陸と海。きわだつその違いは、強烈なライバル意識にもなる。
軍人のエリートを養成する米国の士官学校も、その一例だろう。
ニューヨーク州にある陸軍士官学校(訳注=所在地名から通称「ウェストポイント」)。最高責任者の中将が、生徒にはっきりと厳禁していたことがまた起きてしまった。
メリーランド州にある海軍兵学校(訳注=所在地名から通称「アナポリス」)のマスコットになっていたヤギを盗んだのだった。
「この悪ふざけは、当校が最も重きを置く基本的な価値観とは決して相いれない」。2021年11月25日の感謝祭を前に起きた事件を中将は非難し、信頼が裏切られたことに落胆していると述べた。
かかわった生徒たちは、しかるべく叱責(しっせき)され、感謝祭の休みの間にじっくりと反省することになった。
ところが、それでは終わらなかった。感謝祭明けの週末に、今度は別の生徒たちがマスコットのヤギを盗んだ。それも、2匹同時にだった。
海軍兵学校のマスコットのヤギは、すべて「ビル」と呼ばれる。今回の2匹も含めて計37匹が1世紀余にわたって代を継いできた伝統がある。
それを盗むことは、陸軍士官学校の生徒と卒業生の一部にとっては、「究極のミッション・インポッシブル」をやってのけるに等しい。そもそも、ヤギをどこで飼っているかは、「海軍の機密」だ。その解明から始め、これまでに少なくとも12回は成功させている。
陸軍の指導部は、この行為を「略奪」として何十年も前から(一応、表向きには)禁じている。にもかかわらず、事件は繰り返されてきた。それは、ときには両立が難しい士官学校の二つの使命を映し出してもいる。
まず、命令にきちんと従う規律正しい士官を養成せねばならない。一方で、戦場で兵を率いるには、リスクを恐れぬ指揮官も必要とされる。大胆で、意表を突く着想の持ち主だ。
今回、奪われた2匹のヤギは、今は公式マスコットとしての務めに復帰している。第36代と第37代のビルだ。
その2匹に、黒装束の陸軍士官学校の生徒たちが忍び寄ったのは、21年11月27日(土)の夜だった。アナポリスに近い海軍OBの自宅の裏庭にかくまわれていることは、突き止めていた。手際よく2匹を捕まえると、夜陰に乗じて消えた。
翌朝。2匹は、陸軍士官学校のパレード場にいた。将軍が立つ閲兵台の真ん前に、ロープでつながれていた。けがはなく、海軍兵学校に無事に返された。
この事件について、陸軍士官学校の指導部はコメントを拒んだ。でも、学校側の一人は、再発を誘発しないように報道関係者だけでなく、全校生徒に対しても口を閉ざしておく方針であることを認めた。監視カメラの映像を分析し、犯人を割り出そうとしているが、まだ特定できていないという。
海軍と陸軍は1992年、マスコットの略奪を互いに禁じる合意文書に署名している。
きっかけとなったのは、海軍兵学校の生徒たちが陸軍士官学校のマスコットのラバを(訳注=前年に4頭)奪ったことだった。海軍の精鋭特殊部隊SEALsがこの計画に加担したとされ、陸軍側の関係者に拘束バンドをかけて身動きを封じる強引な手口だった。ヘリコプターが出動し、追跡する騒ぎになった。
このままライバル意識が過熱すれば、マスコットや関係者がいずれは負傷する――そんな懸念が、この合意を生んだ。
しかし、略奪は止まらなかった。
陸軍士官学校の生徒たちが起こした最近の事件では、ヤギのビルがけがをしている。空軍士官学校のマスコット、シロハヤブサの「オーロラ」も初めてさらわれた(訳注=2018年に発生。老いたオーロラが負傷し、安楽死の可能性も生じたが、結局は無事に回復した)。
今回のヤギ2匹の連れ去りに一役買ったという2人の生徒に、本紙は取材することができた。罰せられるとして名前を明かすのを拒んだが、証拠として本件の写真やビデオを出してきた。
その2人によると、決行したのは感謝祭の直前に起きた失敗事案を帳消しにするのが目的だった。ドジな仲間たちが、関節炎で引退し、角が1本しかなくなったOBのビルを現役の一匹と見誤って手を出したのだった。
汚名を返上する必要があった。
本物を奪う準備は、実は数カ月も前から始まっていた、と2人は証言する。
まず、海軍兵学校のアメリカンフットボールの試合が終わると、マスコットのヤギを乗せて帰路についたトレーラーを追跡した。みんなで海軍のTシャツを着て、不審がられないように追尾車を入れ替えながら行方を探った。
そして、本番。入念に話し合い、感謝祭直後の日曜日(11月28日)にあわせて決行することにした。伝統の海軍兵学校とのアメフト対抗戦に近く、効果を最大化できると踏んだ。しかも、感謝祭後の週末なので、相手側の警戒が緩んでいることが考えられた。
真夜中に、二手に分かれて獲物に接近した。あくまで隠密に。知恵も、存分に絞った。
これまでの偵察から、2匹の好物はつかんでいた。殻付きピーナツとペパーミントキャンディーをたっぷりと使い、2匹を柵からおびき出した。そして、ワゴン車が待ち受ける集結地点へと誘った。
ホワイトボードを使って重ねたこの作戦の打ち合わせでは、ヤギの安全が最優先事項にされた。そのために、2匹の状況を常に偵察していた。万が一にも備えて、ウェストポイントに向かう途中の大きな動物病院は、いくつか地図に書き込んでおいた。
帰校したのは夜明け前だった。警備員のいないゲートからこっそり入り、キャンパスの真ん中に2匹をロープでつなぎ留めた。最後は、プリペイドの携帯電話で学校側に「ミッション完了」を伝えた、という。
海軍兵学校側は、声明を出した。「こうして合意が繰り返し破られることには、失望せざるをえない。生きたマスコットを奪わないようにするのは動物愛護のためなのに、それが無視されている」とし、「実行した生徒をどうするかは、陸軍士官学校側に任せる」と処分を委ねた。
これを受けて陸軍士官学校側がどうするのかは、いまだにはっきりとはしていない。
そのグラウンドの石碑には、守るべき校訓が刻み込まれている。
「生徒は、誰一人としてうそをついてはならない。人を欺くことやものを盗むことも許されない。そうしたことをする人物を許すことも、認められはしない」
生徒は日々、何を着て、どこにいなければならないかを指導されている。食べ方だって、そうだ。授業に遅刻しても、他のところなら気付かれもしないのかもしれないが、ここでは違う。
どんな小さな違反でも、厳しく罰せられる。ましてや最高責任者の厳命があるにもかかわらず、臆することもなく無視すればどうなるか。重大な処分があっても、おかしくはないだろう。
ところが、海軍兵学校のヤギを盗むことは、これ以上ないほど校風に染み込んでいるといってもよいだろう。むしろ成功すれば、ほぼ伝説的な名声を獲得できる。
公的には非難の対象とされているのに、「なかなかのいたずら」として大きな影響力を持つ卒業生から暗黙の評価を得る寛大な空気すら漂う。その中には、研修教育の指導者やトップクラスの司令官たちがいるほどだ、とダニエル・ゲードは語る。自身も陸軍士官学校を卒業し、母校で何年もリーダーシップと倫理規範について教えた経歴の持ち主だ。
「バランスがとても難しい」とゲードは指摘する。「歴史をウェストポイントで教えるときは、ルール破りをたたえることもよくある。とはいえ、若い士官が命令に従うことは、極めて重要なことだ」
ゲードによると、これまでの最高責任者は、紙一重の対応を重ねてきた。違反者を叱りはする。しかし、退学させたり、刑事責任を追及したりはしなかった。
実行した生徒たちは、しばしば罰として兵舎の中庭を行進させられた。ただし、ぐるぐると円を描いて回るその姿には、在校生の感服のまなざしが注がれた。
「最高責任者がこの種の問題をやめさせようと本気になれば、厳罰を与えるだろう」とゲードは話す。「でも、そうなったことはない」
自身の中でも、この問題では二つの考えが交錯するという。
軍隊での倫理規範を教える指導者としては、まず司令官の立場にならざるを得ない。命令を出しても、実行されないのは大問題だ。もっといけないのは、軍律はあっても、適用されることはないと若い士官が思ってしまうことだろう。
一方で、「でかした」とニンマリするOBとしての自分もいる。
「こちらのマスコットのラバは、体重が1200ポンド(540キロ超)にもなる。相手にとって、はるかに難しい獲物であることを素直に喜びたい」(抄訳)
(Dave Philipps)©2022 The New York Times
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