かれると、難しいですね。お酒は好きですが、なくても生きていけます。でもね、コロナ禍の間、お酒が目の敵にされましたよね。飲みに行くことを禁止されるという、ひどい時代でした。同じように、音楽も映画も演劇も、多くの芸術文化が不要不急のいらないものにされてしまいましたね。
経済効率や生産性だけを考えると、まず削られるものかも知れない。でも、演劇もコンサートもスポーツも中止になって、多くの人が遊びのない生活、他人とふれあわない世界って、いかにつまらないかも分かったと思うんです。改めて、人と人とを結びつけるお酒のありがたみ、その存在の大きさを感じた、そんな時代だったと思います。
誰もが納得する「正解」や「理想」はないでしょう。それに、「正解」「理想」を求めすぎること自体が、少し息苦しいし、堅苦しい。世の中にはハンドルの遊びのようなもの、良い意味のゆるさが必要だと思いませんか?