再生回数、4日で600万弱
夫の遺志を継ぐ決意の声明に涙はなかった。モスクワの街頭に立ち、若者たちを鼓舞し続けた夫の強い口調そのものだった。
ナワリヌイ氏の死が伝えられた3日後、ユリアさんは公式YouTubeチャンネルで約9分間のメッセージを世界に向けて投稿した。
濃青色のドレスに身を包み、両手を机の上に置いて、カメラをまっすぐに見つめ、こう切り出した。
「今日、このチャンネルで初めて皆さんにお話ししたいと思います。私はこの場所にいるべきではなかった。私の代わりに別の人がいるべきだった。しかし、ウラジーミル・プーチンによって殺されました。プーチンは私の子供たちの父親を殺害し、プーチンは私の最も貴重なもの、最も身近で最も愛する人の命を奪いました。しかしまた、プーチンはあなた方からもナワリヌイを奪ったのです」
アクセス数はまたたく間に上昇し、4日間で600万弱に達した。世界中のメディアが動画の内容を速報した。しかし、ユリアさんの言葉は全てロシア語だ。多くの視聴者が、プーチン体制に生きるロシア人のはずだ。
ユリアさんは、夫がいかに勇敢で信念の人だったのか? プーチン大統領がなぜ、彼を「殺した」のか?そして、極寒の収容所でどのように死を迎えたのかを訴え、自分の心情とこれからの行動をこう訴えた。
投稿には、プーチン大統領との闘争をやめなかったナワリヌイ氏の生前の歩み、笑顔で若者たちに寄り添う姿、2021年1月にロシアに帰国して治安当局に拘束される様子などの映像が編集され、ところどころに添付されている。ナワリヌイ氏の人生がどういうものだったかがわかる。
ユリアさん「ロシアの未来を取り戻す」
ユリアさんの訴えを翻訳して全て紹介したい。訴えは以下の通りだ。
永遠の冬の地であり、北極圏内にある極北の刑務所のどこかで、プーチンはアレクセイ・ナワリヌイを殺害しました。しかし1人の人間を殺したのではありません。彼と一緒に、私たちの希望、私たちの自由、私たちの未来を殺すことを欲したのです。
それは、ロシアが(プーチン体制とは)違う国家になりうること、私たちが強靭で、勇敢であること、私たちが違う生き方を望み、それを信じて必死に戦っていることを示す、何よりも代えがたい証拠を世から消し去り、無効化することでした。
私はここ何年もアレクセイと一緒にいました。選挙、抗議デモ、自宅軟禁、家宅捜索、拘束、刑務所、毒殺、再び集会、逮捕、そしてまた刑務所。これが2022年2月中旬に彼と最後に会ったときの最後の写真※1)です。そのちょうど2年後、プーチン大統領は彼を殺害するのです。
ここ何年も私はアレクセイの隣にいました。私は彼と一緒にいて彼をサポートできて幸せでした。
しかし、今日私はあなたと一緒にいたいと思います。なぜなら、あなたがたも私と同じように多くのものを失ったことを知っているからです。
アレクセイは3年間にわたる拷問と苦痛をうけ、刑務所で亡くなりました。彼はただ刑務所に拘置されていませんでした。ほかの受刑者のように拘置されていたわけではなかったのです。彼は拷問を受け、懲罰房のコンクリートの箱に閉じ込められました。
想像してみてください。この房とは6、7平方メートルの部屋で、小さな腰掛けや洗面台、トイレの代わりに床に開いた穴、そして横になれないように壁に固定されたベッド以外は何もありません。彼が所持を許されたのは、マグカップ、本(1冊)、歯ブラシだけで、ほかには何も持たされていませんでした。何百日も。
彼は虐待を受け、世界から切り離され、私や子供たちに手紙を書くための紙とペンも与えられませんでした。彼は飢えに苦しんでいました。3年間にわたる飢えです。
それでも、彼は諦(あきら)めなかった。それだけでなく、いつも私たちを支えてくれました。私たちを元気づけ、笑って、冗談を言い、励ましてくれました。
彼は一瞬たりとも、自分が何のために戦っているのか、何のために苦しんでいるのかを一度も疑いませんでした。私の夫は打ち砕かれることはなかったのです。それがまさに、プーチンが彼を殺した理由です。
