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15歳で失った指、つかんだ夢「もうひとつのWBC」出場 身体障害者野球の土屋来夢さん

People 更新日: 公開日:
世界身体障害者野球大会の日本代表チームに、東日本から唯一選ばれた千葉ドリームスターの土屋来夢選手
世界身体障害者野球大会の日本代表チームに、東日本から唯一選ばれた千葉ドリームスターの土屋来夢選手=2023年8月20日、千葉県市川市、渡辺志帆撮影

――土屋さんは小学生でジュニアの日本代表に選ばれるほど野球が上手で、情熱を傾けていたんですね。

そんなたいしたものじゃないですけど(笑)。甲子園に出るとかではなく、高校球児に憧れて野球をやっていたので、高校まではちゃんと野球をやろうと思っていたんです。その矢先にけがをしちゃったんですけど。

――高校の野球部に入部してまもない頃の事故だそうですね。

高校に入学した直後の8月でした。夏の大会が終わり、3年生が引退した直後で、新チーム体制になってこれからだという時にけがをしてしまったので、心残りでした。事故の後、指を切断しないでいいよう先生方も手を尽くしてくれましたが血が通わなくなり、入院して2、3週間くらいして、親とも相談して切断を決めました。

――右手指を切断した、その数カ月後の年末には身体障害者野球の千葉ドリームスターの見学に来たそうですが、その間はどんな思いで過ごしていましたか。

利き手が(指を失った)右だったので、入院中に利き手の交換をすることになって、はしを持ったり字を書いたり、やったことないことをやることになり、とてもじゃないけど野球どころではありませんでした。

日常生活だけでなく、大学に行けるのかとか、結婚できるのかとか、これからどうなるのか、将来に対する漠然とした不安もありました。

入院中は、夏の甲子園のテレビ中継を見ていたんです。特に意識していたわけじゃないけど、今思えば、やっぱり自分は野球が好きなんだなと思います。

身体障害者野球チーム「千葉ドリームスター」の土屋来夢選手
身体障害者野球チーム「千葉ドリームスター」の土屋来夢選手=2023年8月20日、千葉県市川市、渡辺志帆撮影

でも利き手を失うことは、右投げが左投げになるということで、「到底無理だ」と思って、野球は終わりかな、と思っていました。スポーツは何かやりたいなとは思っていて、サッカーとか手を使わない競技ならできるかなとか考えて過ごしていましたね。

そんな中で、父が(身体障害者野球チームを)ネットで探して連れて行ってくれました。

――その時はどんな気持ちでしたか。

最初は全然(見学に)行く気がなくて、「無理やり連れて行かれた」という表現がぴったりなくらいでした。僕の中で気持ちの整理ができていなかったのかもしれません。本当に嫌々でした。

でも実際に見てみたら、いろんな障害や年齢の人がいて、正直言って、すごく下手くそなんですよ。

今まで自分がやっていた野球とは比べものにならないくらい下手なんですけど、みんなすごくキラキラしていて、キャッチボールもぽろぽろこぼして、「ごめーん」とか言いながらボールを追いかける姿が、楽しそうだったんです。

身体障害者野球チーム「千葉ドリームスター」の土屋来夢選手
身体障害者野球チーム「千葉ドリームスター」の土屋来夢選手=2023年8月20日、千葉県市川市、渡辺志帆撮影

その時はまだ自分がやろうとは思わなかったですが、こういう世界があるんだなとか、片手でボールを取って片手で投げる動作をしている方を見て、自分は右手が使えなくなってしまったので、こうやってやるんだなとか思いながらベンチに座って見ていましたね。

――見学の後、お父さんとどんな話をしましたか。

帰りの車の中で、父からは「今までやってきた野球のレベルと違いすぎるよな」「ちょっと(野球に復帰するには)早かったかな」などと言われたような気がします。

でも僕の中では、直感的ですけど、この野球をやった方が今後の人生を考えた時にいいなと思ったんです。義足の方でも野球できるんだとか、こうやれば片手で投げられるんだとか、すごいなあと心打たれたし、自分はこの野球をやるべきだなとビビッときたんです。だからレベルの高い低いなんて関係ないと思いました。

――年明けに再びチームの練習に参加した時には、利き手ではない左手で捕球して投げることができていたそうですね。

学生なので冬休みもあるし、正月あたりから父と家の近くの公園で練習しました。まだチームには入っていなかったけれど、やる気はありましたね。まずはやってみようかなというか、自分のリフレッシュになればいいなと思っていました。

身体障害者野球チーム「千葉ドリームスター」の土屋来夢選手
身体障害者野球チーム「千葉ドリームスター」の土屋来夢選手=2023年8月20日、千葉県市川市、渡辺志帆撮影

