北朝鮮の指導者、金正恩は5月中旬、新型コロナウイルスによる感染症の発生を認め、ウイルスとの闘いで中国の「成功」から学ぶよう政府に命じた。しかし、中国のパンデミック(感染症の大流行)対応への追随は、困窮化した自国を破局に向かわせる可能性があることについては言及しなかった。
中国はパンデミックの間、感染の発生を低く抑え込むために厳格な封鎖や集団検査、ワクチン接種を行ってきた。北朝鮮の場合、みずから認めているように感染の爆発的な発生を経験しているが、中国が武漢、西安、上海といった都市で厳しい制限を強いるために行った基本的な医療の提供や食料の供給を欠いているのだ。
公衆衛生の専門家たちはいま、金正恩が(感染症の封じ込めで)倣いたいとする中国モデルは急速に広がるコロナ禍を悪化させるだけだと警告している。北朝鮮で新たな感染が疑われる患者は5月12日時点で1日1万8千人だったが、1週間後には1日数十万人にまで急増した。とはいえ、実際の発生規模を知るには無理がある。
北朝鮮は5月12日に初めて発生を確認するまでの2年間、コロナ感染はないとしていた。大半の人たちはワクチン接種を受けていない。この国では1990年代半ばに飢餓で推定200万人が死亡したが、(国際的に)非常に孤立しているため、餓死者の遺体が中国国境の浅い川にうち寄せられるまで外の世界は(北朝鮮の飢餓を)知らなかった。
北朝鮮には感染症発生の規模を正確につかむための十分な検査キットがなく、その把握はウイルス検査で陽性になった人の数ではなく「発熱が判明した人」の数を基にしている。感染が疑われる約170万人のうち、62人が死亡したと報告された。国営メディアは5月18日、100万人が発熱から回復したとしているが、専門家たちは北朝鮮がいう数字を疑っている。
「北朝鮮が死者の数を正直に発表しているとは思わない」とジェイコブ・リーは言う。
韓国の翰林大学医療センターの感染症専門家であるリーは「国民を統制するため数字を少なく操作しているのだろう」としている。
北朝鮮は、最良の時でも自国民を養えていない。国の配給制度は1990年代の飢餓の間に崩壊し、その後回復することなく、人びとの自助に委ねられた。北朝鮮が中国のような極端な封鎖下に置かれた場合、政府は基本的なニーズを(国民に)提供できないだろうと北朝鮮外部の保健専門家たちはみる。
「北朝鮮人にとって、それ(極端な封鎖)は国が配給制に戻ることを意味する」とリーは言う。「それがうまくいくとは思えない。中国でさえ、封鎖された都市の住民向けの物流や食料供給に苦労しているのだ」
北朝鮮は中国に似た戦略を採っているようにみえるが、違いはある。すべての都市と郡部に封鎖を命じながらも、「労働と生産の組織化」を継続するよう促している。都市と郡部との行き来は禁止されたが、人びとはそれぞれの区域内の移動と農場や工場に出勤することは許されている。これは、日本に拠点を置くウェブサイト「アジアプレス」が伝えたもので、北朝鮮国内の情報提供者の協力を得て同国の情勢を報じている。
アジアプレスによると、工場や住宅地では体温チェックの大々的なキャンペーンも展開されており、人びとが食料その他の必需品を手に入れるための非公式な市場に行くことが認められている。
北朝鮮の大半の人は、政府による乏しい配給を補うため非公式な市場に頼っており、その閉鎖は壊滅的な打撃を与えかねない。
「私は、政権がそうした市場を完全に閉鎖するには至らないと思う」とイ・テギョンは言う。彼は、2006年に難民の一団に交じって国外に逃れるまで北朝鮮で医師として働いていた。「かつて、完全閉鎖されようとした時、人びとはそれを押し返し、警察を怒鳴りつけた。死活問題なのだ」
中国の新型コロナ対策への金正恩の称賛とは対照的に、多くの保健機関や世界の指導者たちの間では、そうした対策が持続不可能であるとの批判が高まっている。中国の国境は閉ざされたままだし、パンデミックが始まって以降、中国国外の専門家の訪問はほとんど認められていない。外国からの投資は枯渇し、教育を受けた若者たちのなかには封鎖下で暮らすより国を去る道を選ぶ人もいる。
韓国・嘉泉大学の教授(予防医学)チョン・ジェフンはウイルスの変種に言及し、「韓国のような国は比較的低い死亡率でオミクロン株との闘いを展開できた。強固な公衆衛生システムや高いワクチン接種率、治療法、そして国民は比較的健康で十分な栄養がとれているからだ」と語り、「北朝鮮には、そうした条件が何もない」と指摘した。
北朝鮮の新型コロナ発生の発端はまだわかっていないが、金正恩は最近数週間、首都の平壌での大規模な軍事パレードにマスクをしていない何万人もの人びとを動員した。この国の核能力の伸長を祝うパレードだった。5月にはまた、学生や労働者を動員して地方農村部での田植えを手伝わせた。これは、慢性的な穀物不足の国においてはとても重要な任務である。
ソウルを拠点に北朝鮮情勢を伝えるウェブサイト「デイリーNK」によると、北朝鮮当局は軍事パレードに参加した大学生グループに最初の感染者が複数いたのを確認した。その中に、最近中国を訪れた親戚からウイルス感染したとみられる者も含まれていた。北朝鮮の国営メディアは、平壌と、田植えの大半が行われる南部地域で、より多くの発熱症例が見つかったと報じた。
感染症の発生が5月中旬に公表された時、この秘密主義国家は対応への準備がまったくできていなかったことがすぐさま明るみに出た。北朝鮮当局は、発熱の症例が4月下旬に広がり始めたと言っている。だが、5月16日に国営テレビに出た疾病管理担当のリュウ・ヨンチョルによると、当局は同月14日時点で新型コロナの発症例を168件しか確認していなかった。
金正恩は「国が提供する医薬品は、薬局を通じて適切なタイミングで住民に供給されてこなかった」と認めた。
危機に対処して国民に対する神のような威厳を維持したい金正恩にとって、パンデミックでの中国の隔離主義的アプローチは最も魅力的に思える手法かもしれない。韓国政府は5月中旬、パンデミック関連の支援を話し合うための招待状を送ろうとしたが、北朝鮮側は受け取りを拒否した。北朝鮮はまた、世界的なワクチン供給プログラム「COVAX」からの寄贈も受け取りを拒んだ。同国はその理由を公式には説明していないが、援助物資の搬入でオブザーバーの入国を求められることに消極的なのだ。
韓国メディアは5月17日、北朝鮮の貨物機3機が前日、中国北東部の瀋陽との間を往復し、緊急支援物資150トンを受領したと報じた。中国外務省はこの報道の確認を拒否した。
しかしながら、かつて北朝鮮で働いていた医師のイ・テギョンは状況がすぐに好転するとの見方に懐疑的だ。
「あなたがたと北朝鮮の政権では、悪いと考えることが異なるのだ」とイは指摘し、こう続けた。「飢餓で何百万もの人が亡くなった時も、あの国の政権はたじろがなかった」と。(抄訳)
(Choe Sang-Hun)©2022 The New York Times
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