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不法入国者らをルワンダに移送するイギリスの計画が物議 「ルワンダは安全」は本当か

World Now 更新日: 公開日:
イギリス海峡に面した南部ダンジネスの浜辺を歩く、移民とみられる人々
イギリス海峡に面した南部ダンジネスの浜辺を歩く、移民とみられる人々=2023年8月16日、イギリス南部、ロイター

イギリスでは近年、難民の保護を求める人々が急増。難民申請者の数は2022年、8万9000人を超えた。 その半数近くは、小さなボートに乗ってイギリス海峡を渡り、非正規の方法で入国しようとした人だったという。イギリスは対応に苦慮し、イギリス世論は沿岸警備の強化と渡航者の保護とに割れた。

同年4月にボリス・ジョンソン首相(当時)が、非正規にイギリスに入国した人々を含む難民申請者らをイギリスからルワンダへ移送する計画を発表すると、この計画は物議を醸し、法的な異議申し立ての対象となっている。UNHCRも、本移送は難民条約の明らかな違反だと表明した。

イギリスによる非正規入国者のルワンダ移送計画

その計画はどのようなものだったのか。

イギリスBBCなどによると、計画では2022年1月1日以降にイギリスに不法に入国した人は誰もがルワンダに移送される可能性がある。ルワンダで審査手続きを経て難民申請が認められれば、ルワンダ国内にとどまることができる。

難民申請が認められない場合も、申請に基づいて滞在を続けられる。もしくは安全な第三国に再度、難民申請できる。

いずれの場合も、難民審査や保護はイギリス政府から資金援助を受けたルワンダ政府が行い、認定を待つ人がイギリス本土に滞在することはなくなる。

イギリスが難民申請者らを移送しようと計画しているアフリカ東部ルワンダは、イギリスから約6500キロ離れている
イギリスが難民申請者らを移送しようと計画しているアフリカ東部ルワンダは、イギリスから約6500キロ離れている

計画には、小さなボートに乗ってイギリス沿岸部から非正規に入国を試みる人たちを抑止する狙いがあったという。

ルワンダ政府の説明によると、ルワンダ人は誰もが難民になって土地を追われた経験があるので、イギリスからの難民申請者の受け入れに深い理解を示している。 その上、ルワンダは隣国コンゴやブルンジなどから13万人の難民や移民も保護してきた「安全な国」だという。

イギリス政府は「ルワンダは安全」の一点張り

イギリス政府もルワンダが「安全な国」という主張を繰り返し強調している。

ジョンソン首相は2022年4月、ルワンダが「世界で最も安全な国の一つであり、移民を温かく受け入れて社会に溶け込ませる実績で世界的に知られている」と発言した。

同時期に、ルワンダとの移送協定を締結した際に、イギリスの内務大臣も「既存の移民対策は失敗している。世界的な移民危機と不法移民への対処法には、世界をリードする新たな解決策が必要だ」と述べた

しかし2022年6月、難民申請者をルワンダへ空路移送する第1便が、出発直前にキャンセルされた。欧州人権裁判所から移送を差し止めるべきだという判断を受けたからだ。

ジョンソン氏の後任のスナク首相も続けて、ルワンダが「安全な国」と主張し続けたが、イギリスの最高裁判所は2023年11月15日、ルワンダを安全な第三国と見なすことはできないと判断した。 またルワンダに強制移送された人々が、同政府によって安全ではない場所に送られる可能性があると信じるに足る「相当な根拠」があるとも指摘した。

イギリス政府は移送先のルワンダで難民申請者の手続きを行わせるために、2023年末までにルワンダに2億4000万ポンド(約445億円)を支払った。2024年には更なる支払いが発生するという。

「難民を歓迎します」という横断幕を掲げてイギリス政府のルワンダ移送計画に抗議する人々
「難民を歓迎します」という横断幕を掲げてイギリス政府のルワンダ移送計画に抗議する人々=2022年12月19日、ロンドンの王立裁判所前、ロイター

確かに、ルワンダ政府の人権状況は悪名が高い。

移送計画が実施されようとした前年の2021年、イギリスは国連人権理事会で、ルワンダで市民的および政治的権利とメディアの自由の制限が続いていることに懸念を抱いていると述べた。 国際人権団体も最新の報告書に、ルワンダが国外で敵とみなされる批判的な人々を追及し、抑圧し、時には暗殺している「国境を越えた抑圧」の国だと指摘した。ルワンダが英連邦に加盟した2009年にも、ルワンダの人権状況は疑問視された。

これらの事実と報告にもかかわらず、イギリス政府は2023年12月5日、難民申請者をルワンダに移送する協定をルワンダ政府と締結した。

協定には、ルワンダに移送された人々が、命や自由が脅かされる国に送還されないよう保証すると明記された。翌日にイギリス政府が提出した新しい法案「ルワンダの安全(庇護と移民)」には、「すべての政策決定者は、ルワンダを安全な国として決定的に扱わなければならない(Every decision-maker must conclusively treat the Republic of Rwanda as a safe country.)」と明記されていた。

法案の内容が「十分踏み込んだものになっていない」と批判したロバート・ジェンリック移民担当相が、同日、辞任した。

またスナク首相は同日、「私たちは、最高裁が提起した問題を改善するために迅速に行動し、ルワンダが単なる安全な国ではなく、近代的で繁栄した国であることを証明しました」と述べた。 しかしその根拠は示されていない。

BBCが入手した首相官邸の書類によると、スナク氏は財務相時代に、ルワンダ移送計画でイギリスへの不法入国を止めることができるのか疑いを抱いていたという。また別の政府書類には、 「ルワンダは比較的平和な国だが、現政権への政治的反対、異議申し立て、言論の自由をめぐる人権状況には問題がある」と記されていた。 つまりイギリス政府はルワンダ計画には問題があることを認識していたものの、スナク氏は首相として、保守党内の圧力を受け、本計画を最優先事項の1つに掲げたのだ。

ルワンダ移送計画の背景

イギリスが難民申請者の移送先にルワンダを選んだのはなぜか。

その背景には、トニー・ブレア首相(1997~2007年)の影響があったと思われる。ブレア氏は約20年前、タンザニアにイギリスの難民申請を処理するよう説得したが失敗した。 同時期に、氏は1994年のジェノサイド後のルワンダとの関係を発展させた。

ブレア氏は首相退任後の2008年以降、カガメ大統領の無償のアドバイザーとして活動してきた。

1994年より前のルワンダはフランスと緊密な関係を築いていた。が、ルワンダ現政府は、ジェノサイド前とその最中にフランスが当時のルワンダ政府を支援し、ジェノサイドに対するフランスの責任を非難したことで、両国関係は冷え込んだ。

また2006年、フランスの判事が、ルワンダのジュベナル・ハビャリマナ大統領機の撃墜(1994年)を実行した疑いのあるルワンダ人9人に逮捕状を発行したことで、ルワンダは2006~2009年、フランスと国交を断絶した (本大統領機の撃墜事件はジェノサイドの直接的なきっかけとなったと言われる)。この間に、ルワンダは外交の重心をフランスからイギリスに移した。

イギリス訪問中のルワンダのカガメ大統領(左)と会談するイギリスのスナク首相
イギリス訪問中のルワンダのカガメ大統領(左)と会談するイギリスのスナク首相=2023年5月4日、ロンドン首相官邸、ロイター

イギリスは今や、アメリカに次ぐルワンダの最も重要な同盟国だ。

ルワンダは隣国ウガンダと一緒にイスラエルと秘密合意を結び、2013~2018年に、イスラエルからエリトリアとスーダンの難民申請者約4000人を受け入れた。その大多数は、ルワンダ到着から数日以内に陸路で隣国ウガンダにこっそりと移送された。 その後、ドイツとオランダまで逃亡した人もいる

続いて2021年、デンマークは難民申請者をルワンダに移送する政策を追求した最初のEU加盟国として、それを可能にする法律を可決した。が、強制送還を行わず、その後、イギリスはその主導権を握った可能性がある。

ルワンダ野党政治家「ルワンダは難民申請者の場所ではない」

イギリス議会で激論が続く中、2023年12月8日のBBCの番組「Hard Talk」で、ルワンダの野党リーダーのビクトワール・インガビレ氏が登場し、「ルワンダは貧しく、難民申請者に満足できる生活状態を提供できず、また政府が難民申請者を他国に送還しない保証はない」、そして「ルワンダ人は本協定に怒りを抱いている。2020年以降、政府は補償や土地収用のないまま、キガリの貧困層を強制退去した。このような国内問題を解決せずに、どうやってイギリスからの難民申請者を受け入れることができるのか」と述べた。

イギリスのラジオ番組に出演したルワンダ野党政治家のビクトワール・インガビレ氏

インガビレ氏は現在、ルワンダ政府の政策や過去の問題に異議を唱える唯一の野党政治家だ。2010年の大統領選挙に出馬するために、長年生活していたオランダから単身帰国した。ルワンダに到着した日にジェノサイドの犠牲者を追悼し、ツチがその犠牲者だと認めつつ、フツの犠牲者の記念碑がなぜないのか質問した。それは、ルワンダ政府の通説「ツチに対するジェノサイド」に挑戦するという重大な意味を持つ。

氏は自身の野党登録ができないまま逮捕され、8年間刑務所で過ごした。ジェノサイド・イデオロギーを助長し、分裂主義を扇動し、国を不安定化させる武装集団を結成した罪で起訴されたが、本人は容疑を否認した。

国際人権団体も裁判には欠陥があったと報告し、 アフリカ人権裁判所も、政府がインガビレ氏の自由に意見を述べる権利を侵害したと裁定した。

ルワンダの野党リーダーのビクトワール・インガビレ氏
ルワンダの野党リーダーのビクトワール・インガビレ氏=2018年9月15日、ルワンダ首都キガリ、ロイター

氏はカガメ大統領から恩赦を受けて2018年に釈放された。が、政府の許可なしに出国する自由もなく、自分の政治的権利を行使することも、政党を承認してもらうことも、支持者に会うこともできない。

前述のBBCのインタビューに続いて、インガビレ氏は12月12日のガーディアン紙に、「新しい『ルワンダ合意』は、ルワンダ人にとって衝撃的だった。ここは難民申請者の場所ではないことはわかっている(The new ‘Rwanda deal’ was a shock to Rwandans. We know this is no place for asylum seekers)」という題で投稿した。

氏は、「ルワンダは政治的権利や市民的自由が制限され、自由な国ではない。ルワンダに移送された人には、これらの制約のために真の解決策は提供されない。ルワンダは(中略)難民も生み出している」と書いた。そして本協定はルワンダ議会・社会でも議論されず、他のルワンダ人も本協定に反対しているがルワンダ政府を恐れて公言できないという。

この一連の発言と投稿の後、インガビレ氏はルワンダの大統領補佐官から「自国と同胞に戦争を仕掛けた」と非難され、生命に対する脅威の警告を受けたと報じられている

ルワンダ政府を恐れるルワンダ出身難民たち

ルワンダは1959年の「社会革命」以降、13万~50万人のツチ難民、そして1994年のジェノサイド中とその直後に200万人のフツ難民を生み出した。ポール・カガメ大統領や彼の側近も、1959年以来、約30年間、難民として隣国ウガンダで育った。

ただほとんど知られていないことは、1994年のジェノサイド以降も、ツチ・フツともに、多数のルワンダ人が国外に逃亡し続け、彼らの多くが帰還を断固拒否していることだ。

筆者は、彼らが祖国に帰還しない理由を調査するために、アフリカ、ヨーロッパと北米在住のルワンダ難民86人にインタビューしたことがある。

ルワンダへの帰還を断固拒否してきた理由は、1990年代のルワンダ内戦とジェノサイド時に、住民を組織的に大量殺戮したルワンダ愛国戦線(RPF、ルワンダ現政権)に対してだけでなく、現在もさまざまな形でルワンダ人や外国人を脅迫しているルワンダ政府への強い恐怖とトラウマを持ち続けているからだ。

前述の1959年と1994年の難民でルワンダに帰還した人の中で、本人、あるいは身近な人がルワンダ政権から脅迫を受けたり、殺害された疑いがあったり、失踪するなどの経験を受けて、再び難民になった人もいる。

ルワンダ難民の中には、ジャーナリスト、人権活動家、教師、政治家、公務員、軍人、司法官など国の頭脳として働いていた人がいる。それに加えて、カガメ大統領の元側近の諜報員、秘書、運転手なども逃亡し、その一部が現政権に反対するさまざまな政治組織を結成している。

ルワンダ政府は難民コミュニティーを不安定化させ、沈黙させるために、難民を追跡し、恐怖心を植え付けているのだ。

イギリスにも、ルワンダ元政府高官の難民がいる。

カガメ大統領の元ボディーガードは、2000年、スパイ容疑でイギリスへの逃亡を余儀なくされ、2011年と2018年にルワンダ政府から暗殺脅迫を受けた。スナク首相の「ルワンダは安全な国」宣言後、イギリスはかつてないほど、ルワンダの独裁者の前に従順になり、安全ではないと痛感し、国を離れる可能性について述べた

その他、ルワンダ政府が同難民を誘拐し、裁判や虐待を受けるために帰還させたケースもある。映画「ホテル・ルワンダ」(2004年)の主人公の元ホテル支配人ポール・ルセサバギナ氏も、2020年にドバイで拉致されてルワンダに連行された。

同氏は反政府勢力を支援したとして、禁錮25年の有罪判決を受けた。 フツのルサセバギナ氏は、ツチ数百人をホテルにかくまって助けたが、その後にカガメ副大統領(当時)を批判してベルギーに亡命。氏は同国の国籍を取得したが、氏の逮捕に関してベルギー政府の反応は鈍かった。

ルワンダ政府の元要員でない難民でさえ、在外大使館員などからルワンダに帰還するように脅迫を受けたり、強制的に帰還されたりしたことがあり、その過程で殺害されるケースもある。

法廷で弁護士と話をする元ホテル支配人ポール・ルセサバギナ氏(中央)。ハリウッド映画「ホテル・ルワンダ」(2004年)の主人公のモデルにもなった
法廷で弁護士と話をする元ホテル支配人ポール・ルセサバギナ氏(中央)。ハリウッド映画「ホテル・ルワンダ」(2004年)の主人公のモデルにもなった=2020年10月2日、ルワンダ首都キガリ、ロイター

難民を政治利用してきたルワンダ政府

ルワンダ現政府は1996年以降、コンゴ難民を、そして2015年以降、ブルンジ難民を難民キャンプなどで保護してきた。

その他、2019年から2023年3月まで、リビアから空輸されたアフリカ人移民(主にエリトリア、ソマリア、スーダン、エチオピア、南スーダン、カメルーン、ナイジェリアとチャド出身)1600人も受け入れた

その2年前、欧州を目指すアフリカ人移民が集まるリビアの「奴隷マーケット」で、移民が一1人400米ドルで売られているというCNNの報道が世界に衝撃を与えた。 そこへ、ルワンダの外務大臣は彼らに避難所を提供すると発表したのだ。

しかし、ルワンダ政府は少なくともコンゴ難民を保護しているどころか、これまで2回殺害したことがある。

1回目は、1997年8月と12月、コンゴとの国境に近いムンデンデ難民キャンプが襲撃され、コンゴ難民計600人が殺害された。当初、ジェノサイド加害者で構成されたフツ反乱軍が、難民キャンプ在住のツチ系コンゴ難民を殺戮したと言われていた。 しかし、元ルワンダ政府諜報員らの証言によると、ツチ主導のルワンダ軍が、敵(フツ反乱軍)が実行したと見せかける偽旗作戦として実行したのだ。

当時、同難民キャンプにいたコンゴ難民によると、襲撃後、ルワンダ軍の将軍が、14歳以上の若い男性を集めて、フツ反乱軍への復讐のために軍に入隊するように告げた。その呼びかけで、難民は、ルワンダ軍が本襲撃を使って、難民の徴兵とコンゴへの再侵攻を達成したかったと疑った。

2回目の事件は、2018年2月、コンゴ難民キャンプで起きた食糧配給の削減に抗議するデモに対し、警官が発砲して難民12人が亡くなった。外務大臣は、「難民は反乱を起こし、極端に暴力的になり、人質をとろうとしている」と非難したが、難民は非武装だった。 実は難民は食糧配給の削減だけでなく、収容所のように管理されたキャンプ生活に嫌気をさし、コンゴに帰還しようと歩いていたところ、警官に射殺されたのだ。

一般的に、難民が自ら望んで祖国に帰還することはよくあることだ。では、なぜルワンダ政府はコンゴ難民の帰還を妨げたのか?

それは、同政府が難民キャンプを開設した1996年以降、キャンプを特に軍事目的に利用してきたからだ。難民キャンプは、徴兵、コンゴ東部の紛争地の後方基地、また戦闘員の休息のためにルワンダ軍にとって都合の良い場所だったのだ。 だから、難民が帰還されると政府にとって困るのだ。

まとめると、ルワンダ国内に帰還した元ルワンダ難民、コンゴ難民と野党政治家、そして国外在住のルワンダ難民にとって、ルワンダは安全ではないどころか、最悪の場合、致命的に危険な国だ。

それゆえ、イギリスは安全ではない移送先との協定は即、破棄すべきだと考える。