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「メディアリテラシーは誤用されている」 フェイクを見抜くよりも大切なこと

グローバル教育考
法政大学第二中・高等学校で行われたメディアリテラシー授業。「情報を発信してみる」がテーマだった=2020年2月、川崎市中原区の同校で

■バレンタインデーの贈り物禁止?

新型コロナが流行する直前の今年2月10日、川崎市の法政大第二中・高等学校で、中学2年約220人を対象に、メディアリテラシーのワークショップが開かれていた。授業を準備したのは、筆者が現在所属するスマートニュースメディア研究所。当時、筆者は同研究所に入社する前だったが、見学させてもらった。国語の時間を使い、約40人のクラスごとに行われた。

この日は、「情報を発信してみる」がテーマ。だれでもスマホなどを使って、ツイッターやインスタグラム、フェイスブックなどのソーシャルメディアで、情報を発信できることを意識した授業だ。

その前月には、世界のメディアリテラシー教育の動向に詳しい法政大学キャリアデザイン学部の坂本旬教授が、同じ生徒たちに対して、「情報の受け取り方」についての授業を行っていた。

そこでは、「特定菓子贈与禁止法案可決」という新聞記事がスクリーンに映し出された。バレンタインデーにお菓子をプレゼントするのを禁止する法律が可決されたという内容だ。

この記事が本物かどうか、判断の根拠も含めて発表するという授業。生徒たちは、グループに分かれて、記事の真偽について討議し、発表した。結果的には、どのグループも虚偽のニュースであることを見破ったが、偽だと判断する根拠に使ったサイトが誰によって書かれたか、そのサイトが本当に信頼できるのかどうかまで調べた生徒はほとんどいなかった。

「発信してみる」の授業で、何をテーマに情報を発信するかについては、法政二中の先生と研究所側で打ち合わせをした結果、「スマホを授業で活用することへの賛否」となった。

神奈川県がすべての県立高校で私物のスマホを授業で活用する環境を整備する方向であるとの報道があったことや、生徒にとってスマホが身近なテーマであることが理由だという。生徒たちは、事前に、家族や友達などの意見も聞いた上で、授業に臨んだ。

法政大学第二中・高等学校の中学2年の生徒たち。小さなグループに分かれて、「見出し」について話し合った

■「見出し」を考えて気づく、発信の意図

生徒は2,3人のグループに分かれて着席。保護者や学校の先生が読んでいるオンライン校内新聞に、賛成か反対かの意見の記事を載せるという想定にし、その記事の「見出し」をグループで考えた。各グループが入力した見出しは、ほかのグループが使っているパソコンや、教室の中央に設置されているスクリーンにも表示された。

教室でスマホを使うことについては、賛成が反対を上回った。

賛成意見としては「授業の質がよくなる」「自分の考えが伝えやすくなる」、反対意見としては「授業中にゲームやチャットをしたくなり集中しなくなる」「スマホを持っているかどうかや機種によって不平等になる」などの意見があった。

記事の見出しとしては、賛成の立場のグループでは、「ノートを取る手間をなくすことで授業の質をより高めていく 新しい授業スタイルとは?」「法政2中授業改革!今の授業は時代遅れ?」など、わざと「スマホ」という単語を使わず、記事に誘導しようという例もみられた。反対のグループからは「依存症、なって退学 自己責任」「お母さん、ごめんね。」といった感情に訴えるものもあった。

グループで討議したあとは全体討議に移り、どういう見出しだと読みたくなるのかについて討議した。

最後に、研究所の所員から、発信する人には、誰かに何かを伝えたいという意図があり、あらゆるメディアの情報には、メッセージ性があることに気づいた上で情報に接したほうがよい、というアドバイスがあった。検索エンジンやソーシャルメディアではコンピューターのアルゴリズムによって「みたいものしかみえなくなる」フィルターバブル現象が起きがちなことや、友人からシェアされる情報は虚偽でも信じやすいこと、虚偽のニュースのほうが拡散スピードが速いといった研究結果も、生徒たちに伝えた。

記事の「見出し」を考えてみよう、と生徒たちに伝えるメディアリテラシー担当の中井祥子さん=法政大学第二中・高等学校で

■「メディアリテラシー」という言葉の誤用

1,2回目の授業全体を監修した坂本教授は、日本においてメディアリテラシーという言葉が誤用されていると指摘する。

たとえば、NHKが学校向けに出している動画では、メディアリテラシーには3つの要素がある、と整理されている。

  1. メディアを読み解く力=情報が正しいものかどうか判断する
  2. メディアを活用する力=目的や状況に応じて、どのメディア機器を使えばよいのか、その特徴を知り、使い分けることができる
  3. メディアを通じてコミュニケーションする力=パソコンやスマートフォンなど、メディア機器を通じて上手にコミュニケーションできる

