東京都墨田区にある「金庫と鍵の博物館」には、さまざまな金庫や鍵がところせましと置かれている。
館長の杉山泰史さん(57)は、「杉山金庫店」を営む。1918年創業で、祖父の代から続く3代目だ。
父は金庫を開ける「名人」で、テレビ番組などに出演し、聴診器を金庫にあててダイヤルを回す姿で人気を集めた。杉山さんは「ダイヤルを見極めるのは実は音ではなく、指の感覚。聴診器はテレビ局の発案で、聴診器をあてても金庫は開きません」と笑う。
父が集めた珍しい金庫が博物館に置かれている。その一つは、旧日本陸軍が1937年ごろに30台ほどつくらせたという金庫。鍵とともに、扉に並ぶ50個のボタンのうちから5個を押して開ける仕組みで、約200万分の1の確率だ。
押す順番は関係ないが、数字をいくつ選べばいいかは設定した人と番号を知っている人にしかわからない。中扉用にはもう一つ鍵が必要だ。
中には陸軍の暗号解読書がしまわれていたそうで、金庫が破られたらその暗号は使わない。もし金庫が無傷で開けられたとしても、扉に開けた回数がわかるカウンターがついていて、記録している回数と異なる場合もその暗号は使わないことになっていたという。
「そんな堅牢な金庫を限られた時間で破るのは不可能で、盗まれるとすれば内部犯行か、番号を知る人を籠絡(ろうらく)するしかない」
陸軍の金庫に負けず劣らず頑丈な金庫を見せてもらった。英チャブ社製の金庫で、保険会社の指定もあり、いまも多くの宝石店や銀行で使われている。
扉は分厚く、ダイヤル錠は1億分の1の確率。さらに保険会社も太鼓判を押すほどの仕組みは、糸にぶら下がっている分銅だ。数カ所の錠のところに糸が張りめぐらされ、正規の鍵以外で開けようとすれば糸が切れて分銅が落ち、何をやっても開かなくなる。
あるとき、チャブ社の香港支店長が、取引先の杉山金庫店を訪ねてきた。
杉山さんは顧客に金庫を納入する際、鍵とダイヤル錠の開け方を教えて設定も頼まれることが多い。「なくすと困るから」とスペアキーとダイヤル錠のメモを預ける客も少なくない。
売り物の金庫の鍵が入れられ、ろうで封印された封筒を気軽に開ける杉山さんの父に、支店長は「せっかく新しい金庫なのに、客に売る気はないのか」と驚いた。
英国では開いた封筒に入っている鍵は信用されず、その金庫は販売できないという。「その人以外は金庫屋も開けられない」というのが「売り」だからだ。
杉山さんによると、金庫のダイヤル錠は米国で開発された。銀行の金庫番が強盗に鍵を奪われるとお金を盗まれてしまうことから、「頭の中に鍵をしまっておこう」という発想だったそうだ。
杉山さんは「いわゆる金庫が日本に持ち込まれたのはペリー来航のときといわれているから、侵攻を繰り返す歴史のある欧州や、移民が集まる米国の『知らない人は信用しない』という考え方との違いがある」という。
「太古の昔から財産を守るために鍵をつくる人がいれば、それを破ろうとする人が出てくる。いまはパスワードなどで守っている個人情報をハッキングされ盗まれる。人間が考えついたものだけに破るのも人間。いたちごっこは続く」