「デジタル立憲主義」とは、デジタル時代における立憲主義の役割を再構築し、捉えなおすことだと、考えています。人間の認知にまで影響しうるAIの登場で、議論の必要性はますます高まっています。
個人の権利を保護し、公権力を制限する。この二つが「立憲主義」の基本的な原則です。
デジタル化が進む中で権利と権力の関係にどんな変化が起き、新たな権利にはどのような保護が必要か。従来の規制や司法制度で対応できるのか、不十分な場合はどのような仕組みが必要か――。立憲主義の原則を現代社会でどう実現させるのか。
こうした点に焦点を当てるのが、デジタル立憲主義です。デジタル技術の発展に伴って生まれた新しい考え方ですが、原則を変えるものではありません。
近代立憲主義はおよそ200年前、欧州で君主制が崩壊する中で生まれました。これまでは主に国家権力を憲法で縛り、個人の権利を守ることを意味しました。デジタル立憲主義では、憲法が縛る範囲が国家を超えて広がっていると考えるのです。
1990年代からインターネットやデジタル技術が急速に広がる中で、最初の20年ほどは、公権力による規制は最小限にとどめ、民間企業を信頼し、開発を促すという自由主義的なアプローチが、欧米をはじめとする立憲民主主義社会の主流でした。
しかし、誰もが予測しなかったほどに技術は急速に進化し、ビッグ・テック、GAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック<現メタ>、アマゾン、マイクロソフト)と呼ばれるような民間の大手IT企業が巨大な力を持つまでに成長しました。
米情報当局に米IT大手が協力していたことを内部告発した「スノーデン事件」などで明るみに出たデジタル空間での公権力による監視の問題や、ソーシャルメディアでの誹謗中傷やヘイトスピーチの問題も起きました。
国家にも匹敵するほどの力を持つ民間企業の出現に、一定の制限が必要なのではないか――。デジタル空間における「デジタル自由主義」から「デジタル立憲主義」へ新しい権利と権力の関係について、移ってきたのが、この10年ほどです。
欧州では2010年代ごろから、デジタル空間における諸問題が、人間の基本的な権利に関する問題だという意識が高まっていきました。特に欧州司法裁判所が果たした役割が大きいといえます。2014年と2015年に下した二つの判決が代表的です。
前者は、グーグルで自分の名前を検索すると過去の不動産競売の情報が表示されるのはプライバシー侵害にあたるとして削除を求めた裁判で、初めて「忘れられる権利」が認定されました。後者では、欧州から米国に個人データを移すことを認める協定について、「米国はデータ保護が不十分」として無効と判断されました。
デジタル立憲主義への移行は、特に欧州で顕著ですが、これまで自由主義的な政策をとってきた米国でもAI開発の規制に関する大統領令が出されるなど、世界的な広がりになっています。逆に言えば、インターネットの強大さに気づくのに、20年かかったということでもあります。
欧州連合(EU)のAI規制法は、デジタル立憲主義の一つの形とも言えます。
この20年余りで学んだ教訓で、民間のIT企業がAIの分野でも重要な役割を担っており、個人の尊厳などの基本的人権を守るために一定の制限が必要だと気がついたからです。
ただ、個人情報の保護などを定めた一般データ保護規則(GDPR)やデジタルサービス法(DSA)などを含めたEUのデジタル立憲主義的な政策全体の一つのピースに過ぎません。AI規制法の役割を理解するには、ほかの法律にも目を向ける必要があります。
また、立憲主義の原則は明確ですが、原則を守るために実際にどう取り組むかについては幅があります。例えばイギリスに成文憲法はありませんが、立憲主義の国の一つと考えられています。
同様に、デジタル立憲主義にも様々な視点があります。私たちが「憲法」と呼ぶような文書がなくても、デジタル時代を生きる私たちの権利が守られるような取り組みは可能なはずです。