スペイン北西部のウルエーニャは、丘の上にある城の村だ。12世紀にできた城壁をそのまま使っている店もある。
あたり一面にはひまわりと大麦の畑が広がり、いつも風が吹き抜ける。加えて、有名なワイナリーも1軒。そんな風景は、はた目には城を中心とした「力強い美しさ」と映るかもしれない。しかし、この数十年、村は高齢化と人口減にあえいできた。
スペインの片田舎では共通の現象だろうが、さびれたこの村に定住するのは約100人という低迷状態が続いている。肉屋とパン屋は店主がいずれも引退して年金生活に入り、ここ数カ月で店をたたんだ。地元の学校に通う児童は、9人しかいない。
ところが、一つの業種だけは10年ほど前から繁盛するようになってきた。本屋だ。副業も含めて計11軒。うち九つは本業として開店している。
「私が生まれたころの村には本屋なんかなかった。みんな、本のことより、土地や家畜の面倒を見るのに忙しかった」とウルエーニャの村長フランシスコ・ロドリゲス(53)は笑う。
「それがこんな風に変わるなんて、少し妙な気はする。でも、こんなちっぽけなところが、文化的な営みの中心地の一つになったことには誇りを感じる。この周りの村々とはよい意味での違いができ、私たちの村を際立たせてくれた」
ウルエーニャを「本の拠点」にする試みは、2007年にさかのぼる。所管する地方当局が300万ユーロを投入。村のいくつもの建物を修復して本屋に改装するのを助成するとともに、会議場を兼ねた展示センターを建設することにした。本屋を開けば、家賃は名目だけの月10ユーロにするという好条件で誘致に乗り出した。
この企画には本で村おこしを図り、それを新たな観光の目玉にするという狙いが込められていた。
実際に欧州では先例がある。有名なのはフランスのモンモリヨンと英ウェールズのヘイ・オン・ワイだ。とくに後者は欧州で最も名高い文芸祭りの一つを長らく開催するまでになった。
スペインの出版市場は欧州では最大規模の一つといえよう。独自の資本で書籍を専門に売る「独立系本屋」が約3千軒。文具店などが副業として本を置くところも含めると、その数は2倍に膨れ上がる。ただ、本屋の40%は年収が9万ユーロ未満で、存続できるかどうかギリギリという零細さが目立つ――スペインの独立系本屋の団体CEGALで広報を担当するアルバロ・マンソは、業界事情をこう説明する。
「規模の大きさがふるいになり、零細店の多くが消えていく傾向にある」とマンソ。こうした整理・統合の流れは、ほかの国々とさして違いはない。このため、スペインの文化担当省は22年4月、小さな本屋の近代化とデジタル化を補助する予算に900万ユーロを充てることを決めた。
これだけ多くの本屋が、どれだけ生き残れるのか。読者数がとびきり高いレベルにあるというわけでもないだけに、「この国が抱える大きなパラドックスの一つであることは間違いない。とはいえ、今は『本のバブル』とでもいうべき追い風が吹いている」とウルエーニャで古本屋を営むビクトル・ロペスバチジェール(47)は語る。
「家賃が安いので、経済的にはなんとかやっていける」とロペスバチジェール。スペインの古典文学から漫画「タンタン」まで、幅広く売っている。ちなみに、書店名は「ペドロ・パラモ」(訳注=1955年初版のメキシコ人作家フアン・ルルフォの長編小説の題名)だ。
本だけではない。さまざまな作家が使ったとされる古いタイプライターも50台ほど店内に展示されている。米国のジャック・ケルアックやパトリシア・ハイスミス、英国のJ・R・Rトールキン、デンマークのカレン・ブリクセン……。
ロペスバチジェールは村に住み、約100の人口を支える一人になった。ほかの村民のほとんどは年金で暮らしている。
ジャーナリストのタマラ・クレスポと写真家の夫フィデル・ラソが、この村で家を買い求めたのは2001年。まだ、本による村おこしが始まる前だった。その2人も今では本屋を営んでいる。