――入団から8年たって初めて日本代表に選ばれました。心境を教えてください。

去年の夏の終わりごろ、日本代表に選出するという通達が自宅に届いて初めて知りました。

身体障害者野球を始めた当時から日本代表チームがあるのは知っていましたし、憧れはありましたが、自分のように利き手を交換した人が到底なれるものじゃないと思っていました。

でも、月日がたつにつれて自分のスキルが上がって、だんだん夢が目標に変わってきました。周りからも期待されて、自分でも日本代表になって一つ区切りというか、助けてもらったいろんな人たちに、ここまで頑張れるようになりましたよという証しにはなると思っていました。

世界身体障害者野球大会の日本代表チームに、東日本から唯一選ばれた千葉ドリームスター副主将の土屋来夢選手
世界身体障害者野球大会の日本代表チームに、東日本から唯一選ばれた千葉ドリームスター副主将の土屋来夢選手=2023年7月、福島市、日本身体障害者野球連盟の白石怜平さん撮影

やっと日本代表になれて、ほっとした部分もありますし、父母やチームのみんな、今まで助けてくれた人たちが、自分以上に喜んでくれたのがうれしくて、やっててよかったなと思います。

――日本代表選手はどんな人たちですか。

選手は全部で15人いるんですが、20代後半から30代中盤くらいで、年齢層は比較的若いです。24歳の僕が最年少で、最年長のキャプテンは今年で50歳です。

身体障害者野球を代表するような面々、うまい人が集まっていますから、普通の野球と変わらないくらいのレベルです。すごいなと思いますし、そこに選ばれたんだなぁという思いもあります。

世界身体障害者野球大会の日本代表チームに、東日本から唯一選ばれた千葉ドリームスター副主将の土屋来夢選手(中央)
世界身体障害者野球大会の日本代表チームに、東日本から唯一選ばれた千葉ドリームスター副主将の土屋来夢選手(中央)=2023年7月、福島市、日本身体障害者野球連盟の白石怜平さん撮影

――身体障害者野球はバントと盗塁、振り逃げが禁止で、ボールは軟式球を使うということですが、普通の野球とどんな点が違って、どんな点が面白いですか。

スクイズを含めてバントなし、盗塁なしというのは、下肢障害の人が多いためです。

それから足が悪いバッターの代わりに、足が元気な人が走ってあげられる「打者代走」の制度は身体障害者野球ならではだと思います。バッターボックスの後方に控えていて、バッターが打った瞬間に走ります。強いチームになれば、足の速い選手が代走として送られるので、手ごわくなります。

身体障害者野球で独特の「打者代走」ルール。バッターボックスの後方に代走者が控える
身体障害者野球で独特の「打者代走」ルール。バッターボックスの後方に代走者が控える=2023年1月29日、松山市、日本身体障害者野球連盟の白石怜平さん撮影

キャッチャーに下肢障害があった場合、俊敏に動けないので、体の一部にでもボールに触れれば捕ったと見なす、というルールもあります。触れずに後ろにそれてしまった場合は、走者は一つだけ進塁できます。

片手で捕って片手で投げる動作そのものも、普通の野球にはないと思います。人それぞれですが、僕はグラブのヒモをなるべくゆるめたり、深く手を入れると抜けにくくなるので浅くしたりして、やりやすいような形を自分で模索してやっています。

通常の守備範囲のたとえば半分しかカバーできない選手がいれば、チーム内で共有して「ここはお願いします。ここは僕が頑張るから」とお互いに補い合うところも魅力だと思います。

世界身体障害者野球大会の日本代表チームに、東日本から唯一選ばれた千葉ドリームスター副主将の土屋来夢選手
世界身体障害者野球大会の日本代表チームに、東日本から唯一選ばれた千葉ドリームスター副主将の土屋来夢選手=2023年7月、福島市、日本身体障害者野球連盟の白石怜平さん撮影

塁と塁の距離やストライクゾーンは普通の野球と同じですし、ほとんどルールが変わらないので、練習試合も健常者のチームとやる方が多いです。

――身体障害者野球を知らない人に見てほしい点は?

