米カリフォルニア州サンタクルーズの多くのサーファーは、もうここ何年か夏が来るたびに海上犯罪の被害にあっている。サーフボードの乗っ取りだ。波乗りに挑発的とも思えるほどの大胆さで近づき、犯行に及ぶ。ボードを奪い、傷つけることさえある。その犯人は……メスのラッコだ。
最近のある週末、そのやり方がますます荒っぽくなる兆しが確認され、野生生物を担当する地元当局は2023年7月、この「強盗」をやめさせることに決めた。
「公の安全がおびやかされるリスクが増大している。このため、ラッコを捕獲し、扱う訓練を受けた私たちとモントレー湾水族館で合同チームを結成し、このラッコを捕まえて新たなすみかに移すことにした」との声明をCDFW(カリフォルニア州魚類野生生物局)は出すにいたった。
「ラッコ841番」。この5歳のメスを、地元当局は番号で呼んでいる。行動が大胆な上に、ある特技でとくに知られている。足の指10本をボードの先端にかけて乗る高度なサーフィン技法、ハング・テンと同じようなことができる。
さらには、悲しい裏話がある。野生の動物に近づきたいという人間の欲求が、動物たちの享受する自由だけでなく、場合によっては命さえも奪ってしまう可能性があることを示すために、当局は対策をとることを迫られている。
カリフォルニアラッコは、南方ラッコ(southern sea otter)とも呼ばれる。絶滅危惧種に分類され、カリフォルニア州中部の海岸域にしかいない。かつては、州の海には何十万匹も生息していた。ラッコがウニを食べるので、(訳注=ウニに食い荒らされる)コンブの森を健全な状態で維持するのに役立っていた。しかし、入植者が米西海岸に到達すると、1911年に法で禁じられるまで狩りの対象となり、絶滅しそうになった。
現在の個体数は約3千。生息域の多くはカヤックやサーフィン、パドルボードが盛んな海域と重なっている。
活動域が近いにもかかわらず、ラッコと人間の交流はまれにしか見られない。「通常は、ラッコの方が本能的に人間を恐れ、距離をとって避けようとする」とティム・ティンカーは指摘する。カリフォルニア大学サンタクルーズ校の生態学者で、ラッコの研究をもう何十年も続けている。そのティンカーは、人間に近づくラッコは「普通ではない」としながらも、「普通じゃないから、絶対にいないというわけでもない」といい添える。
ラッコが人間に近づくのは、妊娠してホルモン分泌が増えたときの事例が知られる。あるいは餌づけされたり、人間が繰り返し近づいたりした結果、そうなることもある。これがラッコ841番の母親のケースだったと見られる。
母親はみなしごで、飼育されて育った。野生に戻された後も、人間がイカをやるようになり、それがすぐに習慣となった。やがてエサを求めてカヤックに乗り込むようになったため、再び飼育下に置かれ、サンタクルーズにある(訳注=CDFW所属の)「Marine Wildlife Veterinary Care and Research Center(海洋野生生物・獣医師医療研究センター)」に収容された。じきに身ごもっていることが分かり、やがて841番を産んだ。
赤ちゃんは母親に育てられ、乳離れするとモントレー湾水族館に移された。野生に戻しても生き延びられるよう、飼育員は人間との積極的なつながりがなるべく生じないようした。841番の近くにいるときはマスクやポンチョを身につけるなど、人間であることを極力隠した。
それでも、841番はすぐに人間を恐れなくなった。地元の専門家も、その具体的な理由については考えあぐねている。
「野生に戻しても、しばらくは何もなかった。しかし、1年ほどすると、サーファーやカヤック、パドルボーダーとの接触情報が入り始めた」とジェシカ・フジイはいう。モントレー湾水族館のラッコプログラムの担当マネジャーだ。「何がきっかけとなったのかは不明だ。エサをもらっていたとの証拠はない。にもかかわらず、ここ数年は夏になると接触が続いた」
ラッコ841番が、サンタクルーズの海でサーフボードやカヤックに上がり込むのが最初に観察されたのは、2021年のことだった。初めは単なる珍事だった。しかし、だんだんと大胆になってきた。2023年7月上旬の週末には、サーフボードを奪い取る事件が別々の場所で3件続いた。
その週明けの月曜日に、ソフトウェア技師のジューン・リー(40)は、サンタクルーズで人気のスポット「スティーマーレーン」でサーフィンを楽しんでいた。すると、841番が近づいてきた。
「ボードをこいで逃げようとしたんだ。でも、十分に離れることができないうちに、ボードと自分をつなぐリーシュコードをかみちぎられてしまった」
結局、リーはボードを放棄せざるをえなくなった。ラッコはボードによじのぼり、なんと強力なあごでその一部をかみ砕いた。それを見て、思わず恐怖を感じた。
「必死に取り返そうと、ボードをひっくり返したり、ゆさぶったりした。けれど、ラッコはなぜかしがみつくように離れず、ずっと反撃し続けた」
格闘中、リーは危険な状況にあることを察知した。しかし、海にいるだれもがそうとは限らない。その前月、ノア・ワームハウト(16)は、サンタクルーズの海水浴場カウェルズビーチの沖合で友人1人と波に乗ろうとしていた。そこに、841番がやってきた。
「なんとか逃げようと、ボードを(手で)こぎ始めた。でも、どんどん近づいてきた。仕方がないので飛び降りるのと入れ違いに、相手はボードによじのぼった」と彼は振り返る。「でも、友好的な感じだったので、自分も友人も不安に感じるようなことはなかった。むしろ、とてもクールな体験だった」
突然のできごとに無我夢中になり、「指をかみちぎられるかもしれないなんて想像もしなかった」とワームハウトは続けた。そのまま見ていると、波のうねりがやってきた。「ラッコはそれをボードで刻むようにしながら、いくつかのいい波をものにしていた」
そんな状況は極めて危険だ、とジェナ・ベントールは首を振る。ラッコに必要な平穏さを人間が乱さないようにしながら、きちんと観察するための活動を続けている団体「Sea Otter Savvy(ラッコをよく知ろう)」の責任者で、上級研究員でもある。「何しろ、ラッコには鋭い歯と、二枚貝をかみ砕く強靱(きょうじん)なあごがある」
ラッコにとっても、人間との接触は危険だ。人間にかみついてしまえば、州当局はそのラッコを安楽死させるしかない。生息数が極めて少ない中で、一匹といえども失うことは、絶滅種からの回復を目指す上で大きな痛手となる。
841番の捕獲に成功すれば、まずはモントレー湾水族館に戻される。そこから、ついのすみかとなる別のところに移されることになる。捕獲チームは専用の作戦を立て、何度もトライしているが、うまくはいっていない。
「私たちから逃げる能力は、なかなかのもの」と先のモントレー湾水族館のフジイは苦笑する。
841番が捕まるまでは、なんとしても接触は避けてほしいとCDFWはサーファーたちに呼びかけている。
それと、ラッコとの間近な出合いをSNSでシェアする人たちにも、専門家からのお願いがある。
「ラッコとの遭遇は、適切な関係者に報告してほしい。SNSでシェアするのは絶対に控えてもらいたい。楽しい、前向きな交流だと誤解されてしまうから。これはとても重要なことだ」とフジイは訴える。
「『いいね』がたくさん来るし、注目されるから、控えるのが難しいのはよく分かる。でも、長い目で見れば、この動物に害をなすことになりうるのだから」(抄訳)
(Annie Roth)©2023 The New York Times
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