店はフォトジャーナリズムに特化している。「ここで店を開く意義は、家賃がなきも同然の本屋の経営にとどまらず、自分の生き方を追求し、コミュニティー作りに参加することにあると思う」とクレスポは話す。
あえて少し苦情をいえば、閉めている日の方が多い店があることだ。補助を受ける条件には少なくとも週4日は営業するとの定めがある。にもかかわらず、開けるのは主に村を訪れる人が多くなる週末という便乗組だ。
それと、村の人口減に歯止めがかかっていないことだ。本が好きな人を村が引きつけるようになったのに、この20年の間に村民は少しずつ減っている。
それは村長のロドリゲスも認めざるをえない。「本と観光」という目玉ができたからといって、村に定住者を引き寄せ、活気を維持することが保証されたわけではない。最近の肉屋とパン屋の店じまいが、それを物語っている。
「本当に残念だが、肉屋を継ごうという若手の世代がいくら探しても見つからない」とロドリゲスはため息をつく。毎朝のパンと肉類は隣の町から配達されてくる。
スペインの片田舎で起きている人口減は「空っぽスペイン」現象とも呼ばれ、村の将来を左右する課題であり続けるだろうと村長は見ている。
一方で、本による村おこしが、実りをもたらしたのは間違いない。
ウルエーニャが助成の対象となったのは、素晴らしい景色と絵のように美しい建物が大きな要因だった。しかも、アクセスはさほど難しくはない。高速道路から下りてそう遠くはないので、首都マドリードからでも2時間ちょっとで行ける。中世の都バリャドリードも、約30マイル(約48キロ)しか離れていない。
ウルエーニャの観光事務所によると、21年はコロナ禍にもかかわらず1万9千人の観光客が訪れている。日帰り客の多くは事務所に立ち寄らないので、実数はこれをはるかに上回ると見られている。
村は年間7万ユーロほどの公的資金を「本の拠点化」補助金とは別に受けている。手書き文字の書道教室や演劇などの文化的な催しを開くのに使われている。
やはりウルエーニャで本屋を営むイサーク・ガルシアは、ウェールズの「本の天国」ヘイ・オン・ワイの近郊からパートナーのイネス・トアリアとともに越してきた。「スペインの古里」のようなところで自前の本屋を持てる機会に飛びつき、映画関連の専門店を開いた。
「やりがいのある仕事と田舎暮らしの夢とを結びつけることができると思った。それも2人の母国で」とガルシアはいう。「もちろん、ヘイにはここよりたっぷりと時間があって、じっくりと活動を成熟させ、文芸拠点を築き上げることができた。ウルエーニャも、少しずつその方向に歩んでいると思う」
店ではときどき壁の一部をスクリーンにして映画を見せている。屋外で映画の夕べを開こうとしたこともあったが、こちらはかなり困難なことが判明した。「夜の上映会を開くには、なにしろ風が強すぎる」とガルシアは首を振る。
本屋ができるようになる前も、村は文化事業と無縁ではなかった。
スペイン民謡の歌手で民族誌学者でもあるホアキン・ディアス(74)は、1980年代にバリャドリードからウルエーニャに越してきた。古い家に住み、膨大な点数の伝統楽器や本、音楽の録音媒体を集めた。
その家が、所管の地方当局によって博物館に衣替えしたのは30年前のことだった。
ウルエーニャのような村で伝統的な店や工芸品が失われていくことについて、ディアスは割り切っている。「自分は現実主義者で、あまり懐古趣味に走らないようにしている」
そして、しみじみとこう振り返った。
「スペインの田舎での暮らしは、50年前と比べて全体的にとても便利になった。そもそも私がこの村に来たときは、ここで本が売れ、村を救う一助になるなんて、誰一人として思いもしなかった」(抄訳)
(Raphael Minder)©2022 The New York Times
ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから