オリンピック開会式当日は、それまで開催国で行われてきた聖火リレーの最終日となる。毎回、誰が登場するのかトップシークレットで、聖火台への点火方式も関係者しか明かされない。そして、最終ランナーは開催国が国際社会に示すメッセージが込められている場合が多い。1964年東京大会の最終ランナーとなった広島原爆の日に広島で生まれた坂井義則さんはその典型だ。
豪華な顔ぶれは主催国の大会組織委員会が選ぶのだが、これまでの実績からその選定には法則があるようだ。いくつか挙げてみた。
法則1 過去の五輪での複数のメダルを獲得している
法則2 その国のスポーツの発展に貢献している
法則3 五輪経験がなくても、知名度があり世界的スターである
法則4 現役引退直後の30~40代が多い
法則5 同一種目の選手は2人走らない
法則6 現役選手はごくまれ
こうした法則や過去の実績から最終ランナーの最有力候補にジダンさんとリネール選手の2人を挙げたのだが、結果は予想のはるか「斜め上」を行った。
パリ大会開会式では過去に類をみないような演出が施されたのだ。詳しく検証しないとわからないが、開会式最初のシーンから聖火トーチが登場し、式典中も各国選手団紹介と同時にリレーが行われていること▼外国人の著名アスリートが参加ランナーとなる▼100歳のレジェンド金メダリストが登場する――などは近年のケースでは見られず、これも歴史上初めてだった可能性がある。
オリンピックの聖火は現地時間7月26日午後7時30分に始まった開会式式典の冒頭、次のような映像で登場した。
フランスを代表するコメディアンであるジャメル・ドゥブーズさん(49)がトーチを持って、パリ大会では陸上競技などが行われるフランス競技場のゲートを走ってくる。これまでの夏季オリンピックなら、多くの観客が収容できるスタジアムでの開会式が通例だが、パリ大会の会場は、夏季大会では史上初の屋外となるセーヌ川。「誰もいない」「どうしよう」と戸惑うばかりのドゥブーズさんに救世主が現れた。
それが、かつてこのフランス競技場で行われたサッカーW杯で熱狂の渦に包み込んだ張本人の「ジズー」(愛称)こと、ジネディーヌ・ジダンさん。ドゥブーズさんはジダンさんにトーチを渡し、そのジダンさんも最終地点のトロカデロ広場まで急ごうとするが、途中の地下鉄の駅で電車が停車してしまう。
ジダンさんはパリの3人の少年たちにトーチを届けるようお願いする。しかし、その少年たちもセーヌ川が流れる地下通路で行く手を阻まれてしまい、謎のマスクマントマンにトーチを託した。映像はこれで終了し、リアルの開会式会場には、このマスクマントマンと3人の少年たちが現れる。
開会式では、マスクマントマンはセーヌ川東部地点から6キロ先にあるゴール地点のトロカデロ広場までのルート上で何度か登場。式典の演出を手伝った。歴史的建造物の屋根を何度も走ったし、世界的アーティスト、アヤ・ナカムラさんのパフォーマンスにも登場した。
トーチはそうして、トロカデロ広場まで運ばれた。式典はエマニュエル・マクロン仏大統領の開会宣言が終わり、いよいよクライマックスを迎えた。パリの夜空に輝きを放つエッフェル塔でライトアップパフォーマンスが行われる中で、再びジダンさんが登場し、真っ赤なスーツに身を包んだスペインが誇るテニスプレーヤー、ラファエル・ナダル選手にトーチを渡した。
ナダル選手はクレイコートが得意で、テニス四大大会でもローランギャロスのクレイコートで行われる全仏オープンを14度も制している。フランス国内でも抜群の人気を誇る。
ジダンさんからナダル選手にトーチが渡されるのは、実は伏線がある。2005年、「19歳2日」という年少記録で初めて全仏オープンを制した時も、トロフィーのプレゼンテーターは当時、現役選手として円熟期を迎えていたジダンさんが務めたのだ。
2人は当時のように笑顔で抱擁し合った。
その後、ナダル選手は再びボートに乗ってセーヌ川を渡る。
場面が変わってボート上に現れたのは、オリンピックのレジェンドたちだった。
過去のオリンピックで金メダル4個を獲得しているアメリカテニス界のスター、セリーナ・ウィリアムズさん(42)、1976年モントリオール大会で鮮烈なデビューを果たした「白い妖精」ナディア・コマネチさん(62)、そして、陸上男子100メートルや走り幅跳びなどで金メダル9個という驚異の記録を残したカール・ルイスさん(63)が姿を現した。
