東京都町田市。丘陵地にある墓地のなかに、春には桜が咲き誇るエリアがいくつもある。傍らには白いベンチや東屋。時折、鳥のさえずりが聞こえてくる。
ここは桜の木を墓標代わりにした樹木葬用の会員制墓地「桜葬」だ。
木の周りの区画に、遺骨が埋められている。一人ひとりが埋葬された場所は正確に記録され、銘板や縁石で確認できる。1人から家族で最大10人までの区画に加え、共同の区画やペットと入ることができる区画もある。
2005年から桜葬を運営するNPO法人「エンディングセンター」(町田市)によると、大阪府高槻市の墓地と合わせて約3500人が眠る。ほとんどが生前契約をしている。
「ここで仲間とつながって自分を取り戻せました」。町田市の仲村久子さん(81)が話した。土に還りたい、子どもにも好きな方法を選んで欲しいと選んだ。実家の墓に入ると言っていた夫の達郎さんもその後、環境への配慮から、自ら桜葬に決めた。
定年後にがんを宣告された達郎さんは2012年、73歳で亡くなった。
久子さんはある程度の覚悟はしていたはずなのに、眠れず、食事ものどを通らなくなった。3人の子どもが代わる代わる様子を見に来てくれたり、近所の人が料理を作ってきてくれたり。さまざまな病院に通ったが、回復しなかった。
そんな状況が2年続いた時、センターの会報で書道サークルを見つけた。参加者は夫婦や配偶者を亡くした人など様々。口に出せなかった思いを吐露すると、一生懸命聞いてくれた。みんなの話は説得力があった。「つらいのは自分だけじゃないんだ」。初めて会う人ばかりなのにわかり合えるような不思議な感覚。心が軽くなった。
同センターでは、エンディングノートの書き方や老後の蓄え、相続に関する講座などを開いている。
そこで知り合った会員らが自主的にサークルを作る。家族の有無もバックグラウンドも関係ない。生前のゆるやかな絆が死の恐怖をやわらげ、悲しみを癒やす。
久子さんは、次に料理サークルに参加した。
参加者が好きな材料を持ち寄って、その日集まった材料で何を作るかをその場で決める。楽しくて、みんなと一緒なら食べられた。サークルはそれぞれ月1回。回を重ねるごとに元気になっていった。
今ではジムにウォーキング、写経と毎日忙しい。夫が定年後に力を注いだ畑も守り、旅行にも行く。
「生きている今を大事にしたい。仲間がいるから死は怖くない。誰にでもいつか訪れるのだから」
八王子市の舟木隆之さん(83)は、桜葬の近くの活動スペースを大掃除するイベントに、料理好きだった妻のイキさん(享年64)のエプロンを着けて参加した。
イキさんは2009年に膵臓(すいぞう)がんで亡くなる前、突然、「桜葬に入れて欲しい」とつぶやいた。隆之さんが管理する墓に夫婦で入るものと思っていた。だが、足を運んでみると、自然を愛し、夫婦別姓に関心があった先進的な妻らしいと感じた。一緒に説明を聞きに行った長男(50)も賛同し、5人用の区画を選んだ。
イベントに初めて参加したのは、イキさんが亡くなって5、6年が経った頃。同じ選択をした人たちの考え方を知りたいと思ったからだ。イベントで聞く様々な境遇の人の話は参考になり、元気をもらえる。「束縛されず、会いたくなったり知りたくなったりしたときの居場所がある。心地よい距離感です」
同センター理事長で社会学者の井上治代さんは桜葬をはじめたきっかけについて「家族のあり方が多様化し、先祖代々の墓を未来永劫受け継いでいく、というあり方ではなくなるのだから、自然の永遠性に身を委ねた方がいい。今の社会に合う墓をつくりたかった」と話す。
井上さんによると、2005年に始めた頃は「墓石も立てないなんて」と親族に言われて解約する会員もいた。今では自然志向や継承者を前提としない仕組みが支持され、利用者は増え続け、広く知られるようになった。
同センターでは、家族に代わって見守りや入院時の付き添いなどの生前のサポート、葬儀や埋葬、遺品整理などの死後サポートも行う。最近は家族がいても依頼してくるケースが増えているという。
井上さんは「死と葬送をめぐる環境は、自分たちで選択する時代になっている。個と個がどうつながり、どう助け合うか。家族も含めた他者とのゆるやかな共同性を構築していきたい」