女性の政治家なぜ少ない? 「見えないものにはなれない」を突破する「手本」を考えた

パブリックリーダー塾は、政治家志望の10~30代の女性が対象。審査で10~20人を選び、現役の女性議員や政策立案の経験者から、社会課題やコミュニケーションスキル、行政の仕組みや選挙戦略などを講義形式で学ぶ。
経済支援(100万円)や参加者のコミュニティづくりの支援もするという。
同財団の村上玲・代表理事は、設立の理由と目的をこう語った。
「社会や課題はどんどん多様化しています。ですが政界は多様化していません」
「働きながらキャリアを構築している方、子育てや介護に奮闘する方、社会貢献事業を行うシングルマザー、グローバルで活躍する方、勉学に励む方、こうした『普通』の女性が選挙にチャレンジするハードルを少しでも下げたい」
「見えないもの」は、塾応募者の審査を担当するMpower Partners ゼネラルパートナーのキャシー松井さんの発言だった。
衆院議員の女性割合が1946年(8.4%)と直近(9.7%)で「75年間ほとんど変わらない。有権者として(こんな状態で)大丈夫なんですか」と指摘した松井さん。最後に「『見えないものにはなれません』。『見えるものになれる』ように、次世代の女性がこの国のリーダーになるために応援しています」と締めくくった。
この言葉は、米国の社会活動家、マリアン・ライト・エーデルマンの"You can't be what you can't see."からきている。
マイノリティの世界でたびたび生じる負の循環を絶妙に言い当てた言葉として、メディアで描かれる女性の描かれ方を検証した米国のドキュメンタリー「ミス・レプリゼンテーション」(2011年)で引用されるなどして、広まった。
男性や白人が多数を占める業界や職業で、女性や非白人がなかなか増えないのは、数が少ないがゆえに子どもや若者には「見えない」存在になっているからだ。だから「ああなりたい」と思い浮かべる、現実的な「お手本」(ロールモデル)として認知されないし、将来の選択肢にも入らない。つまり「見えない」のだ。
「見えた」としても、よくも悪くも「特別」「例外」な存在として扱われることが多く、共感の対象になりにくい。ゆえに、なり手も増えず、多様化も進まない。
この言葉を、松井さんは日本の女性政治家にも当てはめたのだ。
現状を見ると、確かに女性政治家は「見えない」存在だ(下の図参照)。
女性が3割を超す東京都議会がある一方、「女性ゼロ」の議会も町村を中心に17%。青森県は女性ゼロの議会が4割を占める。
知事(4.3%)や市区町村長(2%)になると、もはや「希少種」だ。
「見えない」、つまり多様化していない政界の現状が、どんな弊害を生むかがわかるような話が、会見でも相次いだ。
まず挙げるなら「自分がやれるというイメージが持てない」という弊害だろう。
「選挙に出ろと言われては断り続ける人生だった」
塾への応募の審査を担当する「新公益連盟」代表理事の白井智子さんは、松下政経塾出身で、日本初の公設民営フリースクールの運営など、25年間子どもの居場所づくりに関わってきた。有望ななり手と目されながら、立候補せずにきた理由をこう語った。
「社会起業家として国会議員に教育の課題を説明しても全く話が通じないことが多かった。不登校の子供がこれだけ苦しんでいるのに『だから何?』という反応。忖度して『経済にこんな影響がある』と説明してようやく話が通じる。そんな世界で政治家になっても、教育をよくするには非常に時間がかかりそうだと思った」
「もう一つは政治家になったら人間らしい人生が送れなくなるだろうと思ったからです。政治家へのハラスメントがたくさんある状況で、人として幸せな人生を送れるイメージが持てなかった」
いま白井さんは「何もしてこなかったことへの責任の意識が非常に大きくなった」と感じているという。塾への参画で「生活実感を持った人たちが生活を犠牲にすることなく政治に参画できる世の中を作っていくのに寄与できれば」と語った。
企業の「管理職」に置き換えても、まったく通じるようなエピソードだった。白井さんが共感できるような議員たちと出会えていたら、などと考えてしまう。
「見えない」から、根拠のない偏見が「温存」される。会見で2人の元候補者が語った選挙中の経験談がそうだった。
2020年の東京都議補選と2021年の都議選に立候補した佐藤古都(こと)さんは、こう振り返る。
「街頭演説の最中に子どもがいるなら家に帰って子育てをまずきちんとやれ、というヤジを受けたことが、一度ならず複数回ありました。そこまでいかなくても、支援者の方から子供や家のことは大丈夫?とお声がけいただくこともあって、男性候補者もこういうことを言われるんだろうかと疑問に思うことが本当に多くありました」
「取材を受けるときも家事育児との両立はどうしているんですかという質問をたくさんいただいて、両立しなければいけないということが前提になっていることも、一つ大きな壁だと思いました」
7月の参院選の比例代表に自民党から立候補した英利アルフィヤさんは、両親が中国の新疆ウイグル自治区の出身というルーツから、誹謗中傷や事実無根の情報にさらされた。
