動物園から逃げ出したオスのミミズク「フラコ(Flaco)」が自然の中で過ごした短い生涯は、「自由」がいかに大切であるかを示してくれた。それが危険と隣り合わせで、長続きはせず、最悪の結果に終わるかもしれないとしても、リスクを冒して飛び込むだけの価値がある、ということを。
米ニューヨーク・マンハッタンのセントラルパーク動物園を1年ほど前に飛び立ったフラコが、街で急死した。でも、その最後の生きようは古典の英雄物語にも匹敵するほど波乱に満ちており、すぐに忘れ去られることはありそうにもない。
フラコは、生まれたときから人間に育てられた。セントラルパーク動物園のおりの中で過ごした十数年は、とくに不自由はなかった。自ら何かを探し求める必要もない一方で、変化にも欠けた。安全だが、与えられるだけの生き方だった。
ところが、1年ちょっと前に、(訳注=何者かがおりの金網を破り)フラコは外に放たれた。
そして、2024年2月23日に急性外傷性損傷が原因で死んだ。マンハッタンのビルのガラスに激突したためと見られている。
その死は、多くの英雄が自らの人生を通じて示した問いを、私たちが思い起こすきっかけになった。自由に代わるだけの価値のあるものは存在するのか、という問いだ。
居心地のよいところに閉じ込められていたフラコは解放され、生涯の最後を自由に暮らすことができた。ただし、活気に満ちた大都会には、あらゆるところに危険があった。いったいその自由は、それに値するだけのものだったのだろうか。
おりから出たフラコは、すぐに希望のシンボルとなった。多くの人がその動きを追い、自らと重ね合わせた。
ある人たちは、フラコをアメリカンドリームの体現者と見なした。自由を求めて無一文でたどり着いた何百万人もの人々と同じように、フラコもよそ者としてマンハッタンにやってきて、自分の人生を切り開いた。
独りぼっちでも幸せになれる、という強いメッセージを感じ取った人もいる。何しろフラコは、西半球で自由に生きている唯一のユーラシアンワシミミズクだったので、野生の伴侶を探せる可能性はまったくなかった。
マンハッタンのイーストビレッジからアッパー・ウェストサイドまで、フラコが街を飛び回り、屋根の上のみならず横断歩道にまで出没すると、都会の危険にのみ込まれてしまうのでは、とみんなとても心配した。何しろ、おりの外で生きた経験は皆無だった。だから、ニューヨークっ子たちも、生き延びることはできないのではないかと初めは思った。
内臓に毒がたまったネズミを食べ、それがもとで死ぬことも恐れた。野生のメスのアメリカフクロウ「バリー」の先例があるからだ。
2021年に(訳注=セントラルパークで)作業用のトラックにひかれて死んだ。解剖の結果、食べたネズミを介して殺鼠剤(さっそざい)を大量に体内に取り込んだため、機敏性が失われていたことが疑われた。フラコも、同じように車にひかれてしまうのではないかと私たちは心配した。
2023年のクリスマスには、米紙ウォールストリート・ジャーナルが断固とした指令すら出した。「フラコを捕まえよ!」。編集者の一人は、「このまま自由に飛び回っていれば、殺鼠剤かもっとひどい災難が命を奪うだろう」と警告した。
しかし、フラコはそんなことにはお構いなしだった。動物文学では、いろいろな主人公――たいていはペット――が苦難の末にわが家に帰り着く物語が描かれる。しかし、フラコが動物園に戻ることは、決してなかった。自由な世界そのものが、新たに見つけた「わが家」だったのかもしれない。
みんな、フラコを心配してはらはらした。一方で、わくわくもした。
慣れ親しんだ安全な生活環境にひたりながら、より完全な自分を実現することに臆病になっている人は多いのではないか。いったいどれだけの人が、窮屈な生活を普通のことだと思い、自分の翼は何のためについているのかを考えなくなってしまったのだろうか。
フラコの超現実的にも見える姿の一つは写真にとらえられ、人間と立場が逆転したという事実を突きつけた。劇作家ナン・ナイトンの住むアパートの窓格子から中をのぞき込むフラコは、あたかも自分を見ている人間たちの方こそ、自らこしらえた鉄格子の中に閉じ込められている、と宣言しているかのようだった。
