日本では毎年、百数十人がサッカーのプロ選手、Jリーガーになる。日本サッカー協会の高校世代の登録選手は1学年でおよそ5万人~6万人。全員がプロを目指すわけではないが、プロになろうとするのなら、その道は狭く、険しい。激しい競争を乗り越えてプロになっても、華々しい成功が約束されているわけではない。年俸100万円以下の選手もいるし、突然のけがでキャリアを失う選手もいる。引退後の仕事は、選手本人だけでなく、その家族にとっても重要だ。野球と並んで日本の人気スポーツであるサッカーでは、プロ選手の平均引退年齢が26歳ともいわれ、引退後の人生は長い。
Jリーグは2002年、「キャリアサポートセンター」を発足させて、元Jリーガーの再就職のあっせんに踏み出したが、10年ほどで頓挫した。関係者の一人は「引退後もサッカー関係の仕事をしたいという人が多く、求人側の企業とニーズがあわなかった」と明かす。
元日本代表の本田圭佑選手の関心分野の一つは、アスリートが引退したあとの「セカンドキャリア」である。現役を続けながら、カンボジア代表の実質的監督、経営者、投資家といったいくつもの顔をもつ本田選手は、アスリートの再就職をあっせんする「NextConnect」社にも出資している。同社のHPの動画には、本田選手が登場し、「サッカーしかできない」などと思い込んでいるのが問題で、「根性を軸に、ノウハウ・知識・経験を積んでいけば必ず(別の分野でも)成功する」などと語っている。現役のサッカー選手のまま早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に合格し、今年4月から選手と学業の両立生活を続けている浦和レッズの長澤和輝選手。彼が考える「セカンドキャリア」とは?
サッカービジネスの仕組み、知りたかった
――現役のJリーガーを続けながら、大学院に入ったのはなぜですか。
「僕はサッカー選手として、海外などで貴重な経験をさせてもらいました。自分が成り立っているのはサッカーのおかげです。どういう形で恩返しできるかと考えた時、今後の若い選手たちのために、自分の経験をまとめた上で、有益な情報として伝えたいと考えました。さらに、サッカーというスポーツビジネスがどう回っているのか、仕組みをしっかり理解したかった。早稲田大学大学院を進学先に選んだのは、日本サッカー協会元専務理事の平田竹男教授のもとで学びたかったからです。アスリートとしてだけではなく、研究者の視点を持ち、スポーツ界の発展や改革に貢献したいと思っています」
――大学院は1年コースだそうですね。サッカーと大学院の両立は大変ではないですか。
「大学院は毎週課題があるし、サッカーの試合や練習もあるので、空いている時間を見つけるのは大変です。でも、大学院は行ける時は午後から授業に出るし、オンデマンドの動画の授業もあります。プロになってから(学業の)宿題がなかったので、逆に刺激になっています。それにサッカーというのは長く練習すると、身体に負荷がかかりすぎ、パフォーマンスが落ちます。練習時間に限度があり、長く練習することが必ずしもいいことではありません。スポーツのなかでは、比較的、自由な時間がある競技かもしれません」
「あきらめない気持ち」が役に立つ
――プロサッカーは、J1からJ3まであり、年俸が低い選手も多くいます。しかも、サッカーのプロ選手の平均引退年齢は26歳といわれ、引退後、苦労する選手が少なくないようです。
「日本のスポーツ界は今、サッカーが野球と並んでトップです。審判、育成制度、マーケット、いろいろな部分で先頭を走っていますが、実際にはサッカー界は変革期を迎えていると思います。Jリーグが誕生して25年以上になり、プロ選手は増えましたが、チームを支える体制は、まだ課題が多いと思います。ドイツと比較すると、チームによっては、マネジメントや事業の部分でプロになりきれていないケースもあるようにみえます。サッカーにかかわる人たちがさらにスキルを上げることが必要で、選手たちが現役のうちに、サッカーを支えている仕事を学ぶことも、サッカー界の質の向上につながると思います」
「セカンドキャリアは多くの選手が考えていることですが、現役時代は進路が定まっていない選手が多いと思います。今通っている大学院も、1年間で150万円以上の学費がかかります。大学や大学院で学びたいと思っても、チームや選手会からの金銭的な支援はないので、自腹を切るしかない。僕は自分が成長したくてやっているので構わないですが、何か新しいことを学びたくても、元手の資金がない選手もいると思います。サッカー界に貢献したい人をサポートするには、就学支援のようなものがあってもよいのではないでしょうか」
――セカンドキャリアを考えるうえで、サッカー選手の強みは何でしょう。
「プロになる人はすさまじい努力をしています。身体的な才能もあるけれど、その後の努力の積み重ねがないとプロまでは行けません。『あきらめない気持ち』が強いし、有能な人材が多いと思います。その能力を使った貢献の仕方があるはずです。今はサッカー指導者になることが、基本的なセカンドキャリアになっていますが、ビジネスに挑んでもいいと思います」
「選手自身がサッカー以外のことに関心を持ち、人脈を作っていく努力をすることは大切です。同時に、本人が『サッカーしかできない』と思い込まないよう、周りのサポートや仕組み作りも必要だと感じます。Jリーグの年俸で一生分のお金を稼ぐのは簡単ではありません。実際、上位5%にいる選手でさえ、それができていない。では、残り95%はどうなるのか。一生懸命がんばっても十分な年俸がもらえないとわかれば、いくらサッカーが好きでも、なかなか夢を持ち続けられない子供たちも多いでしょう。子供の夢を応援したいと思っている親御さんたちも不安だと思います。選手が勉強を続けられる環境作り、仕組み作りが重要だと思う理由です」
「エリート」ではないサッカー人生
――長澤選手はドイツでプロ選手として活躍し、サッカー日本代表にも選ばれたこともあります。サッカー・エリートのように見えますが、昔から将来への危機感があったのですか。
「大学時代まで、自分がプロになれるとは思っていませんでした。僕は、千葉県市原市で育ちました。中学生になるときに、地元のJリーグのジェフユナイテッド市原(現在は千葉)のアカデミー(下部組織)に行きたくて、セレクションを受けたのですが、不合格でした。そこで、三井千葉サッカークラブ(現・VITTORIAS FC)という街クラブに行きましたが、中学2年まではスタメンではありませんでした。八千代高校にいって、全国高校サッカー選手権大会にも出場できましたが、プロからは声がかかりませんでした」
「サッカーが強い関東大学サッカーリーグ1部の大学に行きたいと思いましたが、入学することができた専修大学のサッカー部は2部で、そこからプロになるのは無理だと思っていました。高校の先生になれば、サッカーの経験を高校生たちに伝えることができると思い、大学では、公民の教員の資格を得ました。毎朝5時半に家を出て、学校までの4キロ弱の道を走り、サッカーの朝練をやってから、夕方まで授業に出ました。大学は経営学部だったので、公民の教師の資格を取るためには、経営学部の卒業に必要な単位以外に、追加で単位を取る必要がありました。経営学部では、当時もスポーツとビジネスのことも勉強しました」
「大学のサッカー部では、僕の年代に、たまたまだと思いますが、いい選手が集まっていました。みんなのおかげで、関東大学リーグ1部に上がって3連覇することができました。国際大会(ユニバーシアード)に出場してキャプテンをさせてもらい、プロの道が現実的になりました。いくつかのJリーグからオファーをいただきました。もともと、もしプロになれるのなら海外に行きたいと思っていましたが、ドイツ遠征したときに、FCケルン(入団当時はドイツ・ブンデスリーガ2部で、その後1部に昇格)のスカウトの目に止まって、オファーをもらえました。なので、Jリーグのプロ契約はぜずに、大学卒業後、直接、ドイツに行きました」
――ドイツでは大きなけがも経験しましたね。
「左ひざの靱帯断裂です。人生で初めてサッカーを3カ月も休みました。2年目の開幕前の練習試合で、身長が190センチぐらいある選手に突っ込まれて、大けがをしました。体幹を鍛えれば、けがは減らせると思いますが、それでもけがで選手生命を絶たれる可能性はゼロではありません。サッカーのプロを目指す人は、サッカーに人生を賭けているわけです。しかし、リスクも同時に考えないといけないと思います。今は世界的にみれば、サッカー選手が選手としての夢を追いかけるだけではなく、別のことも考えながら生きるのは当たり前になっていると思います」
――大学院では、どういう研究をしているのですか。
「日本人選手が、ドイツのブンデスリーガで、どのような困難にぶちあたって、壁を乗り越えているのか、そこに焦点をあてています。活躍の度合いを測るのは難しいので、試合に出場した時間を基準に、論文をまとめようと思っています。ブンデスリーガを経験した選手、先輩たちに時間をとってもらってヒアリングをしています。僕自身の経験も、論文の中にまとめるつもりです。日本人選手が海外で活躍することで、日本代表はさらに強くなっていくと考えます。そのために、自分の研究が、今後、海外をめざす若い選手のために役立てればうれしいですね」
『忍耐』とは異なる、ドイツ流の育成
――サッカーのドイツ代表は、ワールドカップ優勝4回を誇る強豪国です。日本とドイツでは、選手の育て方に違いはありますか?
「日本は、中学、高校の部活動とかは特にそうだと思いますが、『忍耐』などの精神論を重視しているように思います。サッカー選手としての能力を伸ばすというよりも、毎日きついことをするんだ、鍛錬をするんだ、『耐える』ことに意味がある、という感じです。プロを育てるというより、日本的な教育の一環なんでしょうね。ドイツでもフィジカルトレーニングはありますが、走り込みはあまりしません。選手は『耐える』という精神ではやっておらず、疲労がたまってきたら『ここの筋肉が張ってきているので、今日はやめます』といえます。練習も集中してやっていて、練習時間も日本に比べると短いと思います。それがプレーヤーとして生きる道なんです。日本で『疲れたからやめます』といったら話にならない。そういう違いがありますね」
「僕が暮らしていたケルンでは、指導者としてサッカーを学びにくる人たちもいました。ドイツの街クラブにコーチとして入っている人もいて、彼らと話していて、いろんな発見もありました。小学生でも、コーチが上で選手が下という『上下関係』 の意識があまりなく、試合に勝つという共通の目標に向かってコーチと選手が対等に向き合い、その意識がプロのクラブにまで続いているような感覚があります。日本には日本の良さがあると思いますが、サッカー選手の育成にドイツの合理的な部分を取り入れてもよい気がしますね」
――長澤選手自身は、引退後のセカンドキャリアは、どう考えているのですか?
「まだ決めていません。監督も魅力的な仕事だと思いますが、指導者のライセンスはまだ持っていないです。球団のGMの仕事など運営についても、いろいろな人に会って教えてもらったりして、勉強はしています。ただ、今は選手としてサッカー界に貢献しつつ、海外も含めた自分の経験を後輩たちに伝えていきたいという気持ちが強いですね」