その上で、「多くの情報が手に入る現在、情報化社会とうまくつきあうためには、メディアの情報を読み解き、活用し、上手にコミュニケーションする力が必要です」とする。

坂本教授は、この2や3は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)や米国、EU(欧州連合)で広く使われている言葉の定義からは、「情報リテラシー」の中に入れるべきで、「メディアリテラシー」には当たらないという。メディアを読み解く力にしても、フェイクニュースを見分けるということに絞るのなら、「メディアリテラシー」というより、むしろ「情報リテラシー」に入れるべきなのだという。

■メディアリテラシー5つの原理

法政大学キャリアデザイン学部の坂本旬教授=東京都千代田区、法政大学の研究室で

では、国際的な基準でみて、「メディアリテラシー」とは何なのか。

坂本教授によれば、もっと広い概念であり、主に5つの原理によって成り立っている。

第一の原理は、「すべてのメディア・メッセージ」は「構成されている」ということ。
ここでいう「メディア・メッセージ」は、テレビや新聞など大手メディアだけでなく、個人で発信するソーシャルメディアを含む。

第二の原理は「メディア・メッセージは、創造的な言語とその原理を用いて作られている」ということ。テレビのCMなどを考えるとわかりやすいが、さまざまなカメラワークや音声などの要素によって、メディア・メッセージは構成されている。

第三の原理は、「メディア・メッセージは、多様な人々によって、多様に感じ取られる」ということ。一つの同じメッセージでも、東京に住むか、沖縄に住むかで、米軍基地問題についてのとらえ方も変わってくる。

第四の原理は、「メディア・メッセージは、価値観と視点を有している」。新聞社や放送局にはそれぞれ「癖」があり、同じニュースを報じるにも、その価値観が反映されがちである。それはソーシャルメディアで個人が発信する際にも、同じことが言える。

第五の原理は、「ほとんどのメディア・メッセージは、力や利益を得ることを目的として作られている」。メディア企業には公益性もある一方、株式会社である以上、利益を得ることを目的としている面がある。また、クリックすればお金を稼げるような仕組みを利用して、「フェイクニュース」を作る人もいる。利益が目的でなくても、何らかの力(影響力)を得ようとする場合もある。メディア・メッセージには、必ず目的があるということを頭に置く必要がある。

■「さ・ぎ・し・か・な」 でチェック

以上が、国際的にみたメディアリテラシーの基本原則だが、これだと、実際に生徒向けの授業では使いにくい。坂本教授は、米国のメディアリテラシー団体であるCenter for Media Literacyの5つのチェックリストを日本語に翻訳し、「さ・ぎ・し・か・な」というわかりやすい標語にした。

それぞれ、上記の第1から第5の原理に対応している。

さ:誰がメッセージを作り出したのか(作者の「さ」)
   (Authorship) Who created this message?

ぎ・私たちの注意を引くためにどんな創造的表現技法が使われているか(技法の「ぎ」)
   (Format/Techniques) What techniques are used to attract my attention?

し:他の視聴者は自分と比べてどのように違った理解をするだろうか(視聴者の「し」)
   (Audience) How might others interpret this message differently?

か:どんな価値観やライフスタイル、視点が表現されているか、あるいは排除されているか(価値観の「か」)
   (Content/Framing) What values, lifestyles and points of view are represented in-- or omitted from -- this message?

な:なぜメッセージが送られてきたのか(なぜの「な」)
   (Purpose) Why is this message being sent?

中学生向けなどの授業においては、「では、みんなで『さぎしかな』をやりましょう」と呼びかけ、一つ一つ、チェックしていき、生徒たちに考えさせるのだという。

また、米国などの最近の流れでは、デジタル化・ソーシャルメディアで誰でも発信できる状況をを踏まえ、単に「さ・ぎ・し・か・な」的なチェックでメディアメッセージを理解するだけでなく、メディアを使って自己表現し、市民社会に参加したり行動したりすることも含めて、語られることが多くなっている。

そうしたことから、坂本教授は、国際的な理解をもとに、メディアリテラシーを下記のように定義する。

「メディアリテラシーとは民主主義社会におけるメディアの機能を理解するとともに、あらゆる形態のメディア・メッセージへアクセスし、批判的に分析評価し、創造的に自己表現し、それによって市民社会に参加し、異文化を超えて対話し、行動する能力である」

■記者から転じて、気づくこと

筆者は、メディアの世界で記者や編集者として30年以上働いた後、いま、シンクタンクにいる。

発信する側から、研究やメディアリテラシーの教材作りをする立場に変わったわけだが、振り返ってみると、記者時代には自分の記事が「構成されている」と強くは意識していなかったように思う。

ニュース記事を書く場合は、なるべく客観的な記事になるように努力をしていた。社説や署名コラムも書いたが、そうした「意見」と「ニュース記事」は明確に違うと教育された。記事の場合は、行数の制約はありつつも、なるべく違った視点の「意見」「見方」を盛り込むように務めていた。

しかし、当然のことながら、一つの出来事を扱う場合、書き手によって記事はかなり違ったものになる。何が事実だったのかを追うのは記者の大切な仕事であるが、事実も光の当て方で、全く違ったように見えてしまうのは間違いない。

読み手からすると、「真に客観的な記事はない」という風にとらえるほうが、正しいアプローチかもしれない。もちろん、それは記事はすべてバイアスがかかった「眉唾」だととらえることを意味しない。

「この記事は、両論を紹介し、なるべく公平に描こうとしているな」とみたり、「かなり記者の主観が入っているな」とみたり、要は、一歩距離を置いて記事を読んでみるのが有用というような意味である。そうした態度は、虚偽ニュースや、デマにまどわされないことにもつながるだろう。

その意味で、大切なのは、「クリティカルシンキング・批判的思考」の訓練なのではないか。

日本語で「批判」というと、「非難」に近い意味と取る人もいて、文部科学省も教育の目標として「批判的思考」という言葉をあまり使わない。

しかし、ここでの「批判」は、誰かを「非難」するという意味ではない。

ソーシャルメディアなどで情報を得たときに、それを鵜呑みにしたり、そのまま誰かに転送したりする前に、本当なのだろうかと一歩立ち止まり、その根拠は何なのかなと見つめなおす。いわば情報を「吟味する」という姿勢であろう。

人は不安な時には、正常ではない判断に陥りがちである。

新型コロナの感染が拡大していた時、たとえば「新型コロナウイルスは、26度から27度ぐらいの温度で死ぬので、お湯を飲むと良い」という虚偽情報が広がっていた。

筆者の身近な人も信じていた。人の体温よりも低い温度で死ぬのならば、あれほど感染症が広がるはずはない。しかし、通常の状態であれば冷静な判断できる人でも、大きな不安に包まれている中では、それが難しくなることがあるのは十分ありうる。

コロナ関連では、「○○の赤十字病院の医師によれば・・」というような虚偽情報も流れた。こうした情報にしても、「ぬるま湯が効く」といった情報にしても、シェアする人は善意でシェアしていることが多い。

しかも、情報のすべてが間違いではなくて、その中には正しいアドバイスも入っていたりするケースもあるので、厄介である。

こういった非常に込み入った状況の中での判断はいちいちチェックすると時間的にも大変になる。そのとき、「これはクサイ」と直感すれば、友達にシェアしないほうがいいだろうし、友達にシェアしてしまったあと虚偽情報と気がつけば、虚偽であることをシェアするのもいいだろう。いずれにしても、「情報を吟味する姿勢」というのは、学校教育などの場で養える能力である。

以上の点は、坂本教授の定義では、「メディアリテラシー」の第1原理をカバーしていることになる。

■自分の頭で考える

さらに坂本教授は、第3や第4の原理についても学ぶことが大切だという。

同じメッセージでも、自分以外の人はどう感じるのか、表現の背後にどんな価値観があるのかを考える。そのことで、ヘイトスピーチや、プロパガンダについても、客観的に捉え直すことができる。

また、政府や企業の動画などの作り方によっては、非常に感情を揺さぶられることがある。

どんなテクニックを伝えば、人々の心を動かせるのか、自ら動画を作るなどによって学べば、そうした経験を「客観視」できる。これは第2の原理である。

それは、メディアの送り手の目的を考えてみること、つまり、第5の原理ともかかわってくる。

坂本教授によるメディアリテラシーの定義は、日本の中の定義と異なるという批判もありうるだろう。坂本教授自身も、日本国内の定義が、米国や欧州などの定義と同じでなければならないとは考えていない。ただ、「さぎしかな」チェックは、日々押し寄せる洪水のような情報の中で、自分の好みの情報ばかりに浸る危険性を避け、自分の頭で考えていくということにつながるだろう。

小中学生のころから、学校教育の場で、メディアリテラシーの基礎を学び、「批判的思考」を訓練していくことは、決してマイナスにはならないと思う。そうした能力は、家庭の中で、親子で一緒にニュースを見て話し合うことでも養われるだろう。その際に、親が断定的で一方的な価値観を子供に押しつけるのではなく、複数の見方を示して子供と一緒に考えるといった態度が大切なのではないか。