「『このバカ』『元外国人』『中共帰化人』『中国のスパイ』といった、事実無根の言葉を浴びせられましたし、日本で生まれた日本人なのに『日本語を勉強して出てこい』などと言われたりもしました。「選挙後も、自分の政治スタンスとは全く違うスタンスを持っているとSNSで拡散され「自分の立ち位置が妨害されている」と感じました」
「マイノリティの場合、一定に達するまでは、個人としてではなく、どうしても『属性の代表』として見られてしまう。議員にも立候補者にも女性が少ない日本では、自分個人の考えより、属性から推測される立ち位置を与えられてしまうのが一番大きなハードルだった」
一方で「たくさんの女の子が隣に来てくれたり、絵を送ってくれたり、名前を覚えてくれた」のがうれしかったという。出会った子たちが「自分が政治家になるということに違和感を持たないようになるなら、それでよかったなと思うところもあります」
「見えない」が続く限り偏見がとれず、なり手も増えない。こうした負の循環から抜けるための方法としてまずあがるのが、立候補者や議席で、女性議員の割合をあらかじめ定めておく「クォーター制」だ。
もはや約120の国・地域でとりくまれ、導入してない国の方が珍しい。パブリックリーダー塾のように、なり手の育成も必要だ。
「見える」に向けては、こうした制度化と同時に、少しずつでいいから「空気」も変えたい。普段から「見せる」方法はないだろうか。ここで、もう一度「見えないものにはなれない」に戻ろう。
この言葉は2010年代半ばになると、SNSによく登場するようになった。 様々な分野で活動するマイノリティのロールモデルたちを紹介する際、もしくは多様なバックグラウンドを持つ人たちが集まる場面を紹介する際、#youcantbewhatyoucantsee のハッシュタグがつくのだ。#ifyoucanseeityoucanbeit (見えたらなれる)のハッシュタグもある。
What a wonderful photo. The most diverse parliament (at least on one side of politics) ever in this country’s history that is starting to reflect the communities they represent.#auspol #youcantbewhatyoucantsee pic.twitter.com/1iy6yUn4dq
— Burcu Spsych (@_BrcSglm_) June 1, 2022
依然少ないし、不利な状況なのは変わらない。でも、「見える」場面を増やしていくことで、「見えない」ことからくる弊害を減らしていこう。発信側のそんな気持ちが伝わってくる。
Really enjoyed spending time today working with some amazing FRS women who are just at the start of their careers and some fantastic instructors who are well established and respected in theirs!! @WFSUK1 #IfYouCanSeeItYouCanBeIt! pic.twitter.com/u6Y4piTB6n
— Lynsey McVay (@Lynsmc31) June 11, 2022
確かに、女性指導者を目にする機会を増やすと、男性だけでなく、女性自身のステレオタイプも改善されるなど、あながち無視できない効果を指摘する研究は少なくない。文字通り、「百聞は一見に如かず」(Seeing is believing)という題名の「研究」もある。
見せ方も工夫したい。「政治家」ではないが、ヒントになりそうな研究がある。政治家同様に女性が少ないSTEM(科学・技術・工学・数学)の分野で、どんなロールモデルの「見せ方」が女子学生に効果的か、50の研究をレビューし、そこから四つの教訓を提言した。以下、その要約だ。
この提言からは、「ちょっと頑張ればなれそう」「私みたいな人間でもなれそう」と感じられるような距離感が、いかに大事かが見えてくる。
確かにそうだ。若いころ、二回りも三回りも齢の違う女性重役を見て「私もああなりたい」など、思ったことなどあっただろうか。
もっとずっと手前の、就活を頑張る大学のゼミの先輩や、子供を育てながら昇進した上司、大学院に入り直した先輩や、転職先でいい仕事をしている元同僚など、道半ばの同世代の方が、自分の背中を押してくれた、という意味では現実的な「ロールモデル」だったと思う。
となると、国会議員、閣僚経験者、みたいなロールモデルより、右も左もわかりません、みたいな地方議員1年生や、なれるかどうかわからないけど、「パブリックリーダー塾」に応募して政治家を目指し始めたような女性たちの方が、「なり手」を増やす、という意味では、むしろ「効く」ロールモデルなのかもしれない。