私たち人間という種について最も驚くべきことの一つは、その文化がいかに速く変化し得るかだ。
新しい言葉は大陸から大陸へと広がる可能性があり、携帯電話やドローンなどのテクノロジーは世界中の人びとの生活様式を変えている。
ザトウクジラにも長い距離を、高速で伝わる独自の文化的進化があることが分かった。インターネットだの衛星だのは必要としない。
8月30日に発表された研究で、科学者たちはザトウクジラの「歌」(訳注=コミュニケーションを目的にクジラが発する一連の音を指す)が太平洋を越えて一つの集団から別の集団へと容易に伝播(でんぱ)することを突き止めた。歌はほんの2、3年で数千マイル(数千キロ)先に伝わる。
エレン・ガーランドは英スコットランドにあるセントアンドリュース大学の海洋生物学者で、今回の研究論文の共同執筆者だが、彼女はオーストラリアのクジラがフランス領ポリネシアのクジラに歌を伝え、それをエクアドルのクジラに伝えたことが分かって衝撃を受けたと言っている。
「地球の半分が現在、クジラたちの音声でつながっている」と彼女は指摘し、「すごいことだ」と言うのだ。
歌が南半球全体を駆け巡っている可能性さえある。他の科学者たちによる予備的な研究では、大西洋のクジラは東太平洋のクジラが発する歌を捉えていることが明らかになっている。
ザトウクジラの個体群は、それぞれ同じ繁殖地で冬を越す。オスは大音量で水中歌を発するが、それは長ければ30分は続く。
同じ繁殖地のオスはほぼ同じ調子の歌を発する。そして、年を追うごとにクジラたちのメロディーは徐々に進化していく。
ガーランドと仲間の研究者たちは、こうした歌に、言語に似た複雑な構造を発見した。
ザトウクジラは、科学者がユニット(単位)と呼ぶ短い音を組み合わせてフレーズをつくる。そして、フレーズを組み合わせてテーマ(楽曲の主題)にする。歌はそれぞれいくつかのテーマで構成される。
オスのザトウクジラは、歌の中でユニットを変えることがある。時々、新しいフレーズを追加したり、テーマを削除したりする。
他のオスが、それを模倣することもある。音のこうした装飾が個体群の歌を徐々に進化させ、個体群ごとに劇的に異なるメロディーを生み出すのだ。
(オーストラリアの)クイーンズランド大学の海洋生物学者マイケル・ノアドは個体群の歌が時たま突然劇的に変化することを発見した。
彼と同僚は1996年、オーストラリア東海岸でオスのザトウクジラがその海域の歌を捨て去り、西海岸で以前発せられていた歌と一致する曲を歌っていることに気づいた。
東海岸のすべてのオスが2年以内に同じ歌を発するようになった。
ノアドの研究は、あらゆる動物種におけるこの類いの文化的革命を突き止めた最初の画期的な研究だった。
ガーランドは太平洋の遠東部にあるザトウクジラの繁殖地で彼らの歌を録音し、2000年代初め、ノアドのもとで博士号を取得した。
彼女はザトウクジラの歌を比べてみて、ノアドが調べた歌と同じ伝播パターンを見つけた。オーストラリア東海岸で発せられていた歌は2、3年のうちに6000マイル(約9660キロ)離れたフランス領ポリネシアに出現した。
ガーランドは2011年に最初の発見を発表した後、同じ繁殖地でのザトウクジラの歌の録音を続けた。
彼女はザトウクジラの歌が太平洋をさらに東へと伝えられているのではないかと考えたのだ。
エクアドルのサンフランシスコ大学キト校の海洋生物学者ジュディス・デンキンガーとハビエル・オニャの2人が研究協力を申し出てくれたので、このことを究明する機会が訪れた。2人はエクアドルの海岸で繁殖するザトウクジラを研究している。
デンキンガーとオニャは新しい研究で、2016年から2018年にかけてザトウクジラの歌を録音していた。
同じ時期、フランス領ポリネシア・モーレア島の海洋哺乳動物研究プログラムの海洋生物学者ミカエル・プールは、そこでクジラの歌を録音していた。
研究者たちは、海を通過するクジラの音を傍受できるよう海中にマイクを設置した。
また、ボートでザトウクジラを追い、彼らが発する歌を捉えるため海中にマイクを入れた。
2016年と2017年には、二つの個体群は明確に違う歌を発していた。ところが2018年に大きな変化が起きた。
エクアドルのザトウクジラがフランス領ポリネシアのクジラの歌のテーマを採り入れていたのだ。
科学者たちは、こうした発見を8月30日発行の学術誌「Royal Society Open Science(ローヤルソサエティー・オープンサイエンス)」で発表した。
ドイツのブレーマーハーフェンにあるアルフレッドウェゲナー研究所の博士研究員エレナ・シャールは、今回の研究には関わっていないが、大西洋でいくつかの同じようなパターンを見ていると語った。
ブラジルや南アフリカの沖合のザトウクジラは、エクアドルの海域で以前に記録された歌のテーマを採り入れているという。
シャールは、歌が南半球を一周する可能性はあると言っている。
「その可能はあるが、インド洋ではデータが不足している」とシャール。「比較できる十分なデータがあれば、間違いなく次の段階に進めると思う」と彼女はみている。
ガーランドとシャールは、ザトウクジラが繁殖地を離れ、南極近くの餌場に移動するにつれて歌が広まる可能性が高いとみる点で考えが一致した。
この移動の途中で、オスのザトウクジラが別の個体群のオスたちと一緒に遊泳するかもしれない。
そのオスの発するまったく異なる歌を、群れが聞き取り、歌のテーマの一部を借りる、あるいはそっくりいただく可能性もある。
群れが繁殖地に戻る時、彼らは新しい歌を発し続けるだろう。
ザトウクジラが発する歌が、主に西から東へと伝播する理由について、ガーランドはオーストラリア周辺にいるザトウクジラの個体数の多さによるのかもしれないと言う。
一頭のザトウクジラが個体群のコースから東へそれる可能性は、反対方向にそれる可能性より高い。
一方、シャールは、少なくともその理由の一部が南極還流として知られる南極周辺の時計回りの海流にあると考えている。
移動するザトウクジラの個体群から離れたオスは、他のクジラの群れに遭遇するまで海流に乗って東へと流れていく可能性がある。
「私はおそらくこれが正解だと思うけれど、証明するのは難しい」とシャールは言う。
ザトウクジラの歌の驚くべき伝播について完全に理解するには、研究者たちはそもそもなぜザトウクジラが歌を発するのかを解明する必要がある。
多くの研究者は、ザトウクジラの歌が鳥の鳴き声のように、メスをオスに引き付ける働きをしているのではないかと考えている。
目下のところ、それはまだ仮説にすぎない。鳥類学者は、オスの鳥の鳴き声が繁殖の成否にかかわる重大事であることを実証した。
しかし、外洋でザトウクジラのオスが交尾する習性を追跡調査するのははるかに困難なことである。
歌に装飾音を加えることは、そのオスを際立たせる方法なのかもしれない。「斬新さへの衝動がある」とガーランドはみる。
「メスがそれを好むかどうかには、大きな疑問があるけれど」と彼女は言っている。(抄訳)
(Carl Zimmer)Ⓒ2022 The New York Times
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