フランス開催のオリンピックなのに、4人のレジェンドはいずれも外国籍のオリンピアン。大いに盛り上がり、2024年パリ大会組織委員会の粋な演出だった。
その後、4人のセーヌ川航行でつないだバトンは、女子テニス界で数々の世界タイトルを獲得したアメリ・モレスモさん(45)に引き継がれる。
岸辺で待っていたモレスモさんは観客の声援を受けながら、セーヌ川沿いの道を走って、ルーブル美術館の敷地内へと入っていく。そこで待っていた、フランス国籍を持つベルギー生まれの米NBA元バスケットボール選手、トニー・パーカーさん(42)にトーチを渡す。
ここでも他の大会にはないリレー方式が演出された。モレスモさんはパーカーさんに聖火を引き継いだ後、リレーからフェードアウトするのではなく、一緒に他のランナーとともに伴走したのだ。この方式は聖火の点火まで繋がれていく。
その後、ルーブル美術館の敷地を出た聖火リレーは、隣接するチュイルリー公園内で行われ、2人の後はパラリンピアンのメダリストが相次いで登場した。
パラトライアスロンで東京大会金メダルのアレクシス・ハンキンカントさん(38)、パラ女子陸上競技で過去大会で金一つ、計四つを獲得し、フランス系マリ人のパラリンピアン、ナンテニン・ケイタさん(39)が走り、その後、現在、パリ・パラリンピック委員会の会長を務めるマリー・アメリ・ルフュールさんにつないだ。
ルフュールさんは事故で左足をひざ下から失った義足アスリートで、パラリンピック大会では短距離、走り幅跳び種目などで金3、計九つのメダルを獲得している。
フランススポーツ界が誇るレジェンドの聖火リレーはまだまだ続く。ハンドボール界からはフランス男子代表チームの一員で金3、計四つのメダリスト、ミカエル・ギグーさん(42)、フランス女子代表チームの一員で金1、計二つのメダリスト、アリソン・ピノーさん(35)がそろって登場した。
その後も聖火は次の人たちによってリレーされた。
- フェンシング界のレジェンド、ジャン=フランソワ・ラムールさん(68)
- 自転車競技の女子メダリスト、フェリシア・バランジェさん(53)
- 同じく男子メダリスト、フロリアン・ルソーさん(50)
- フランス初めての女子体操競技メダリストのエミリー・ル・ペネックさん(36)
- 柔道競技で日本のライバル選手でもあったドビド・ドゥイエさん(55)
- 柔道女子からは今大会も63キロ級に出場するクラリス・アグベグネノ選手(31)
- 仏水泳界からは男子メダリストのアラン・ベルナールさん(41)
- 同じく女子メダリストのローレ・マナドゥさん(37)
- 仏陸上界からは男子棒高跳びの選手だったルノー・ロヴィレニさん(37)
- 女子フェンシング界のメダリストで引退後は政界に進出し、スポーツ相を務めたこともあるローラ・フレッセルさん(52)
モレスモさんからフレッセルさんまでの計17人はそろいの白いフォーマルウェアを着て走ってきた。そして、一斉に足を止め、トーチを車いすに乗ったシャルル・コステさんに引き継いだ。
コステさんは2回目のパリ夏季オリンピックがあった1924年生まれ。第2次世界大戦後に行われた1948年ロンドン大会で自転車競技で金メダルを獲得している。
フランス国家最高勲章の「レジオン・ドヌール勲章」も授与されたレジェンド、コステさんはちょうど100歳を迎える今回のパリ大会を心待ちにした。オリンピアンの後輩たちに囲まれながら聖火リレーの大役を担い、3度目のパリ大会に花を添えた。
最後に現れたのはマリー・ジョゼ・ペレクさんと、パリ大会で8月2日に柔道男子100キロ超級の試合を迎えるテディ・リネール選手だった。
2人は一緒にトーチで点火し、聖火台に備え付けられていた気球がパリの夜空に舞い上がった。
開会式という聖火リレーのクライマックスでは、マスクマントマンや少年らも含め、ドゥブーズさんからペレクさん、リネールさんまで実に30人の手によって運ばれた。
こうしてオリンピックの開会を告げる点火式はフランスが誇るたくさんのアスリート関係者が登場し、スポーツの祭典が近代オリンピック誕生の都に再びやってきたことを祝福した。