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ユートピアでもディストピアでもない第三の選択肢「プロトピア」 理想の現実世界とは

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
プロトピアの考え方を支持する人たちの一部は、それが私たちを良き未来へと導き得ると信じている=Igor Bastidas/©The New York Times
プロトピアの考え方を支持する人たちの一部は、それが私たちを良き未来へと導き得ると信じている=Igor Bastidas/©The New York Times

白いひげをはやしたfuturist(フューチャリスト=多角的な観点から未来について考え、提言する人)で雑誌「Wired」の共同創刊者ケビン・ケリーは2009年、思考をめぐらし、まだ存在しない単語を模索していた。

「私たちはdystopia (ディストピア、暗黒世界)に向かっているのか、それともutopia(ユートピア)に向かっているのか?」。70歳のケリーは最近のインタビューで、未来について当時広まっていた考え方を振り返った。「どちらもありそうになかったし、望ましいとも思えなかった」と彼は言う。

だからケリーは、第三の選択肢を表す言葉として、すでに私たちが生きていると彼が信じる現実世界を指す言葉をつくった。「protopia(プロトピア)」である。

この概念は、ケリーが2010年の自著「What Technology Wants(テクノロジーが求めるもの)」で初めて発表したものだ。それは(ユートピアのように)すべての問題が解消されたり、(ディストピアのように)悲惨な機能不全に陥ったりするのではなく、長い期間をかけて漸進的に進歩を遂げる社会を指す。技術の進歩が自然な進化の過程を促進するおかげである。

ケリーによると、プロトピアという言葉の語源には多くの由来がある。「pro(プロ)は、プログレス(進歩)のプロであり、プログレッション(進行中)のプロ、プロトタイプ(原型)のプロ、『初期』だ。イエス対ノーを意味するプロ対コンのプロでもあるし、プロフェッショナルのプロでもある。いずれも前向きな意味を含むのがプロだ」

「1%というのは、振り返って見ない限り、その違いはわからない」とケリーは言う。「年に1%だと、(100年で)100%になる。つまり、それは大きな違いだ」

ケリーの本が出版された当初、プロトピアはあまり注目されなかった。しかし最近、既存の二元論に代わる言葉として、フューチャリストの間で多用されるようになり始めている。

二元論の一つの失敗はこうだ。フューチャリストの多くは、歴史的に言えば、ある人たちにとってのユートピアは他の人たちにはディストピアを意味すると指摘しがちだ。世界各地で反民主主義的な感情が高まる中、プロトピアの概念を提唱する人たちは、それがより現実的で、人道的であり、潜在的により包摂的な、よりよい未来への道筋を示すと信じている。

しかしながら、その主唱者の間でも未来がどのようにあるべきかとなると、見解に大きな相違がある。

36歳のモニカ・ビエルスキートは将来に向けての希望に満ちたビジョン(未来像)を探求する思索家たちの集団「Protopia Futures(プロトピア・フューチャーズ)」の創設者だ。彼女はプロトピアの採用者としておそらく最も知名度が高い人物だが、ケリーの当初のビジョンは物足りないと断言している。

ケリーは、プロトピアの進展はテクノロジーの促進の自然な産物と信じている。しかし、ビエルスキートは、プロトピアへの道程は厳格かつ包括的だという。とりわけ疎外されたひとたち、つまりLGBTQや先住民、障がい者の正義が交差する場所で働く人たちにとって、包括的でなければならないのだ。もしうまくいけば、このビジョンは、楽園ではなくとも、少なくとも現状より公平な社会を創造するよう人びとを鼓舞するとビエルスキートは期待している。

「問題が社会的、文化的、政治的であるなら、解決策も社会的、文化的、政治的でなければならない」とビエルスキートは言う。そして彼女は、こう続けた。「人間性が何か特定の問題を引き起こすのだとすれば、人間性がその問題への回答である必要がある。テクノロジーはすばらしい場合もあるが、恐ろしいケースもある。つまり、テクノロジーは魔法のような万能薬ではない。それは常に私たちの偏見によって形作られているのだ」