私たちはみな、今の暮らしを超えた生活にあこがれたことがないだろうか。それが単なる的外れな望みではないことを、フラコは見せてくれた。生き物はチャンスさえあれば、主体性を発揮し、自由に動ける道を選ぶのだという真実を再確認させてくれた。
傷ついた野生生物の保護と回復に関わる者として、あるいは鷹匠(たかしょう)や生態系の保全にかかわる生物学者として、筆者自身は数多くの事例を観察している。動物は、自ら選択するだけの力が回復したときは、自由に生きる存在となる機会をつかみ取ることを選んでいる。
コロナ禍が始まる少し前に、筆者と妻は死にかけていたアメリカオオコノハズクのひなの回復を助けたことがある。メスで、アルフィーと名付けた。飛び立つことができるまで元気になると、安全なすまいとなっていた囲いをしばし出たり入ったりしたものの、すぐにより大きな生き方を選んで飛び去った。
人間と、ミミズクを含むフクロウ科の鳥は数億年前、共通の先祖から枝分かれした。しかし、自分たちはいかなる存在として生を受けたのかを見つめ直す営みを好む傾向は、今も共通する真実であるように見える。
アイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イエーツは、「再生(The Second Coming)」と題した詩の一節で、こううたっている。「らせん状に旋回して飛んでいく鷹」(壺齋散人訳)に、地上にいる鷹匠の声はもう届かなくなってしまった、と。
古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩「イリアス」では、主人公の英雄アキレウスは長く平和な一生を拒み、栄誉に満ちた短い生き方を選ぶ。映画界の巨匠リドリー・スコットの「ブレードランナー」(訳注=1982年の米SF映画)も、普通の倍ほども輝く人生は、普通の半分の長さにしかならないとしている。神話の英雄ではない私たちだって、さまざまな選択を迫られながら生きている。
フラコのたった1年の自由な暮らしは、だれにもほとんど気にとめられなかったおりの中の安全な歳月よりも、はるかにスリルに満ち、私たちの心に響くものになった。それは、たとえ危険と隣り合わせでも、「自由」が選ぶに値することを証明したということではないだろうか。
フラコの悲報は、気味が悪いほどのタイミングで筆者にもたらされた。ちょうど、アルフィーの巣箱をちょっと手入れしているときだった。妻のパトリシアが家から出てきて、泣きそうな顔をしながら伝えてくれた。
死をもたらしたと見られる理由は、もっと悲しいものだった。米国だけで、毎年5億羽以上もの鳥がガラスに激突して死んでいる。対策があるにもかかわらずだ。
薄いカーテンを窓にかければよい。人間の目には見えない専用のステッカーを窓ガラスに貼ってもよい。鳥に優しい窓ガラスを業者に取り付けてもらうこともできる。しかし、あまりにも多くの窓が、何も対策をせぬままの危険な状態になっている。とくに、木や草を鏡のように映すガラスは最悪だ。
アルフィーも、少なくとも1回はガラスにぶつかったのを筆者は見ている。わが家の裏庭付近で今もよく見かけ、この春には6歳になる。もちろん、鷹や野良猫に狙われたり、車がスピードを出して走る道路を横切ったりするのが心配だが、どこをどう動くかの選択は、任せておくしかない。
アルフィーはこれまで、2羽の野生のオスとつがいになった。そして、筆者が手入れをしていた巣箱で10羽ものひなをかえした。その生き方はやはり、この世になぜ生を受けたのかを見いだすことが、それに伴う危険を超えて大切だと示しているように思える。
そして、その自由な精神を、私たちは伝えていこう。(抄訳)
(Carl Safina)©2024 The New York Times
※編注=筆者のカール・サフィナは生態学者で、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校で「自然と人間」についての寄付講座の教授をしている。最新の著書には「Alfie And Me:What Owls Know, What Humans Believe(アルフィーと私:フクロウとその仲間たちが知ること、人間が思うこと)」がある。
ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから