北海道南東部、十勝川下流に位置する浦幌町。3月上旬、雪で覆われた浦幌十勝川の河口から上流を眺めながら、地元のアイヌ民族団体「ラポロアイヌネイション」の会長、差間正樹さん(72)が静かに訴えた。
「いつのまにか、サケは『捕る』ものから『つくる』ものになってしまった」
かつて十勝川沿いには、多くのアイヌのコタン(集落)があった。毎秋、生まれた川に戻ってくるサケは、神々の国から送られた「カムイチェプ(プは小文字)」(神の魚)と呼ばれ、生活に欠かすことのできない重要な存在。主要な食料であり、交易の品でもあった。
だが明治時代になり入植してきた和人による乱獲で数が激減。国土交通省北海道開発局の資料によると、十勝地方でも1870年代末から多くの漁師が入るようになり、「アイヌ文化ではまずあり得なかった乱獲が起きた」とされる。入植者らによって壊されたサケの再生産のサイクルを守るため、明治政府側は1883(明治16)年、十勝川でのサケ漁を禁止した。アイヌ語や入れ墨、ピアスなどの風習も次々に禁じ、同化政策を推し進めた。
政府が資源保護の名目で進めたのが、人工的なサケの増殖事業だ。1895(明治28)年には上流に孵化(ふか)場を設置。川を遡上(そじょう)する親サケを原則すべて捕まえ、採卵して授精、孵化させて、稚魚を川に放流することで、持続的なサケ資源の確保をめざす。
この増殖事業は拡大の一途をたどり、今では日本近海のサケの大半が孵化・放流されたものとされる。
北海道さけ・ます増殖事業協会の資料によると、2021年度には事前計画の1.5倍にあたる194万匹の親サケを川で捕獲し、約10億粒の卵を採取した。
2022年の秋サケ漁は近年まれに見る豊漁で、道漁業管理課によると道内の漁獲額は2001年以降で過去最高を更新した。一方で、ここ数年は不漁が続いてきた。浦幌町立博物館の学芸員、持田誠さん(50)は、「およそ150年にわたって、日本のサケは人の手によって、いわば『過保護』な状態におかれてきた。人工的に採卵・授精させるため遺伝子に偏りがあるともいわれ、生態系への影響はまだまだわかっていないことが多い」と話す。
父親の後を継ぎ、海での定置網漁を生業とする差間さんも、増殖事業で生まれたサケを海で捕る一人だ。ラポロアイヌネイションのメンバー9人のほとんどが海の漁師として生計を立てている。川でのサケ漁の権利を考えるきっかけとなったのは、同じようにサケとともに暮らしてきた北米の先住民族らとの交流だった。
地元のアイヌの墓から北海道大学などに持ち去られていた遺骨の返還を裁判の末に実現させた2017年。弁護団長を務めた市川守弘弁護士(68)のすすめで、差間さんたちは、米西部ワシントン州のピュージェット湾沿いの川や海でのサケ漁を生業とする先住民族の集落を訪ねた。
この地域の20の先住民族は、先祖が漁をしていた地域で全漁獲高の50%を捕獲する権利が保障されている。自分たちで資源を管理し、サケの遡上の障害となっていた上流のダム撤去も実現させ、川の環境を復活させた経験もある。沖から帰ってきた船から大きなサケやオヒョウを一匹一匹計りながら水揚げし、厳格に管理している様子を目の当たりにした。
自分たちも、かつて十勝川流域で漁業を営んでいたアイヌの子孫として、権利を取り戻したい。ラポロアイヌネイションは2020年8月、この地域でサケを捕り、暮らしてきた先住民族の権利(先住権)として川でサケを捕る権利の回復を求め、国と道を訴えた。国側は先住権について「国際慣習法上、確立した権利として認められていない」などとして争う姿勢で、裁判は今も続く。
「日本は世界の流れから取り残されているように感じる。先住権にしても、持続可能性についてもだ。サケはなぜ、捕るものから、つくるものになってしまったのか」と、差間さんは問いかける。
北海道のサケをめぐっては、道漁業協同組合連合会が、英国発の国際的な非営利団体・海洋管理協議会(MSC)による持続可能な漁業の認証(海のエコラベル)の取得を目指したが、「孵化・放流に依存し過ぎで持続的でない」と評価され、断念した経緯もある。
サケは誰のものか。
「人間だけのものではない。キツネもカラスもクマも、みんなサケがほしい。先住権があるからといって、なんぼでも捕るってわけではない」
せめて地域の漁業のために必要な分の採卵ができたら、残りの親サケは捕獲せずに川に、自然に任せてほしいと願っている。
先住権訴訟でも弁護団長を務める市川弁護士は、「先住民族だから、現代のアイヌも当然に自然を守れる、というのは危ないステレオタイプだ」とした上で、「先住権を持つということは、国に対して対等にものを言える権利を持つ集団であるということで、市民参加とは次元が異なる。現状の非持続的な政策を是正させる大きな可能性を持っている」と話す。
メンバーの一人、長根弘喜さん(38)は「昔は誰に言われるでもなく、生活の糧としてサケを捕っていた。それが今では知事の許可を得て、儀式のためでしか捕れない。自分たちは、昔のアイヌの生活に戻りたいわけではない。元々、自由に捕って、食べて、生活していた、そんな当たり前の権利を取り戻したい」。
5月にはアメリカやカナダの先住民族らを招いて、先住権に関する初の国際シンポジウムを町内で開く。米国の先住民族たちは、魚を守るために自前の研究所を持ち、研究者を育てたり外部の研究者を雇ったりして科学的根拠を積み重ね、行政の施策にも変化をもたらしてきた。
自然と私たち人間が、どういう関係にあるのか。サケの再生産のためには、何が必要か。かつて生活の中心にあったサケを出発点に、持続可能な生き方をアイヌも和人も、一緒に考えていきたい。
「文化活動や伝承は、どれだけ力を入れても、それだけではいずれ博物館に閉じ込められ、消えてしまう」。そんな危機感も、差間さんを動かしている。
「昔から自然資源を取り尽くさず、土地に頼り、感謝して生きてきた人類の子孫として、生き方を発信していきたい」
アイヌとは
現在の北海道、サハリン、千島列島、東北北部などで、かつて狩猟採集を中心に暮らしてきた先住民族。歴史は北海道に人類が住むようになった3万年前ごろまでさかのぼるともされる。「アイヌ」とはアイヌ語で「人間」の意味。日本語とは系統が異なる言語でユネスコの「消滅の危機にある言語」に含まれている。カタカナで表記する際は、独自の発音を小文字で表す。