はじめに
いわゆる「日本版DBS」法案が一つの反対論もなく全会一致で賛成され、法律となった。これは、子どもを性犯罪から守るために、最長20年までさかのぼって性犯罪前科の有無をチェックし、該当者には教育や保育の現場での就業を制限する仕組みである(以下では単に「DBS」と略す)。
一言でいえば、性犯罪前科の有無で人を選別し、これを将来の性犯罪予防に利用しようとする仕組みだ。もともとイギリスの制度(Disclosure and Barring Service=前歴開示および前歴者就業制限機構)に倣(なら)ったものだが、議論されなかった問題点が多く、その運用についてもはたして実効性があるのかも懸念される。
子どもに対する性犯罪の卑劣さ、被害の重大さは言うまでもないことであるが、その対策として過去の前科情報を利用することが妥当かどうかが問題となる。本稿では、数々の疑問が晴れないまま成立したDBSの問題点を改めて整理したいと思う。将来の議論につながれば幸いである。
パンドラの箱が開けられた
民間に流れる前科情報
DBSで一番の問題点は、個人情報の中でももっとも慎重に扱われてきた前科情報が民間に流れるという点である。
たとえば、AさんがB保育園に就職を希望する場合、Aさんはこども家庭庁に戸籍情報を提供し、B保育園は同庁に前科照会の申請を行う。こども家庭庁は(前科情報を管理している)法務省に照会をかける。もしもこれに該当すれば、「犯罪事実確認書」がAさんに伝えられ、2週間以内に採用を辞退するなどすれば、B保育園には前科は伝えられない。
しかし、この仕組みは現職にも定期的に適用され、その場合は直接事業者に前科の有無が伝えられ、該当者に対し、事業者は配置転換や退職勧告などの措置をとらなければならない。
前科情報を管理しているのは検察庁(法務省)であり、検察庁は民間人からの個々の前科照会に応じることは絶対になかった。
また、市区町村には、選挙権や被選挙権の確認などに使うために、前科情報を記載した「犯罪人名簿」が備え付けられているが、これも極めて厳重な取り扱いとなっており、本人ですらも閲覧できない。DBSは、この仕組みを根本から変えてしまう。
法務省でしっかりと議論すべきだった
刑法第34条の2には、昭和22年(1947年)に作られた「刑の消滅」という制度がある。これは刑の執行後、最長で10年が経過すると、犯罪者の社会復帰のために前科が抹消されるという制度である。
一度犯罪に手を染めて刑務所に入れられても、ほとんどの人は再び社会に出てくる。問題はそのときに再犯をどう防ぐのかだ。大事なのは、住居と仕事の確保。そのいずれも前科が邪魔をする。
そこで刑法は、受刑後、一定の時間の経過によって前科を消すのである。これは戦後から現在まで、刑事政策の根幹をなす大原則である。この大原則が、こども家庭庁所管の発案によって、大きく修正されようとしている。このような法の作り方が可能なのだろうか。
刑罰の種類を決めているのは刑法だが、たとえばどこかの省庁が特別法を作って、刑罰として一定期間公園の清掃を命じたり、納税額を特別に増やしたりすることなど、刑法の根幹を修正するような立法はできない。
今回、刑の消滅という刑法の大原則が、こども家庭庁の提案で大きく変更されることになる。はたしてこのようなことが理論的に可能なのだろうか。
法秩序の頂点に立つ憲法に反する立法が不可能なように、刑事政策の根幹をなす刑法を大きく変えてしまうような立法は、法務省の審議会(法制審議会)で、刑法そのものの改正というかたちで議論すべきだったのではないだろうか。
国会審議の過程で法務省は、刑法34条の2の刑の消滅とDBSは矛盾せず、刑法が一定期間経過後に消滅させた前科を、その期間を超えて問題にすることには合理性があるとのことだったが、それ以上の説明は何もなかった。ある人には「法が情けをかけ」、またある人には「法が厳しく扱う」という、その区別について、納得できる理由を知りたいのである。
再犯率についての理解
エビデンスはあるのか?
DBSの出発点は、過去の性犯罪前科情報を、教育や保育の現場における将来の性犯罪予防に使おうとする発想である。それを議論するためには、社会一般における児童に対する性犯罪ではなく、教育や保育の現場において今までにどのような性犯罪が、どれくらい認知されているかのデータ、そしてそれについての初犯と再犯別のデータが必要だ。
しかし、おそらくそのような統計は存在しないだろう。
そのためいつの間にか問題が広がり、社会全体で子どもを性犯罪から守るために性犯罪前科情報を利用すべきだ、といった議論になっている。
重要なことは、刑務所を出た者が再び犯罪に手を染めないような社会をつくることであり、前科による選別は受刑者の改善、更生への意欲を削(そ)ぐだけではなく、矯正職員や矯正保護に携わる大勢の人たちの努力に水を差す。
立法はもちろん、あらゆる政策にエビデンスが求められる時代にあって、重要なデータもなく刑事政策の根幹が大きく修正されようとしている。
再犯率、まぼろしのデータ
一般に〈性犯罪の再犯率は高い〉と思われている。しかし何かの犯罪で検挙等された者が、その後再び犯罪を行うリスクがどの程度かは、前提条件を細かく設定する必要がある。
第一に、「再犯」とは、検挙されたことなのか、有罪判決を受けたことなのか、それとも刑務所に収容されたことなのか。どれを基準にするかで数字は異なる。
第二に、初犯と累犯とでは、犯罪傾向の強弱が異なるので、どの集団を調べるかでも数字は異なる。
第三に、調査期間の長短によっても再犯率の数字は増減するし、その間、センセーショナルな性犯罪が起きておらず、条文や取り締まり方針にも大きな変化がなかったことが必要である。
要するに再犯率は、このような条件設定を細かく行う必要があるので、そのデータは取られていないのである。
ただし、法務省が出している「令和四年版 再犯防止推進白書」ではつぎのような記述が見られる。
性犯罪の2年以内の再入率は2020年(令和2年)出所者で5.0%となっており、出所者全体(15.1%)と比べると、再犯率が高いとまではいえない。
ここで言う「再入率」とは、刑務所を出所した者が再び刑務所に戻る率のことであり、いわゆる再犯率に比較的近い数字と言える。「性犯罪」とは強制性交等・強姦・強制わいせつ[いずれも同致死傷を含む]のことだ。白書に記載されたとおり、「性犯罪の再犯率が高い」と言われているのはまぼろしだ。結局、客観的なエビデンスを欠いた発想が問題なのである。
効果は疑わしいが、副作用は甚大
DBSは広がる
示談などによる不起訴事案や少年時代の性犯罪などは前科記録の対象外であり、圧倒的大多数の「初犯」も前科がないので、DBSはこれらについてはそもそも無力である。初犯か再犯かに関わらず、性犯罪そのものの対策を講じるべきである。
しかし何よりも懸念されるのは、DBSが拡大されるだろうということだ。
学習塾やスポーツクラブなどに対してDBSは義務ではなく、任意の認定制度が適用されるが、「認定」はビジネスの競争上、当然に有利になるので事実上の強制となる。
また、子どもと密に接する職域であれば、DBSを教育や保育の現場に限定する理由も乏しい。すぐに思いつくものとしては、小児科医や産婦人科医、そこで働く看護師や職員などは、就業時はもとより定期的に性犯罪歴のチェックを受けることになるだろう。
さらに議論になっていないが、次のような問題もある。
法案における「児童」とは、18歳未満の者すべてである。学校等に通っているか否かは関係ない(法第2条1項)。一般に「児童」といえば、多くの人は小学生や幼稚園児などを思い浮かべると思うが、中学生や高校生、あるいは義務教育を終えて働いている18歳未満の者も「児童」である。
