記憶力や集中力、意思決定といった認知機能に深刻な問題を抱えているという米国人が、この15年間のどの時期よりも多くなっている。米国勢調査局のデータから、そんな状況が見えてきた。
この増加は新型コロナウイルスの大流行とともに始まった。思考に「深刻な困難」があると答える労働年齢の成人数は、推定で100万人増加した。
現在18歳から64歳の成人のうち、歩行や階段の上り下りに問題があると回答した人と、認知機能に重度の困難があると回答した人の数は、国勢調査局が2000年代に毎月この質問を始めて以来、初めてほぼ同じになった。
増加に拍車をかけているのが若年成人層だ。
研究者らによれば、この急激な増加は、極度の不安感など新型コロナ大流行の様々な影響に加え、若年成人のごく一部とはいえ、かなりの数の人たちが新型コロナの長期的な後遺症を訴えていることを反映している可能性が最も高いという。
しかし、研究者らは、増加の背景にあるすべての理由を完全に解明することはまだ不可能だとも言っている。
データを分析したニューヨーク連邦準備銀行エコノミストのリチャード・デイツは、この増加の多くは新型コロナ感染症の後遺症の増加によると指摘。「この種の数字は、今回のように突然増え始めるということはない」と言っている。
国勢調査は月例の人口動態の抽出調査で、記憶力や集中力に深刻な問題があるかどうかを尋ねている。この質問か、日常生活に困難があるかを尋ねる5問の質問のいずれかに「はい」と答えた場合、その人は障害があると定義される。
質問は障害者手帳の申請とは無関係なので、回答者がどちらか一方に「はい」と答えても経済的なメリットはない。
2020年初めの調査では、何らかの障害を抱える18歳から64歳の米国人は1500万人に満たないと推定されていた。それが2023年9月までに約1650万人に増加した。
増加分のうち、3分の2近くは思考の制限があると新たに報告した人だ。また、国勢調査の推計値だと、視覚障害や基本的な用事をこなすことが著しく困難な成人の数も増加していた。
より高齢で労働年齢にある米国人について言えば、新型コロナの大流行が、数年にわたって続いていた障害の報告率の低下傾向に終止符を打った。
認知機能に関する問題の増加は、新型コロナの後遺症が長期化した人の多くに共通する症状「brain fog(ブレーンフォグ=脳の霧)」と一致する。
(サンフランシスコの)ベイエリアに住むソフトウェアエンジニア、エマニュエル・アギーレ(30)は、2020年末に新型コロナに感染した。
1カ月も経たないうちに、彼の人生は変わってしまったという。「ずっと二日酔いみたいな状態で、酔っぱらってハイになって、脳がまったく働かないような気分だった」と彼は振り返る。
彼は、仕事は何とかリモートワークでこなしたが、デートも、ビデオゲームも、小説を読むこともやめた。身体的な症状のいくつかはやがて和らいだが、脳の霧は長引いた。ある時は消え去るが、数日後には再び彼を襲った。
認知機能障害は「新型コロナ後遺症の特徴」だと博士のジャド・アル・アリは言う。セントルイス退役軍人医療施設の研究開発主任で、セントルイスにあるワシントン大学の臨床公衆衛生研究者だ。
研究によると、新型コロナに感染した人の約20%から30%には、数カ月後に何らかの認知障害が起こると推定され、それには軽い症状から衰弱まで含まれる。
研究はまた、新型コロナ後遺症患者を含む感染者の中には、セロトニン(訳注=脳内の神経伝達物質の一つで、精神を安定させる働きがある)のレベルが低下するなど、認知に関連する部分で、ウイルスによって明らかな生体学的変化が起こることも明らかにした。
「これは、ただぼーっとするということではなく、基本的には脳の損傷だ」と医師のモニカ・ベルドゥスコ・グティエレスは指摘する。テキサス大学サンアントニオ校健康科学センターのリハビリテーション医学部長だ。「神経血管に変化がある。炎症が起きているのだ。MRI(磁気共鳴画像)でも変化が見られる」と言う。
報告されている認知機能障害が、なぜ若年成人に多くみられるのかは明らかではない。
しかし、バンダービルト大学医療センターの神経心理学者で医師のジェームズ・C・ジャクソンの話だと、より高齢の人は、新型コロナ感染以前から加齢に伴う認知機能の低下があった可能性が高いという。若い世代では、認知機能の変化が「はるかに際立つ」のだ。
テキサス大学サンアントニオ校健康科学センターの神経学教授で医師のガブリエル・デ・エラスクィンは、「新型コロナ後遺症は若年者と高齢者では異なる症状を示すことが多い」と言う。
彼の研究によると、新型コロナ後遺症関連の認知障害を抱える高齢者は、より記憶に関連した問題が多いことが判明した。しかし、若年成人では注意力や集中力に問題があることが多く、場合によっては思考に影響を及ぼすほどの疲労や痛みを経験している。
ヘザー・カー(31)はニューヨーク州シラキュースで農業機械の部品を販売していたが、2度の新型コロナウイルス感染でほとんど寝たきりになり、基本的な思考をまとめることもあまりできなくなった。
彼女は車を運転している時でも目を覚ましていることが困難になり、結局は仕事を辞めざるを得なかった。
「今は、考えようとすると泣いてしまう」と彼女は言い、「脳がショートしてしまうのだ」と話していた。
新型コロナ大流行の間、カーのように障害を抱えて失業するか労働力から除外されている働き盛りの米国人の数は、ほぼ横ばいで推移していた。
しかし、国勢調査のデータによると、障害を持ちながらも就労している労働年齢の米国人の数は、推定で150万人増加した。
新型コロナ流行の間に労働市場が逼迫(ひっぱく)し、リモートワークによって柔軟に働けるようになったことで、コロナ流行以前から障害を抱えていた人たちも職に就きやすくなった。また、より多くの労働者が、新たに国勢調査が定義した障害を抱えながらも、離職しなかったようだ。
これは、これまで社会保障制度の障害者認定申請件数が比較的微増にとどまっていたことの説明になるかもしれない。
新型コロナ後遺症が障害者増加の唯一の要因ではないだろう、と指摘する専門家もいる。
国勢調査のデータで報告されている若年成人の認知障害の有病率は、パンデミック以前の数年間、緩やかに増加していた。
障害データに関する専門家らは、増加の原因とみられる多くの要因の中でも、子どものADHD(注意欠陥・多動性障害)と自閉症の診断が増えたことが、より多くの人が自分の認知障害を認識し、申告するきっかけになったかもしれない、と話す。
そして、コロナ大流行の間、米国人は1人で過ごす時間が増え、うつ病の発症率が高くなり、より多くの精神科薬を処方されるようになったとの報告がある。
「コロナの大流行は世界を変えた」と前出の神経心理学者ジャクソンは指摘し、「人びとが抱えている精神衛生上の問題のすべてが、認知機能に影響を与えていると思う」と言う。
若年成人層は、より高齢な成人層よりもはるかに多くの精神的苦痛を経験しているようだ。そして、精神衛生状態の悪化は認知機能の低下と関連している。
ギャラップ社の世論調査によると、コロナ前は比較的似通っていた年齢層別のうつ病発症率が、コロナ大流行中には45歳未満の成人で急上昇し、45歳以上では横ばいのままだった。
ニューヨークに住む34歳の俳優クリステン・カーボーンは、新型コロナが襲来した時に不安と抑うつ症状が急激に高まり、記憶力が低下し始めた。
彼女の症状は国勢調査で問われる「深刻な困難」にまでは至らなかったものの、コロナ以前に経験したどの症状よりもひどかった。そして、彼女はコロナ陽性と診断されたことはないため、感染症が原因ではないだろう、という。
副業である給仕の仕事では、それまでならそらんじていたお客の注文も、すべてメモしておかなければならなくなった。
「すぐに処理しなければ、忘れてしまう」と彼女は言った。
精神的な健康は戻ったが、記憶力や集中力は回復していないのだ。
ワシントン大学の精神医学・行動科学教授で医師のマーガレット・シブリーは、新型コロナ流行のストレスがADHDのような既存の症状を悪化させた可能性があると指摘した。
「その人が極度の強迫観念や緊張にさらされていれば、症状は一時的に悪化するかもしれない」
専門家たちは、すべて自己申告に頼っている国勢調査のデータは、人びとの健康状態に変化がなかったとしても、彼ら自身の認知に関する認識の変化を反映している可能性もある、としている。
研究者らによると、障害のある人は、社会が以前より障害を受け入れるようになったことに注目し、国勢調査の質問により正直に答えるようになったのかもしれない。
精神疾患や発達障害に関する動画がネット上で拡散したことが人々に自己診断を促すことになったため、一部の若者たちは、障害研究者らが言うところの「コロナ下での神経多様性に対する認識と受容の高まり」に影響を受けたのかもしれない。加えて、ADHD治療薬の広告も増えた、とシブリーは指摘する。
「誰もが、『この広告をオンラインで受け取っている』と言っていた」とシブリー。「それを受け取った個々人が誰でも、自分はADHDだと信じ込まされるような代物だった」と彼女は言うのだ。
しかし、こうした認識の変化が数字に与える影響は比較的小さいだろうと、ブランダイス大学のルーリー障害政策研究所長モニカ・ミトラは言っている。彼女によると、増加の大半は、おそらく人びとの健康状態の実際の変化を捉えているという。
「私たちは社会としてこの問題を真剣に受け止める必要がある」とミトラは言う。「こうした人たちが誰なのか、どのような影響を受けているのか、そして私たちに何ができるのか、それを理解する必要があるのだ」と彼女は続けた。(抄訳)
(Francesca Paris)©2023 The New York Times
ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから