奇行を楽しむイーロン・マスク氏 メディアを「敵」と見なす
2022年10月26日(現地時間)、イーロン・マスク氏は「Twitter本社に入るぞ。その意味をsink(考えて/理解)してくれ」と書き、洗面台を抱えてTwitter社の玄関をうろうろする動画を添えて投稿した。
Entering Twitter HQ – let that sink in! pic.twitter.com/D68z4K2wq7
— Elon Musk (@elonmusk) October 26, 2022
この日、イーロン・マスク氏はTwitter社を買収し、株主兼経営者として乗り込んだのだが、同社に常識外れの影響を及ぼすことを知らせるパフォーマンスだった。sink(洗面台)とthink(考える)をかけたジョークだったと思われる。
この投稿で分かるように、イーロン・マスク氏は奇抜な言動で世の中を騒がせることが大好きだ。
今や1億1000万人のフォロワー(購読者)を抱えるイーロン・マスク氏は、世界有数の資産家で複数の有名企業の経営者であるだけでなく、世界最大級の「1人メディア」でもある。私たち読者、というより観客がマスク氏の言動にいちいち反応する様子を面白がっているようだ。
一方で、イーロン・マスク氏の言動や、マスク氏が経営する電気自動車メーカーTesla社の問題を指摘する記事が英語圏メディアでは盛んに書かれている。
このことに腹を立てたマスク氏は、今や主要メディアをほぼ「敵」と見なしているようだ。例えばマスク氏はウクライナ情勢で誤報を打ったAP通信を誹謗する文脈で「極左」と呼んだ。AP通信が「極左」とは世の中の認識とは大きな乖離があるように思われる。
マスク氏の行動は奇抜だ。マスク氏は、Tesla社の広報チームを解散せてしまい、新たに手に入れたTwitter社の広報チームも解散させた。
今ではイーロン・マスク氏のツイートがほぼ唯一の公式な情報源となっている。
人権チーム 偽情報監視したキュレーションチームも解雇
さて、このマスク氏の独特の個性は、買収したTwitter社に容赦なく襲いかかった。
マスク氏はTwitter社の経営陣を全員解任。また7500人いたTwitter従業員の大半を解雇。残った人数は当初の3分の1程度と見られる。これはいわゆるレイオフの水準ではなく、会社組織の破壊とすらいえる規模である。
それにも関わらず、イーロン・マスク氏は次々と新しい施策を打ち出している。従業員は振り回されていることだろう。
なぜ大量解雇を行ったかといえば、まず単純に赤字を削減するためだ。それにTwitterの今までの体制をイーロン・マスク氏は信用していない。Twitterの従来の組織にダメージを与え、残された人々をより厳しく統率する狙いもあるようだ。
例えばリモート勤務を原則として禁止した。またイーロン・マスク氏への批判的な言動を見せた従業員は容赦なく解雇されている。
特に注目すべき点は、イーロン・マスク氏が、世界の人権活動家を支援していた人権チームや、コンテンツの偽情報の発見などにも携わっていたキュレーションチームを解散させてしまったことだ。
Twitterは新型コロナウイルスに関する偽情報に対して警告するマークを付けていたのだが、11月23日付けでこの施策は打ちきられた。誤情報を発見、警告する機能が大きく損なわれている疑いがある。
イーロン・マスク氏は12月3日に「Twitter上のヘイトスピーチは減っている」と述べた。だが人権団体の調べではマイノリティへの差別的な発言数はイーロン・マスク氏の着任後に大幅に増えている。引き続き注意が必要だろう。
現時点のTwitterは、大量解雇という大災害から立ち直り組織を再建中の段階と見た方がいいだろう。一部のソフトウェアの専門家は「知識を持つエンジニアが大幅に減ったことにより不確実性が高まった。Twitterのサービスが徐々に機能不全に陥る可能性もあるのではないか」と心配しているほどだ。
広告主CEOを非難? ブランドイメージ毀損 ビジネスにも打撃
イーロン・マスク氏は、Twitter社の組織だけでなくビジネスにもダメージを与えた。
Twitterの主な収入源は広告だが、上位100社の広告主のうち半数が広告を取りやめたとの報告がある。イーロン・マスク氏の奇行、それにTwitterにどのような投稿も載せてしまおうとする姿勢は、ブランドを大事にする広告主から見れば危なく見えたのだ。
英Financial Times紙が伝えたある広告代理店の関係者によれば、イーロン・マスク氏は広告を取りやめた広告主のCEO(最高経営責任者)に電話をかけて非難しようとした。
こうした振る舞いを見て、広告代理店もさじを投げてしまった。広告代理店としては広告を扱うことで売上げを立てたいはずだが、それ以上にイーロン・マスク氏の奇行により広告主のブランドが損なわれることを怖れているのだ。
前述の記事には「イーロン・マスク以外の人がCEO(最高経営責任者)になることが、広告主を呼び戻す最もいい方法だ」というコメントがある。
このようにイーロン・マスク氏はTwitter社の組織とビジネスに大きなダメージを与えた。その回復のためにあの手この手を打っているはずだが、はたしてTwitter社は復活するのか。その見極めは現時点では難しい。
一つ言えることは、イーロン・マスク氏は、人の目と手でコンテンツを編集するよりも、ソフトウェアがSNSを運営する方が好ましいと考えているようだ。
それにより原則としてどのような投稿もそのまま載せること、つまりイーロン・マスク氏に言わせれば「言論の自由」を守ることが狙いだ。だが、この思惑通りには事が運ばない見通しだ。
Apple、EU、カニエ・ウエスト…コントロール不可の領域
イーロン・マスク氏は、今やオーナー兼経営者としてTwitter社に独裁的な権力を振るう立場だ。トランプ前米大統領を筆頭に、差別発言や暴力扇動で凍結された人物のアカウントを次々と復活させた。
だが、そんなマスク氏にもコントロールできないものはある。それは同社の外側にある「社会」そのものだ。
まず、11月30日に、イーロン・マスク氏は米Apple社のティム・クックCEO(最高経営責任者)と「いい会話ができた」「誤解は解けた」とTwitterに投稿した。Appleが運営するiPhone/iPad向けアプリストアにTwitter専用アプリを引き続き掲載してもらえるよう話を付けた格好だ。
会話の内容は不明だが、Appleと連絡を取るチームの人員確保や、コンテンツモデレーション(デマ、ヘイトスピーチなどの取り締まり)の実施を約束した可能性があるだろう。Appleは、同社のアプリストアが掲載するTwitterアプリが暴力的、差別的なコンテンツで溢れることがないよう、イーロン・マスク氏に釘を刺したのかもしれない。
同じ11月30日、イーロン・マスク氏はEU(欧州連合)委員とビデオ会議を行い、新たに発効したEUのデジタルサービス法(DSA)を「守る」と述べた。
これは筆者にとっては意外だった。2022年11月に発効したEUのデジタルサービス法(DSA)は、大規模なSNS企業にアルゴリズムの透明性、ヘイトスピーチやデマ情報への対応を義務付け、違反すると最大で年間売上高の6%に相当する制裁金が科される。
はたしてイーロン・マスク氏率いるTwitterはEUの厳しい法規制を遵守できるのだろうか。ここは特に注目したい点である。
12月2日、イーロン・マスク氏は、米ラッパーのカニエ・ウェスト氏のTwitterアカウントを凍結したと報告した。
カニエ・ウエスト氏は最近反ユダヤ発言を繰り返していた。決定的だったのは、事もあろうにユダヤ人を表す「ダビデの星」とナチス党のシンボル「かぎ十字」を組み合わせた図形をTwitterに投稿したことだ。言論の自由を最優先するマスク氏にもカニエ・ウエスト氏の奇行は手に負えなかった。マスク氏は「最善を尽くした」と述べた。
広告主の撤退、Appleのアプリストアの自主規制、EUの法規制、それに目に余る反ユダヤ発言の禁止——これらが示すことは、イーロン・マスク氏といえどもコントロールできない相手は存在するということだ。
おそらく、こうした社会との摩擦を経て、Twitterの運営方針は収まるべき範囲に収まるのではないか——筆者は、そのような希望をある程度は抱いている。
ただし、それ以上にTwitterが業績低下や運営上の事故などにより回復不可能なダメージを被る可能性もまだまだ大きいと見ている。
2億人のSNSは民主主義の一部 その社会的責任は
筆者としても、今回のイーロン・マスク氏によるTwitter買収は多くのことを考えさせられる事件だった。
米国では「言論の自由」を重んじるあまり、包括的なヘイトスピーチ対策法がまだ立法されていない。もちろん、差別発言などへの対策はいろいろな方法で行われているが、どのような言論も制限するべきではないと考える人が米国には一定数いるようだ。イーロン・マスク氏もその一人という訳だ。
イーロン・マスク氏個人がどのような思想信条、経営理念を持とうと、それは個人の自由、一私企業の自由かもしれない。しかしながら、アクティブユーザー数2億人の巨大SNSであるTwitterは、好むと好まざるに関わらず、世界中で世論形成に大きな影響力を持ってしまっている。つまり民主主義の一部なのである。
その影響力は全国紙やテレビ放送のキー局以上になる場合すらあるだろう。倫理的にはTwitterには全国紙やテレビ局以上の巨大な社会的責任がある。
大規模SNS企業が社会的責任を果たす上で、少なくともヘイトスピーチ、陰謀論、デマ情報のような有害な情報の拡散を防ぐ手立ては必要だと筆者は考える。
そのためには立法によりSNS上のコンテンツモデレーション(編集)の法的根拠を作るとともに、透明性があり第三者が監査可能で異議申し立てプロセスが存在する仕組みを用意するべきだと考えている。
これは、筆者独自の意見ではなく世界の潮流である。
インターネットの技術者や事業者らの国際会議NETmundialで、2014年に「オンラインの権利(人権)」という考え方が合意されている。紙と同じ表現の権利がインターネットでも認められるという原則である。ネットは紙と同じ責任を持つということでもある。
2016年には、国連人権理事会で「オンラインの権利」が確認された。このときの決議では「ヘイトスピーチや暴力扇動と戦う」ことも明記された。
ヘイトスピーチや暴力扇動と戦うことは表現の自由の一部なのである。
こうした原則を受け、ドイツはSNS企業にヘイトスピーチ取り締まりを義務付けるネットワーク執行法を2017年に成立させ、EU(欧州連合)は前述のデジタルサービス法を2022年11月に発効させた。
筆者は、中長期的には、SNS企業にはEUのような法的根拠があり公開された基準に基づくSNS規制が必要だと考えている。
今すぐできることとして、企業が自主的に実施するコンテンツモデレーションの内容をできるだけ開示して透明性を高め、また第3者が助言や協力や監査ができる体制を早急に導入してほしいと考えている。これが現時点の筆者の意見である。