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「地下」にも住まいの可能性?建築に新しい論理を 渡邊大志・早稲田大学准教授

World Now 更新日: 公開日:
渡邊大志・早稲田大学創造理工学部建築学科准教授=2024年1月、東京都新宿区、大牟田透

空へ高層へと伸びてきた住まいや建築を見直す機運があります。国内私立大学では最も伝統があり、建築デザイン重視の教育を掲げる早稲田大学建築学科の渡邊大志准教授(建築社会論)(43)は、一つの可能性を「地下」に見ています。気候危機対策で建築の世界はさまざまな素材や工法を導入しようとしていますが、建築を「消費」してきたあり方自体に疑問を呈し「従来の延長ではいけない」という渡邊さんに聞きました。(聞き手・大牟田透)

地下空間は根源で、最先端

オーストラリアの地下ホテルのロビー=ロイター

――オーストラリアには日中45度を超す暑熱を避けて住民の半数が地下で暮らす鉱山の町があり、北欧フィンランドのヘルシンキは、地下利用の基本計画を作ったと聞きます。渡邊さんも地下空間に関心を寄せているそうですが、なぜですか。

地下空間の断熱性能はとても良く、人類は元々洞窟に住んでいました。室内を適温に保つための温熱負荷やミサイルが飛び交う世界情勢といったことを考えると、20世紀文明が対象としてこなかった場所まで含め、根源でもあり最先端でもある地下の可能性は豊かです。

そこで、地下掘削時に建物の主構造を支える本設杭を使うことで、住宅スケールでも敷地いっぱいに安価に地下を作れる工法を開発しました。

重機で最初から本設杭を打ち込む渡邊さんのオリジナル工法=リンクアーキテクツ提供

ヘルシンキには居住していましたが、自然の中に都市があり、都市の中に自然があります。森のキノコは誰でも取れるといった権利が認められていて、「公共」の概念に結びついています。地下空間は公有地でなくてもコンサートなどに使われています。日本でも地上と地下の所有権を別にするなどして、使い方が立体的になると面白いでしょう。

完成した住居の地下空間=リンクアーキテクツ提供

――建築全般の気候危機対応については、どのように考えていますか。

建築の世界で20世紀最大の発明は超高層ビルですが、エネルギー消費も膨大になりました。それが顕著になるのは都市部なので、環境や住まいを語る大前提も都市ですが、一つの都市内だけで考えるのではなく、地球全体の中でのバランスで考えるべきです。今言われているSDGsやカーボンニュートラルはもちろん大事ですが、「各論」にとどまっているのではないでしょうか。

もう一つ、そうした「各論」が基本的には「もうかる論理」から出てきています。新しい市場を生み出そうという原理が全くないというわけにはいきませんが、あたかもそれが「もうかる論理」との決別であるように見せかけていくのはまずいのではないでしょうか。

――では、どうすべきなのでしょうか。

都市部、非都市部という二項対立を超えたフィールドを用意した上で、ビルや住宅とかを考えなければいけません。

それに、すでに気候変動は起きています。気候変動以前に考えられた建築の生産プロセスや都市建設の論理、経済の論理ではなく、新しい論理が必要です。

20世紀、都市の論理から脱却を

――米同時多発テロで超高層ツインタワーの100万トン以上の質量が一気に崩落し、爆発的なエネルギーを放出した様子は大変象徴的に感じました。しかし、ニューヨークではその後も超高層ビル建設が続き、ビルの重さが地盤沈下を招いているとの研究も発表されています。

すごく共感します。20世紀の都市の論理は、お金を稼げる床がビル全体の何パーセントを占めるかという「床貸し」の論理です。大げさに言うと、それを続けていると人類はいずれ滅ぶのではないかと思っています。

私は、床面積ではなく建物の体積で貸したいと考えています。中に入ったテナントがほしい床を好きなところに入れるようにし、1立方メートルいくらと値段をつける。同じ10メートル角でも横700立方メートルと縦700立方メートルができて、これは同じ値段だと。例えば、そんな経済世界ができるとだいぶ変わると思っています。今は水平に延びていくインフラと垂直なビルが、バラバラの論理で動いています。

今の動きに疑問を感じるのは、今あるビルを壊して建て替えるというような、何かをあるいは誰かを犠牲にして一部が生き残っていく論理、自然に対して抵抗するという概念で全てを構築していく論理は全然サステナブルでないと考えるからです。

高層ビルが爆発したように煙りをあげて崩壊している写真
米同時多発テロで崩壊するツインタワー=ロイター

――能登半島地震で、都市化は周辺の切り捨てではなかったかと感じました。

知り合いの実家も半壊し、緊張した正月になりました。私は福井で育ちましたが、三十数年ぶりに帰ってみると友人が住んでいた家も全部空き家でした。

農村でこの50年ぐらいに起きたことが、これから都市で起きます。私たちはサステナブルな社会や都市という時、ゼロから建設される都市や維持されている都市を考えがちですが、放棄された都市をどうするか。私たちは何の戦略も持っていません。なぜなら、都市は常に発展していくものだという前提でとらえているからです。

「建築はゆっくり使えばいい」

先日、ドイツの先生に講義してもらったのですが、イタリアの1000年前の建築がどう使い回されて今に至っているか、それが都市をどう変えてきたかという話でした。「建築は1000年前からサステナブルだった。ゆっくり使えばいいのに、急いで使うからあなた方のような社会になるのだ」と指摘されました。

日本は木造文化だったからではなく、戦後、消費社会というのを植え付けられたからスクラップ・アンド・ビルド社会になっています。電気もガスも建築も消費するという論理になると「ゼロエミッション(排出ゼロ)住宅でやってください」とかいう話になります。そうした個別のことも大事ですし否定するわけではありませんが、もう少し根本のところを見ていかないといけません。

――そんな状況で、建築家として何をしたいですか?

1960年代、70年代の建築家は、戦後にできた基盤の上で活躍しました。例えば、工業化で住宅を安く大量生産するという基盤です。しかし、人口は減って空き家がいっぱい出ています。基盤が壊れているのに、私たちはその上に建てる論理しか習ってないし、教えていない。そのことにすごく危機感を持っています。

だから基盤から作らなければいけませんが、それには答えがありません。100年後も残っていたら基盤として正解だったということなので、こんな基盤もあるんじゃないかという私たちなりに考えたものをトライアルとして見せていくことしかできないのだろうと考えています。地下空間の利用もそうですが、まねる人が出てくれば多分成功ということになるのだと思っています。