――ウィキリークスが様々な情報を暴露した当時、吉永さんは日本政府で働いていました。
ウィキリークスが公開した情報がすべて真実だったのかどうかはわかりません。ただ、米国の安全保障に関するリソースの巨大さに驚きました。日本や韓国などの同盟国に対する表面的な接し方と水面下の対応には差があることも実感しました。いずれも想像していたことでしたが、実際に目の当たりにして改めて驚いた記憶があります。
また、米国の北朝鮮に対する分析を見た場合、地理的な距離のほか、宗教や社会、文化の土台が全く違うため、実態と少しずれた分析をしているという印象も持ちました。
――2006年に創設されたウィキリークスは1000万点超ともいわれる様々な機密文書を公開しました。
現在と比べると、当時はまだ政府機関の情報に対する安全管理が緩かった時代でした。機密文書を扱うパソコンは外部のインターネットと接続できないようにはなっていました。ただ、内部での作業の利便性を考え、職員同士がUSBを使ってデータをよく交換していました。USBを使えば、短時間で膨大な量のデータを手にすることができます。当時は、スマホで画面を写メすることも可能だったと思います。
でも、ウィキリークスの事件後、情報管理が格段に厳しくなりました。指紋認証型のUSBが登場したことを覚えています。本人でなければ、USBのデータを開くことができません。
パソコンも、USBでシステムから情報を取りだすと、どのUSBを使って取り出したのか自動的に記録されます。同時に情報が暗号化されるため、他のシステムではデータを開くことができなくなります。また、その部署で登録されていないUSBを使うと警報が鳴り、管理部門にすぐ通報が行くようになりました。USBの挿入口をふさいだパソコンもありました。
――印刷やスクリーンショット(画面を画像として保存すること)はできないのですか。
機密性が高い資料は印刷やスクショができない仕組みになりました。情報や機密を扱う部署の入り口にはスマホを預けるロッカーが設置され、持ち込みが禁止されました。ただ、ヒューミント(human intelligenceの合成語=人を介した情報収集)を扱う人々は、常にスマホが必要になります。個室を与えられた上級職の人間の場合、スマホを内部に持ち込んでもわからない場合があります。こうした問題に対応するため、スマホをパソコンの画面にかざすと、パソコン内蔵のカメラが反応して管理部門に警報が伝えられる仕組みも考案されました。
――現代では、情報の持ち出しは不可能なのでしょうか。
データの持ち出しは難しいでしょうが、記憶したり、資料を読み上げて録音したりするアナログ方式は可能でしょう。
また、「報告を受けるときはペーパーでなければダメだ」と主張する上司も大勢います。配布を受ける側は印字ができなくても、起草する側はプリントできないと仕事にならない場合もあります。今後、自らの権限と関係のない情報を大量に持ち出すことは難しいでしょうが、担当者や上部監督者が個人的な動機から組織を裏切って情報を漏洩する可能性は残っています。
結果的には、ウィキリークスが神経を遣ってきたとされる「(情報源の)匿名性の維持」は難しくなるのではないでしょうか。
――ウィキリークスのような内部告発のプラットフォームをどう評価しますか。
国家が保全の必要があると考え、法律で決めたものを、個人の思想信条を理由に勝手に漏洩することは国家の安全保障に脅威を与えることもあり、許されないと思います。
他方、組織内部の違法な行為や倫理観に反する行為を外部に明らかにすることは、公益通報として認められています。ウィキリークスのような存在があることで、国家が「問題がある仕事はやめよう」と考え、自浄作用が働くこともあるでしょう。米国のような超大国や中国のような専制国家が国民を抑圧する行為を働いた場合、問題を明らかにする民衆の抵抗権も認められるべきだと思います。
ウィキリークスのようなプラットフォームは長い目でみれば、存在価値があると言えるのではないでしょうか。