(プーチンは)恥ずべきであり、臆病です。夫の目を見ることも、単に彼の名前を言うこともできないのです。そして、さらに卑劣でびくびくしている。彼らは今、夫の遺体を隠し、母親の面会も遺体の引き取りもさせようとしません。
彼らは情けないほど嘘をつき、プーチンの相も変わらない「ノビチョク」※2)の痕跡が消え去るのをまっているのです。
だからこそ私たちは詳細に知っているのです。プーチン大統領がなぜ3日前にアレクセイを殺害したのかを。私たちは必ず、誰がどのようにしてこの犯罪を犯したのかを突き止めます。必ず解明されるでしょう。私たちはその名前と顔を公開します。
アレクセイと私たち自身のために、私たちができる最も重要な事は、戦い続けることです。以前よりも大きな形で、より必死になって、より怒りをこめて戦いつづけるのです。
これ以上、(反体制運動が)大きくなることはすでに不可能かもしれないことは承知しています。それでも、大きくしなければならないのです。
一つの強い拳を握って皆で一緒に結集して、この狂った体制を叩きのめしましょう。プーチンに、彼の友人に、軍服を着た悪者たちに、そして、私たちの国を麻痺させた泥棒や殺人者に打撃をあたえましょう。
私は知っています。感じています。「なぜ彼は(ロシアに)戻ってきたのですか」という問いに、あなた方が苦痛を感じていることを。なぜ彼は、一度自分を殺そうとした者たちの手中に自ら身を投じたのだろう? なぜ彼はそのような犠牲を払ったのだろう?
彼は静かに暮らし、自分自身と家族のために生きることもできたのです。もう彼はしゃべることもできず、(不正を暴くための)調査にのりだすことも、声を上げることも、戦うこともできません。
しかし、彼には(平和に暮らすことが)できなかったのです。アレクセイは世界で誰よりもロシアを愛していました。私たちの国とあなたがたを愛していました。彼は私たちを信じ、私たちの強さを、私たちの将来を、そして私たちが十分に(国を)より良くすることを信じていました。
彼は言葉ではなく行動を信じました。彼の心はいつも奥深く、いつも誠実でした。だからこそ、自分の命を捧げる覚悟ができていました。彼が残した大きな愛は、私たちが彼の遺志を継いで行動を続けるのに十分なほどあります。アレクセイが示してきたように、(我々は)怒りをこめて、大胆に行動で示すのです。
今この時、誰もが考えています。この強さはどこで得られるのかを。そして、今後どのように生きていけばよいかを。
私たちは、彼の記憶、彼の理想、彼の思考の中にその力の源泉を見つけることができる。私たちに対して、尽きることがなかった彼の信頼の中に、自分たちの力を探し出していくのです。
アレクセイを殺すことで、プーチンは私の身体の半分と、私の心の半分、そして、私の魂の半分を殺しました。
しかし、私にはまだその半分が残っている。その残された半分の部分は、私は決してあきらめてはならないことを教えてくれています。
私はアレクセイ・ナワリヌイの活動を続けます。私たちの国のために一緒に戦いを続けていきましょう。私のそばに一緒にいてください。私たちのもとから決して消えない悲しみと終わりのない痛みを共有しましょう。
みなさまにお願いです。それだけでなく、私の怒りを共に抱いてください。私たちの未来をあえて殺そうとする者たちに対しての怒り、憎しみを抱いてください。私はアレクセイの言葉を使って皆さんに呼びかけます。私はこの言葉を心から信じています。
「たとえ、するべきことが少なくてもそれは恥ではありません、何もしないことが恥。自分自身を脅えさせることが恥なのです」
私たちにはあらゆる機会を用いる必要があります。戦争、汚職、不正と闘うのです。公正な選挙と自由な言論のために闘いましょう。私たちの国を取り戻すために闘っていきましょう。ロシアが自由にあふれ、平和であって、幸せに満ちていて、 夫が夢見ていた美しいロシアの未来を取り戻すために。それが私たちにとって必要なことなのです。
私はそんなロシアに住みたい。アレクセイとともに私の子供たちにはそんなロシアに住んでもらいたい。私は皆さんと一緒にそれを築きたい。 アレクセイ・ナワリヌイが生涯をかけて示そうとした尊厳と正義、そして愛に満ちたロシアを築きたい。
他の方法はありません。彼が払った想像を絶する犠牲は無駄にはなりえない。戦ってください。諦めないでください。私は恐れていません。 そしてあなたは何も恐れることはありません。(終わり)
ロシア語のコメント続々
この投稿にはすでに4日間で、10万件以上のコメントが付いている。ほとんどがロシア語だ。自分のアカウントで次々にコメントが書き込まれている。
裏切り者は許さない、プーチンに逆らう者は罰を与える――。ウクライナ侵略が継続され、ソ連時代に逆戻りしたような雰囲気の中で、ナワリヌイ氏とそのチームはさらに「過激主義」のレッテルがはられている。ロシアでは武装組織「イスラム国(IS)」やテロ組織「アルカイーダ」と同じ扱いなのだ。
当局に特定されれば、自分も「過激主義」のレッテルをはられ、投獄されて平穏な人生が失われるかもしれない。そうした中でコメントが絶えないのは異常事態だ。プーチン政権にとっては看過できない状況ともいえる。
コメントにはこうある。
「ユリアさん、私たちは一緒に歩んでいきましょう。あなたは私たちの唯一の希望です」
「強くなってください。ユリアさん。彼の犠牲は無駄ではありません。全てがうまくいくことを願っています。ありがとう。これからもあなたは私たちと一緒です」
「ユリアさん、あなたの言葉に心が震えました。なんと強い精神力なの。あなたが活動を続けるということ、心から感謝します。真っ暗闇に一筋の陽光が差し込んでいるようです。また涙が出てしまいました。でもそれは、今回は心のうちに沸き上がった希望からです。あなたの中にその強さが宿っています。あなたの眼差し、あなたの言葉、あなたの肉声を通じて、それを感じました。ありがとう。私たちはあなたと一緒です」
「アレクセイ・ナワリヌイはロシアの英雄だ」
「ユリヤさんはあなたは、自由のロシアのプレジデントです。アレクセイは生きている」
コメントのほとんどが、ナワリヌイ氏の死を悼み、ユリアさんの決意表明に感謝するものだ。「Мы с вами」(私たちはあなたと一緒にいる)というフレーズが最もあふれている。
かつて、ナワリヌイ氏と一緒に反プーチン運動を行った30代の女性は取材に「彼はロシアの歴史の中で神格化されるだろう」と語った。
プーチン政権が、「ナワリヌイ・ショック」を警戒しているのは明らかだ。ナワリヌイ氏の支持者たちや、権威主義のプーチン体制を嫌う者たちが次々に、ソ連時代の政治犯を追悼する記念碑に訪れて、国のために祖国の土となったかつての「闘士」にナワリヌイ氏の姿を重ねている。
政権は警察に記念碑の周囲にカメラをとりつけ、訪れる者全て名前を登録することにした。逮捕されたものは、ウクライナ南部・東部での前線へ派兵される召集令状を渡された者もいる。
「プーチンは泥棒だ」とさえ叫んでいたナワリヌイ氏とその支持者たちが動けば、抗議の炎が燃え広がる。2024年3月の大統領選挙を前に、プーチン大統領の権威に傷がつくことを恐れているのだ。
ユリアさんはナワリヌイ氏と同じ1976年生まれ。モスクワにある名門のプレハーノフ経済大を卒業し、モスクワの外国貿易会社に勤務。1998年にトルコのリゾート地でナワリヌイ氏と出会い、2000年に結婚した。娘1人と息子1人の2人の子供に恵まれた。
ナワリヌイ氏と出会わなければ、別の人生もあったに違いない。しかし、ユリアさんは脅しや抑圧には決してひるまない。夫の死後、アメリカのバイデン大統領とも面会を果たし、闘い続けることを誓った。
「私は夫を誇りに思っている。彼はいつだって良心に従って行動している。だから彼のおかげで私の人生は一秒一秒が幸せなのです」
夫を愛し続けたユリアさんの信念と勇気はいずれ、「プーチンのいないロシア」を導く日に達するかもしれない。そしてその時、ナワリヌイ氏の名と言葉は、弾圧と解放を繰り返してきたロシアの歴史に深く刻まれることになるだろう。