視覚的には、グラブスイッチだとか、義足の方が走っていたりするところかなと思います。

最初はそうしたプレーの部分から見てもらいつつ、選手一人ひとりに、どんな経緯で障害を負ったのかとか、どんな背景があるのかといったストーリーがあるので、そこまで掘り下げて見てもらうと、より面白くなるのかなと思います。

世界大会ポスター。身体障害者野球の特徴がテキストでも表現されている
世界大会ポスター。身体障害者野球の特徴がテキストでも表現されている=日本身体障害者野球連盟提供

――土屋さんは、指を失った右手でもボールを投げられるようになったそうですね。

はい、遊びでやっていたら3、4年前くらいからできるようになってきました。両手どちらでも投げられるとプレーの幅も広がります。指がないから握り替えの難しさがあったりするんですが、ずっと右でやってきたので、(利き手の)感覚はあるんです。

8年前の事故で指4本を失った土屋来夢選手の右手。数年前からボールを投げることもできるようになった
8年前の事故で指4本を失った土屋来夢選手の右手。数年前からボールを投げることもできるようになった=2023年8月20日、千葉県市川市、渡辺志帆撮影

日本代表で利き手を交換した人は、僕以外はあまりいないようで、みんな投げることにハードルが高くないんです。そこで張り合ってもしょうがないので、右でも左でも投げられるんだぞ、というのは僕のアピールポイントの一つです。

――日本代表に選ばれてから土屋さん自身に変化はありますか。

レベルが高いので、もっと自分も頑張ってレベルアップできるところがあるんじゃないかと思って、打つ方も守る方も、よりよくするためにどうしたらいいか、いろいろ考えたり、アドバイスをもらったり、試しながら、今できるいいプレーを目指そうと思って練習しています。

日本代表になれたことで気づきもあったし、良い経験です。けがをしてよかったとは言えないですが、けがをしたことによってできたこと、出会えた人たち、経験、そういうのは、今の自分にとってはかけがえのないものだし、けがをする前とした後では、成長した部分もあったのかなと思います。

日本代表を目指してきて、達成できた、有言実行できたところも自分としてもうれしいです。

――平日はフルタイムで会社に勤めていて、野球の練習ができるのは週1回だそうですが、練習は楽しみですか。

楽しみですね。

何事もそうかもしれませんが、野球を続けていくと、楽しいよりも苦しい、きついという場面が増えますよね。でもそれがリセットされて、またもう一回野球をやると、「意外と自分は野球が好きだったんだな」と思ったんです。野球を始めた幼い頃の、楽しいからやってた時を思い出すというか、違った形で味わっています。

身体障害者野球チームは年齢がバラバラなので、それがまたいいと思います。バラバラでも同じ目標に向かって取り組んで、みんなで喜んだり、悔しがったり。いい年した大人がこれほど熱くなってやること、なかなかないと思うんです。それも一つ、面白いところです。

世界身体障害者野球大会の日本代表チームに、東日本から唯一選ばれた千葉ドリームスター副主将の土屋来夢選手
世界身体障害者野球大会の日本代表チームに、東日本から唯一選ばれた千葉ドリームスター副主将の土屋来夢選手=2023年7月、福島市、日本身体障害者野球連盟の白石怜平さん撮影

大人になって、考えることも増えました。

自分の障害を分かる人は、自分しかいないんです。同じ障害を持っている人は僕しかいないというところで、自分で模索して、マネして、いろいろやってみて、自分が一番やりやすい形を見つけていかないと、この野球はなかなか難しいところがあります。

――高校時代の野球とは違った気づきがあるんですね。

普通の部活って、「やらされてる」部分もあったりしますよね。当時と今の自分を比べた時にそこが大きな違いかなと思います。そこが逆に面白いというか、唯一無二の自分にしかできないことは何かとか、自分だからこそできるプレーって何だろうとか考える。そこが気づきとしてはありました。

親指一本で投げることもそうだと思います。でも、できないものはできないので、何かいい方法を考えたり、長所をどうやって伸ばすか、自分の体と相談したりしながらやっています。

――世界大会は五つの国と地域の代表チームによる総当たり戦だそうですが、世界大会での抱負を教えてください。

チームとしては優勝を掲げています。日本代表はベンチ入りを含めて15人で、2日間の大会で4試合を戦います。結構タフなので、総力戦で、誰も欠けちゃいけないと思っていますし、誰が試合に出てもみんなできる選手がそろっているので、与えられたところで一生懸命やるだけです。 

個人的には、いろんな人が見に来てくれるので、その人たちのために自分の持っているものを表現して感謝の気持ちを表現したいですし、まだ身体障害者野球を知らない人にも知ってもらえる、きっかけになるような大会にしたいです。

けがをした9年前、両親が病院までバスと電車で片道1時間半くらいの道のりをほぼ毎日、面会に来てくれました。大変だったろうなと思いますし、父も母も僕には見せなかったけれど、僕よりいろんなことを考えてつらい思いをしていたかもしれません。

いろんな人に助けられて今があります。ありがたいことです。日本代表に選ばれて両親は本当に喜んでくれましたし、大会当日は泣いちゃうかもしれないですね(笑)。