政府答弁では、子ども(児童)との密接な人間関係について「継続性」があり、指導など優越的立場の「支配性」、さらに他者の目に触れにくい「閉鎖性」の3要件があれば、性犯罪歴を確認する要件になるとのことである。
するといずれは、高校生をアルバイトとして雇っているコンビニやスーパー、書店、飲食店などのオーナーや従業員にも性犯罪歴の定期的なチェックが問題となるだろう。
こうしてDBSは、社会の広い範囲にじわじわと広がっていく。
性犯罪の対象も広がる
フェティシズム
議論の過程では、下着窃盗なども(DBSの対象となる)「特定性犯罪」に含めるべきだとの意見があり、法律の付帯決議にも明記されている。
何に性的興奮を覚えるのか(性癖)は、人によってさまざまだ。下着窃盗もそうだが、女性の靴や靴下、服に執着する者もいる(私の地元では以前女性用自転車のサドルが盗まれる事件が頻発したことがある)。それらは性的動機があっても、行為の客観的評価としては財産犯である。
とくに平成29年(2017年)11月29日の最高裁大法廷判決において、強制わいせつ(不同意わいせつ)罪については、原則として犯人が性的意図を満たそうとしたのか否かは重要ではないとの判断が出て、一般人がその行為に客観的に性的意味を読み取りうるのかどうかが問題とされた。この判例の考え方からいえば、一般人が理解しがたい異常性欲を性犯罪のカテゴリーに入れることは難しくなった。この点の縛りを外すと、「性犯罪」が際限なく広がっていくことになるのである。
下着窃盗を含める意味
下着窃盗を問題にせよという意見は、犯行の動機などを問題にして、(児童に対する)下着窃盗の再犯の可能性があるのか否かの判断を行うべきであるという主張だと理解できる。そうすると、他の「特定性犯罪」についても、さらに個別に具体的な動機を問題にするということでないと、一貫性が取れない。
たとえば、刑法第177条の不同意性交罪は配偶者に対しても成立するが、その動機を問題にするなら、この種の犯罪はおよそ児童に対する再犯の危険性があるとは思えない(このような性犯罪は他にもある)。
つまり、前科照会に際しては単純に罪名を問うのではなく、犯行の動機や意図など、個別具体的な判断を行うということでないと、法律としての統一性が保てないことになるが、そのようなことは実際上不可能だろう。
最後に、これだけは無視できない
「子どもの尊厳を守ることがまず必要だ」という大臣の言葉は、まったくその通りで異論はない。しかしそのために最長20年のむかしに遡って、性犯罪の前科者を教育や保育の現場から排除するという発想は、一見妥当なように見えて、実は非常に危うい要素を含んでいる。
DBSの大きな特徴は、現職にも(定期的な)前科チェックを求める点である。教育や保育の現場で働く人は230万人、これに学習塾や各種の習い事教室などを含めると、数百万人が対象となると聞いて、その多さに驚いた。ここには二つの重大な問題がある。
第一は、「特定性犯罪」の中には、条例違反(痴漢など)も含まれている。この場合は、10年前にまでさかのぼって前科チェックが行なわれる。
かりに10年前に痴漢行為で罰金刑が科されたが、その後猛省して真面目に働いている人も、突然過去がほじくり返されて、職場で「性犯罪者」として扱われる。10年間、問題なく働いている人のどこに「危険性」があるのだろうか。
第二は、冤罪(えんざい)の問題だ。かりに10年前に通勤途上で痴漢に間違われたが、無実を証明できず、また職場や家族に知られるのをおそれ、しぶしぶ罰金を納付した者の数がどれくらいあるかは分からないが、大きな社会問題になっているほどである。その人たちにも性犯罪の前科は残っている。しかし、名誉回復は絶望的だ。この冤罪の問題については何も議論がないが、こども家庭庁はどのように考えているのだろうか。
要するに、前科の有無に関わらず、性犯罪そのものの対策を議論すべきなのである。