ビエルスキートだけがプロトピアの旗を掲げているわけではない。マイカ・ナーバーハウスは(スペインの)バルセロナに拠点を置く非営利団体「Protopia Lab(プロトピア・ラボ)」の創設者で、世の中の最も差し迫った社会的および環境的な課題に対するさまざまなアプローチを推進する活動をしている。そのウェブサイトによると、プロトピアは「分断行動主義」に対する解毒剤である。また、ナーバーハウスは「イデオロギー的な教条主義ではなく、進化的な探求プロセスである」とツイッターのダイレクトメッセージに書いてきた。

持続可能性のコンサルタント、ゼブ・パイスが運営するウェブサイト「Protopian Futures」は、食料生産や水処理、グリーンビルディング(環境配慮型の建物)、再生可能エネルギーなどの問題に対する既存の「実行可能な解決策」に焦点を当てている。

「私たちが暮らす世界をできるだけ多くの人にとって住みよい場所にするための、身の丈に合っていて、人間中心で、環境的に持続可能な解決策を見つけ出す必要がある」。そうパイスは言っている。

クリエーティブディレクターとして活躍するビエルスキートは、プロトピアの価値観をメディアにもっと採り入れることに重点を置いている。未来型の社会づくりを支援するために、彼女はSFテレビ番組や映画のクリエーターたちのコンサルタントとして、未来に基づく世界を構築するのを支援している。映画監督のライアン・クーグラーとプロデューサーのネイト・ムーアが映画「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」(訳注=2022年公開の米映画で、アカデミー賞受賞作)の制作に取り組む前、ビエルスキートは2人に会い、プロトピアの価値観を映画の舞台となる架空の王国ワカンダの構想にどう組み込むかを話し合ったと言っている。

また、ビエルスキートは、ベルリンで開催された「Ada Lovelace Festival 2022(2022年エイダ・ラブレス・フェスティバル)」での基調講演など、世界各地の会合で話をしている。(訳注=エイダ・ラブレスは世界初のプログラマーとされる19世紀の英国女性。詩人バイロンの一人娘)

講演の中で彼女は、ディストピア小説を下敷きにしたメタバースは、包括性と持続可能性に重きを置いて再構築する必要があると主張した。彼女はベル・フックス(訳注=アフリカ系米国人の社会活動家で、本名はグロリア・ジーン・ワトキンス)の言葉を引用した。「真に将来を見通すには、具体的な現実に想像力を根付かせると同時に、その現実を超えた可能性を想像する必要がある」

ビエルスキートは、自分の視点は自らの経験に基づいていると言う。「生きたディストピア」であった旧ソ連が支配するリトアニアで育ち、祖父はホロコーストの生存者だった。「度重なる虐殺の末裔(まつえい)」の彼女は、クィア(性的マイノリティー)でニューロダイバージェント(神経学的に多様)な女性として、世の中を渡るうえでの障害にも遭遇してきたと言っている。

ケリーは、ビエルスキートのような(プロトピアの)新たな主唱者を見いだしたことを喜んでいる。彼は、プロトピアについて電子メールでの取材に返答を寄せてくれた。「プロトピアとは私のこと。何かお役に立てることはありますか」と。しかし、彼とビエルスキートがいくつかの要素について見解が異なったとしても、彼は縄張り意識からはほど遠い。

「それは生きた言葉だということだ」とケリー。「人はその意味を拡張し、修正し、自分のものにしようとする。いいことだ」と彼は言っている。

プロトピアン(プロトピアを信奉する人)は当然ながら未来に重点を置くが、彼らの過去は必然的にカリフォルニア州パシフィカにあるケリーの書斎へと回帰する。そこはビエルスキートが2019年5月、デザイン・カンファレンスで基調講演をする前日、自分自身を見いだした場所である。2人はプロトピアの方向性について話し合ったのだが、ケリーは「つかの間」の友好的な会話だったと表現した。

その後、フューチャリストたちは、それぞれが理想とするプロトピアンとしての未来に向かって別々の道を歩みだしたのである。(抄訳)

(Joshua Needelman)©2023 The New York Times

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