田んぼにそびえる4階建ての灰色のビルには、窓がない。陰気な感じで、まるで刑務所のようだ。
ここペラパカン村は、インドネシアのカリマンタン(ボルネオ島)にある西カリマンタン州北西部の片田舎。民家や店を押しのけるように、同じようなコンクリートの建物が海岸線に沿って何百とある。どの壁にも、通気用の小さな穴がいくつも開いている。
いずれも、人の住まいではない。鳥のすみかなのだ。もっといえば、アナツバメが中に巣を作るためにある。
この村に住む政府職員のズルキブリ(56)も、2010年にこの巨大な鳥小屋を一つ建てた。中国への輸出用として収穫したアナツバメの巣を売り、副収入を得るためだ。インドネシア人の多くは姓がなく、ズルキブリの場合もそうだ。
巣は、主にアナツバメの唾液(だえき)でできている。中華料理では「燕(ツバメ)の巣」のスープは高級な珍味とされ、多くの中国人は健康によいと信じている。
アナツバメは、普通なら海岸にそびえる絶壁の洞穴に巣を作るため、その収穫はかなりの危険を伴う。それを、人工的な「わが家」に誘い込むにはコツがいる、とズルキブリは話す。「人間のお金持ち」のようにもてなし、快適さと安全を保証してあげることが大切という。
「快適さは、ほどよい温度を保つようにすればよい」とズルキブリ。「安全は、害虫や肉食動物が来ないようにすることで確保できる。ともかく、きれいにしてあげること。クモが出たって嫌がるんだ」
政府当局によると、インドネシアは世界で最も多くアナツバメの巣を輸出している。中でも、ペラパカン村がある西カリマンタン州のサンバス県(米国では郡ほどの大きさだろうか)は一大産地になっている。海岸に沿って湿地が広がり、エサとなる虫類が豊富だからだ。
アナツバメの巣の商売は、いいもうけをもたらす。もともとはココヤシとバナナの木が茂る過疎地だったこの地域に土地や建物を持つ人たちは、なんとかお金を稼ごうとし、巣作りビルの数はこの10年で5倍にも増えたとズルキブリは語る。
自宅の建物を改築して、上の方の階を巣作り用にあてた人もいる。窓をふさぎ、通気用の穴を開け、アナツバメがすめるようにした。
その習性は――虫を食べながらすごい速度で飛び、とてつもない距離を一日で移動する。あまり明るくなくても、自分が発する音波の反響で周囲を探知するエコーロケーション(反響定位)で方向を見定める。ズルキブリによると、巣作りの場所をひんぱんに変え、1年で最大三つの巣をつくる。
今や巣作りビルは供給過剰で、空き部屋が目立つようになった。「選び放題だね」とズルキブリは首を振る。
そこで登場したのが、録音データの再生。反響定位の際に出す舌打ちのような音を流しておびき寄せる手法が、競い合うように広まった。
巣は小さく、繊細だ。収穫する際は、気をつけてはがさねばならない。特殊なへらで壁から外し、きれいにする。傷のない白い巣が、最も高く売れる。
巣の盗難もよくある。ズルキブリは、もう20回もやられた。コンクリート製の壁を壊して侵入されたことすらあった。
普通なら、ヒナが巣立つのを待って収穫する。親鳥も幼鳥も、危害を加えられることはない。ところが、盗みに入る連中は早めに巣を奪いにくることがあり、孵化(ふか)したばかりのヒナを死なせてしまう。
ズルキブリの巣作りビルは高さ50フィート(15メートル超)。天井には木製のはりが縦横に交差し、そこに巣が作られる。どの通気口も害虫の侵入を防ぐ網目の布でおおわれ、湾曲した短いパイプにつながっている。明かりが差し込まないようにして、洞穴の薄暗さを再現するためだ。1階には水をためる部分があり、建物を冷やし、水浴び場にもなる。
アナツバメは最上階の長方形の開口部から高速で中に入り、各階に開いた8×10フィート(2.4メートル強×3メートル強)の四角い穴を通って下りていく。
よい収入源ではあるが、そうでなくても両親と同じようにもともと鳥好きだった、とズルキブリはいう。ハトを放し飼いにして育てていたし、ニワトリやアヒルといった家禽(かきん)類を食卓にのせることもなかった。
「アヒルや飛ぶことのできる生き物は食べなかった」とズルキブリ。「だから、鳥を守ってあげたいと思う。この家の周りにはさまざまな鳥が巣を作るけど、こいつなら大丈夫と思ってくれているのかもしれない」
アナツバメにしたって、自分の巣作りビルに落ち着いたらなでさせてくれる、とズルキブリは目を細める。
サンバス県のすぐ南にある沿岸都市シンカワンは、かつてはアナツバメの巣の主要な産地だった。しかし、今や子どもたちが巣立った家庭のような寂しさが漂う。
人口の多くを華僑が占め、街には仏教や道教の色鮮やかな寺院が目立つ。そして、今も巣の取引センターとして重要な役割を果たしている。収穫された巣はここで買い取られ、輸出するために500マイル(約800キロ)南の首都ジャカルタに運ばれる。
数十軒もの巣作りビルが、今もシンカワンには点在する。高いものだと、5階建てにもなる。しかし、人口が25万にも膨れ上がり、訪れるアナツバメはめっきり減ってしまった。
2010年ぐらいまでは、その姿はまだかなり見かけられた。市内に住むユスミダが、自宅の最上部にある二つの階をアナツバメの巣作り用に改築した年だ。しかし、数年後には市内で最大のショッピングモールがすぐ隣にでき、せっかくの「鳥の保育所」は空き家になったままだ。
「この10年、1羽も来ていない」とユスミダは嘆く。
市の郊外に農民のスハルディ(52)が巣作りビルを建てたのは、2000年のことだった。赤道から60マイル(約96キロ)ほど北側の地点で、この地域では先駆けとなる取り組みの一つだった。それだけに、その懐は10年以上もうるおった。
最盛期には、月10キロの巣を収穫し、2万ドルで売ることができた。この国の農民としては、巨額の稼ぎだった。それが、今は月1.4キロ弱しか取れず、1500ドルにでもなれば幸運だと思わねばならない。
巣作りビルが増えすぎたことにスハルディはあまり文句をいおうとは思わない。それよりも、アナツバメが必要とする生態系が破壊されていることが大きいと考えている。気候変動で温暖化が進み、アナツバメがえさをとる近くの密林はパーム油のためのプランテーション開発で伐採されてしまった。
「地球はどんどん暑くなり、太陽は焼けつくように照りつける」とスハルディ。「昔は、暑さをやわらげてくれる森があった。でも、それがなくなり、アナツバメのえさ場も消えてしまった」
政府が巣の輸出をジャカルタの一握りの業者にまかせるようにしたことも、生産農家の足を引っ張っている。かつて中国に直接輸出していたときと比べて、取引価格が下げられてしまったからだ。
「こんな状況になって、生産農家の多くがやめ、自宅や土地を安売りするようになった」とスハルディは憤る。
シンカワンの周辺では、多くの巣作りビルがガラ空きになった。人が住む家とは違って、どれも塗装はされていない。それが、陰鬱(いんうつ)な気分をさらにひどくする。
アナツバメをめぐる環境がすぐに改善されることはなさそうだと見たスハルディは、アボカドとドリアンを栽培することにした。
そして、こういい添えた。「でも、巣作りビルは、そのままにしておくよ。1カ月か2カ月ごとに、中を見回ろうかな」(抄訳、敬称略)
(Richard C. Paddock and Muktita Suhartono)©2024 The New York Times
ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから