――ロシア連邦統計局の最近の発表によると、2023年のロシアの国内総生産(GDP)は前年比3.6%増だったそうです。侵攻を始めた2022年は前年比1.2%減だったので、ロシア経済は持ち直したようにもみえます。経済制裁は効いていないのでしょうか。
ロシア財政の根幹である石油ガス産業に対する経済制裁について説明しますと、そもそも石油ガス分野で欧米諸国がロシアに科した制裁の柱は二つです。一つはロシア産の石油を禁輸すること、もう一つは原油と石油製品の取引価格に上限を設けたことです。
欧米諸国が石油を禁輸しても、制裁に参加していない中国やインド、トルコは購入してしまいます。そこで、上限価格を原油であれば1バレル当たり60ドルと設定し、その価格を超えた場合には海上輸送に対する欧米企業によるサービス提供を禁じるという措置を発動しました。
規制対象となるサービスは海運業だけでなく、保険サービスも含まれています。分かりづらいので解説すると、原油を海上輸送するタンカーには複数の保険をかける必要があります。船の故障や戦争海域を航行する際の補償、港に接岸する際、油が漏れたり、設備を傷つけたりするリスクに備えるためです。
こうした保険の中でも巨額な損害賠償にも対応できる船主責任保険について、世界の市場シェアをほとんど握っている欧米諸国の会社に対し、上限を超える価格で取引された原油については保険を引き受けないよう義務づける内容です。
これにより、制裁に参加していない国々について、彼らがロシア産原油を買うにしても、そのサービスを受けるべく上限価格を超えない価格で買おうとする方向に誘導し、また、ロシア産石油を扱うことに対するリスクを高めることで、市場価格よりも値引きさせる材料を与えています。
中国やインド、トルコも、そもそも安く買えるのならその方が都合が良いので、ロシア産石油を買い叩(たた)くインセンティブを与えているのです。
――つまり、原油輸出を封じるよりも、安く売らせる仕組みを作って、ロシアの利益を押さえ込むという狙いなわけですね。
その通りです。ロシアから原油がまったく輸出されなくなってしまうと、石油輸出国機構(OPEC)が増産する見通しがない今、原油の国際価格は暴騰してしまいます。それは制裁をする側である欧米諸国にとっても「諸刃の剣」です。そうしたリスクを避けることもできる上限価格の設定は、これまでに試されたことがなかった、よくできた制裁設計と言えるでしょう。
西側の一部の国からは当初、上限価格をもっと低く設定するべきだという意見もありましたが、ロシアの原油生産コストは1バレル40ドルから48ドルと言われています。もし上限価格をもっと低くしてしまったら、ロシアにとってはあまりにもうけが少ないため、国際価格を高騰させることで収入を確保するべく、大幅な自主減産に踏み切るでしょう。
それは西側にとっても避けたいリスクであり、60ドルという価格設定はロシアがある程度の収入を見込める、しかし国際価格よりは低いために収入を断つことを可能にする絶妙な価格であったと言えます。
――肝心な制裁の効果ですが、どうでしょうか。
制裁自体は2022年12月に発動されたので、その効果は2023年のデータを見ることで明らかになります。この年の原油の国際価格の平均は1バレル当たり82ドルでした。これに対し、ロシア産原油(ウラル原油)は62ドルでした。
西側による石油禁輸や上限価格の設定が機能し、値引きしなければ売れない状況をロシアに課しているという点で効果を上げていると言えます。
2023年の輸出収入を実際の油価及び輸出数量から推計すると、ロシア産原油の輸出による収入額は1120億ドルと試算されます。日本円で約16兆円です。
この大きな金額だけを見ると、制裁の効果に疑問を持つかもしれませんが、仮に上限価格の設定などがなく、国際価格で輸出できたとしたら1500億ドルの収入になっていたと考えられます。制裁発動によって、実に25%、約5.6兆円も落ち込んだわけであり、欧米による制裁は効果を発揮していると言っていいでしょう。
――ロシアはこれについてどう考えていると思いますか?
