戦争を逃れて、何千人ものロシア人とウクライナ人が2022年にインドネシアのバリ島にやってきた。島民は砲撃から逃れてくるウクライナ人や徴兵を避けようとするロシア人を歓迎し、島はまさに「熱帯の天国」として格好の避難先となった。
ところが、問題が起き始めた。
あるロシア人のインフルエンサーは樹齢700年の聖なる木によじ登り、裸の姿を発信した。間もなく、ロシア人ストリートアーティストの一人が民家に勝手に反戦の壁画を描いた。学校を荒らしたロシア人のティーンエージャーも1人捕まった。ロシア人とウクライナ人がからんだバイクの事故も相次ぎ、島の交通安全がおびやかされるようになった。
もう十分、と島民感情は歓迎ムードから一変した。殺到する苦情の矢面に立った地元バリ州の知事Wayan Koster(以下、人名は原文表記)は2023年3月、事前手続きなしでも到着時に空港などで取得できるビザ(いわゆる「到着ビザ」)の発給対象国からロシアとウクライナを外すよう政府に要請したことを明らかにした。
州知事によると、戦争を避けて島に来るようになった両国民のかなりの部分が地元の法規をいくつも破っている。そればかりか、短期の観光ビザ(到着ビザは33ドル払えば、手続きに必要な書面を作成しなくても、通常は即座に発給される)で入国しているにもかかわらず、就労しようとしているというのだ。
島ではこれまで、マナーの悪い観光客を我慢してきた。めったにいなかったからだ。しかし、今や外国人への苦情が常態化した。半裸同然でバイクを乗り回したり、ヒンドゥー教徒が多数を占める島の聖地を汚したりする事例が後を絶たなくなった。
「そんな外国人は、(透明な)ドームの中で暮らしているみたい。その外がどうなっているかにはまったく関心がない」と地元のホテルでツアーガイドをしているI Wayan Pardika(33)は嘆く。「彼らにとってはビキニだけの半裸のような格好でヘルメットをかぶらずに運転するのは当たり前のことだ。しかし、周りの地元民にはそうでないことを、考えようともしない」
バリの島民は当初、新たに増えたこの両国民の窮状に同情的だった。とくにロシア人は制裁の影響で国際金融システムから締め出され、借りていた車や家の代金をカードで引き落とせなくなった。それでも、支払いを猶予してあげた。コロナ禍で島は2年間も孤立状態だっただけに、収入をもたらす道をできるだけ大切にしようとした。
ところが、多くのロシア人がサーフィンの指導員やツアーガイドとして就労していることが分かり始めた。レンタカーや民宿の事業にまで手を出す者が現れた。明らかに観光ビザの滞在条件に反し、地元に落ちるお金を奪っていた。
「私たちは扉を開き、両手を広げて笑顔いっぱいに彼らを迎えた」。靴の高級ブランドをこの島で立ち上げたNiluh Djelantikは、こう振り返る。「でも、私たちの優しさは当然のことのようになってしまった」
多くの島民が問題の一因としてあげるのは、ロシア人の急増に当局側の対応が追いついていないことだ。今や観光客の中では豪州人に次いで多くなり、2022年は5万8000人もが来島した(ちなみに同じ期間中のウクライナ人は7000人)。その傾向は年が明けても続き、1月だけで2万2500人ものロシア人がやってきた。
インドネシア政府が、ロシアとウクライナを到着ビザの給付対象国に加えたのは2022年5月だった。新たに対象となったこの両国と、さらに85カ国の観光客は、到着時の申請でまず30日間の滞在が許可され、延長を希望すれば、さらに30日間が追加される。
その取り消しについて、国の観光・創造経済相Sandiaga Unoは否定的な見解を示す。確かにバリ州知事から要請はあるが、問題を起こしている人の数が「それほど著しいとまではいえない」――2023年3月、毎週定例の会見でこう述べたのだった。すでに前年11月には、戦争を逃れてきた人々の観光ビザの更新を政府として手助けしたいとSandiagaはニューヨーク・タイムズ紙に語っていた。
しかし、バリ州当局は、増え続けるロシア人とウクライナ人の交通違反に狙いを定めて動いた。死亡事故も起きるようになっていた。州知事Wayanは2023年3月、すべての外国人にバイクの運転を禁じる措置を発表した(観光・創造経済相のSandiagaは、この措置を取り消すべきだと批判している)。
「バリ島にいる同胞の多くは、あまり世界とは接点のない小さな田舎の町村から来ている」とロシア人のデジタルアーティストGrishanti Holon(33)は釈明する。だから必要なのは、まずバリ島の習慣を教えること。さらには、島民の雇用をつくり出し、地元に収入をもたらす仕事を始めるように促しもしたい。こう考えるHolonは、一つの団体を作って活動している。「今は、ここに来て『何をやってもいいんだ』と思い込んでいる人が多すぎる」
バリ島の観光局も、「常識を守ろう」と英、ロシア、ウクライナの3カ国語で書かれた標識を要所要所に立てることにしている。ポスターの一枚には「品のない不快な写真をSNSに投稿するのはやめよう」とある。「大胆な水着の着用は、適切な場所に限ること」との呼びかけもあり、違反すれば、「巨額の罰金と国外退去が待っている」と警告が続く。
インドネシア駐在のウクライナ大使Vasyl Hamianinは、バリ州知事の最近の言動に強い不満を抱いている。自国民が、ロシア人と十把ひとからげにされたからだ。州知事には、ウクライナ人がからんだ犯罪・法令違反の統計を示すよう要求。2023年3月半ばの1週間に記録されたバリ島での交通違反は、ロシア人によるものが56件だったのに対して、自国民は5件しか起こしていない、とインドネシア政府の数字をあげて報道陣に息巻いた。
バリ島で現在暮らしている5000人のウクライナ人は、地元の経済に貢献し、税金をきちんと納める「よき法令順守者だ」とHamianinは強調する。母国が戦渦にあるために滞在しているのであり、その圧倒的多数は「いずれは帰ることを希望している」。そして、「戦争を逃れて避難してきた人々を一時的に受け入れるのは、まさに人道的見地に添うものではないだろうか」といい添えた。
バリ島での不満の矛先の多くが、ロシア人に向けられているのは確かだろう。先の高級靴ブランドの創始者Niluhは56万4000人のフォロワーがいるインスタグラムのアカウントを持っている。それが、彼女流にいえば、ロシア人がこの島で起こしている愚行の数々の情報センターと化している。
つい最近も、Niluhは二つのビデオをここにアップした。一つには、聖なる山に向かってお尻を丸出しにしたロシア人の男性が映っている。もう一つでは、ロシア人とされる男性が地元の警備員にけんかを売っている。
前者の男性はモスクワからの観光客Yuri Chilikin(23)で、数日後に謝りにきた。Niluhの要望に従って、Chilikinはこの山に行って謝罪の儀式をすることに同意した。ほかの法令にも違反しないようにすれば、地元の当局者には彼を国外に退去させぬように話すこともNiluhは約束した。
ロシア人観光客のたび重なる悪行に、Elena Pozdniakova(33)は「恥ずかしい」と目を伏せた。夫と3歳の娘とともに2022年9月にモスクワから来た技師だ。「ただ、ロシア人みんながそうではないことだけは分かってほしい」
その夫Sergei Pozdniakovは、島民の反感はよく理解できると話す。自身が同胞の何人かの野蛮なふるまいを目撃しているからだ。SNSの怒りにもかかわらず、島のもてなしの心をありがたく思う気持ちはずっと持ち続けていると夫妻は明言する。「『あんたたちはロシア人だから、悪いに決まっている』などという島の人に、私たちは会ったことがない」と夫は付け加えた。
インドネシア政府の法務人権省で出入国管理部門を率いるSilmy Karimにインタビューすると、ロシアとウクライナを到着ビザの発給対象国から外すよう求めるバリ州知事Wayanの要請については、まだ検討していると語った。地元の法規を犯す外国人をいかに排除するかにまず焦点をあて、さらにロシア人の観光客が多い他国の事情も研究していることを明かした。この中にはタイも含まれており、世界有数のリゾート地として知られるプーケット島だけで35万人超ものロシア人が滞在している。
「ロシア人だって、規則に従うようになる」とSilmyはいった。「目を光らせてしつけるのは、こちらしだいなんだ」(抄訳)
(Sui-Lee Wee and Muktita Suhartono)Ⓒ2023 The New York Times
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