ロシア政府はよく「ロシアは制裁下でも『友好国』への石油販売によってもうかっている」という趣旨の声明を出していますが、これはある意味詭弁(きべん)であり、ただの強がりです。
原油輸出による収入は、例えば平均油価が43ドルと低かった2020年だと724億ドルでした。2023年は62ドルで1120億ドル。これだけみたら増収しているように見えるわけです。重要なことは、過去との相対的な比較ではなく、「今」を見ることであり、国際価格では売ることができない状況に陥っているという事実です。
例えばサウジアラビアやほかの産油国は国際価格で輸出でき、ロシアよりももうけている一方で、ロシア産原油はロシアにとっての「友好国」によって買いたたかれている事実は無視するべきではありません。
――新たな制裁はあるのでしょうか。
上限価格の設定関連では欧米諸国は「制裁逃れ」に対する監視を強めています。アメリカによって2023年秋から、自国民を対象とする一次制裁から外国人も対象とする二次制裁への拡大が発動されています。すでに上限価格を上回るロシア産原油を積んでいたとして、アラブ首相国連邦(UAE)やトルコの船舶会社が制裁対象となりました。
アメリカのこうした動きに日本やその他G7諸国も追従していくことが予想されます。こうすることで、市場にロシア産原油に対する危機感を継続的に高め、中国やインド、トルコによるロシア産原油に対する値引きの材料を与えています。
他方で、このような二次制裁の拡大はいわゆる「影の船団」によるロシア産原油の輸出の流れを制限することにもつながる可能性があります。
影の船団とは、制裁対象になっているロシア産原油を運ぶ船ですが、船体が老朽化していたり、メンテナンスが十分ではなかったり、保険の補償内容も大手と比べて劣るというものです。
――ロシアの大きなもう一つの収入源は天然ガスです。こちらは制裁対象ではありませんが、ウクライナ侵攻後の状況はどうなっているのでしょうか。
おっしゃる通り、天然ガスもロシアにとって、石油と並んで重要な収入源の一つです。にもかかわらず、欧米諸国が天然ガスを制裁対象にしていないのは、天然ガスは世界を見渡しても現時点で供給余力があるのはロシアしかいないという事実があります。
禁輸対象になった石油や石炭はロシアの輸出量を代替できる資源国はあるのですが、ロシアが世界需要の3割を握っている天然ガスについては、そのような代替ソースはなく、これを禁輸してしまうと価格の暴騰が起きてしまいます。
実際、2022年8月にはロシアがドイツへの天然ガス輸出パイプラインである「ノルド・ストリーム」を止めたことで、欧州の天然ガス価格はバレル換算で600ドル近い史上最高値を付けてしまいました。
しかし、禁輸はされていないのにもかかわらず、ロシアの2023年の天然ガス輸出による収入を試算すると、前年比で89%減の220億ドル程度であったと考えられます。
――制裁対象になっている原油以上の落ち込みですね。
これもロシアとドイツを結ぶ天然ガスパイプライン「ノルド・ストリーム」をめぐる出来事が大きく影響しています。
先ほど申し上げたように、ロシアが2022年8月、「ノルド・ストリーム」経由欧州への天然ガス供給を停止しました。このパイプラインを運営するロシアの国営ガス会社「ガスプロム」によると、停止の理由は欧米制裁によってガスを送り出す装置が調達できず、止めざるを得ないという理由でした。
それから間もなくの9月下旬、「ノルド・ストリーム」と、それに並んで新たに敷設されたパイプライン「ノルド・ストリーム2」の複数箇所で何者かの仕業とみられる爆発が起き、ガスの供給が半永久的に断たれてしまいました。
ロシアに対する不信感、ロシア産天然ガスに対する危機感が急速に欧州諸国で高まっており、買い控える動きが現在も続いています。
ヨーロッパはロシア産天然ガスの最大供給先だっただけに、欧州最大の需要家であるドイツ向けのルートの破壊、そして、ソ連時代からの大動脈でありながら、戦場となっているウクライナ経由の天然ガス輸送ルートの制限、欧州諸国の自主的な買い控えによって輸出量が激減することになったのです。
――ヨーロッパの代替市場として考えられているのが中国でしたよね。新たなパイプライン計画はどうなっているのでしょうか。
「シベリアの力2」ですね。欧州への供給源であった西シベリアのガス田からモンゴルを経由して北京にいたるパイプラインで、数年前から構想としてはありますが、両国では依然最終的な合意にいたっていない状況が続いています。
ロシアは早く合意したいのでしょうが、中国がなかなか首を縦に振らない。背景はいくつかあって、まず脱炭素ために石炭から天然ガスにシフトしようとしていた中国ですが、国内の生産、海外からは複数のパイプラインと中東・オセアニア等からの液化天然ガス(LNG)による輸入によって需要が満たされつつある状況にあります。
また、今から新たなパイプラインを造ったとしても、稼働するのは早くて5年後の2029年頃になります。実はその頃には世界で新規のLNGプロジェクトが稼働し始めるタイミングに重なり、世界の天然ガス市場は供給過多になることが見込まれているのです。
もし中国が既存の「シベリアの力」に加え、「シベリアの力2」からの天然ガスをロシアから輸入すると、総輸入量に占めるロシア産ガスの割合は2030年頃には4割で最大となります。一国にこれだけ依存することの警戒感も中国にはあるとみられ、「シベリアの力2」合意に対するブレーキとなっているとも考えられます。
他方、価格面での交渉では中国はロシアに対して優位に立っています。2019年に稼働を開始した「シベリアの力」による天然ガス供給は、2014年のロシアによるクリミア併合直後、国際的に孤立する中で中ロが合意に至った契約でしたが、現在、中国にとって海外からの天然ガス輸入では最も安い価格での調達となっています。
「シベリアの力2」のガス価格も「シベリアの力」と同等又はそれ以下でなければ、中国は買わないでしょう。また、したたかな中国は、例えばロシアに対してガス田を要求することも考えられるでしょう。
――石油の制裁に話を戻します。主導しているのはアメリカです。制裁の効果についてアメリカはどう評価していると思いますか。
評価は高いでしょう。実際、アメリカ主導で始まった上限価格の設定措置によってロシア産原油は値引きされて売られており、ロシア政府の収入の減少を達成しているのは事実です。
また、ロシアにとっての「友好国」である中国、インド等をロシアに対する制裁サイドに巻き込んで、彼らにロシア産原油を買い叩かせることも実現しています。
ロシア産の石油・ガス離れが加速している欧州では、ロシアのものだった市場をアメリカ産石油ガスが席巻(せっけん)することにもつながりました。結果として、ロシア経済に打撃を与えるだけでなく、アメリカが経済的にも得をしている状況を生み出しています。
――今後の見通しを教えて下さい。制裁は今後もロシアを苦しめると思いますか。
ロシア産の石油・ガスは欧州での市場が失われ、値引きされた原油を世界に輸出せざるを得ず、天然ガスについても中国などに同様に値引きを迫られるであろうロシアは苦しくなる一方であることは確かです。
ただ、欧米制裁はあくまでロシア・ウクライナ戦争において、ウクライナに物事が有利に働くことを目指すものであり、完全にロシア経済をまひさせるものではないのも事実です。特にロシアはエネルギー資源や食料を自給自足できる国であり、制裁に対する耐性も強い国でもあります。
ウクライナ侵攻から丸2年、対ロ制裁は石油禁輸というロシア財政の「本丸」にまで及んでおり、新たな制裁メニューは出し尽くされた感もあります。欧米の採ることができる方策も限られており、現在の制裁をいかに強化し、世界に遵守させていくのかという段階に移っています。制裁効果はあっても期待したほどではないような批判も出てくる可能性があるでしょう。
ただ、それでも、欧州市場を失い、石油ガスでは買い叩かれていく状況に変わりはなく、かつてのロシア、エネルギーの輸出で羽振りのよかった「在りし日」のロシアには戻ることは、この戦争が終わり、失われた欧州の信頼を回復するという極めて難しい問題を解決しない限り、ないでしょう。