10日の試合終了4日後に日本オリンピック委員会(JOC)が設定した。会場には国内外から多くの記者らが集まり、羽生選手はマスク姿で現れた。
羽生選手が冒頭に述べたのは、金メダルに輝いたネイサン・チェン選手への称賛と、関係者への感謝の言葉だった。
「金メダルを取ったネイサン・チェン選手本当に素晴らしい演技だったと思いますし、やっぱりオリンピックの金メダルって、本当に凄いことなんです。僕もそのオリンピックの金メダルを目指してずっと頑張ってきましたし、そのためにネイサン選手もたくさん努力してきたんだと思います。彼には4年前の悔しさがあって、それを克服した今があって、本当に素晴らしいことだと思っています」
「この大会に関係している方々、ボランティアの方々、そして今回氷を作ってくださった方にも、感謝を申し上げたいです。もちろんショートプログラムの時に氷に引っかかってしまって、なんかちょっと不運なミスだなというか、悔しかった部分ももちろんあります。けど、本当に滑りやすくて跳びやすくて、気持ちも良い会場で気持ちの良いリンクでした。本当に、この場を借りて感謝したいと思います」
4回転半については捻挫(ねんざ)した足に痛み止めの注射を打ってフリースケーティングに臨んだことを明かし、次のように語った。
「当日の朝の公式練習、あまりにも痛かったので、どうしようかなと思ったんですけど、注射を打ってもらって、6分間練習の直前に、10分前ぐらいですかね、注射を打ってもらって出場することを決めました。でも、その注射だったり、その注射の痛みを消してもらえる感覚であったり、または自分自身がけがをしていて、追い込まれていてショートも悔しくて。色んな思いが渦巻いた結果として、アドレナリンがすごく出て。自分の中でも最高のアクセルができたと思っています」
「きっとジャンプには色んな技術があって、僕は4回転半というものを習得するにあたって、色んな技術を研究して、学んで、自分のアクセルにつなげようと思ったんですけど、やっぱり自分自身のジャンプは、負けたくないっていうか。あのジャンプだからこそきれいだって言ってもらえるし、僕はあのジャンプしかできないし。だから絶対に思いっきり跳んで、思いっきり高いアクセルで、思いっきり速くしめてということを追求しました。その結果として、ジャンプとしても最高点には僕の中ではたどり着けたと思っていますし、回転の判定もいろいろありますけど、でも僕の中ではある意味、納得してます。満足した4回転半だと思っています」
羽生選手は失敗を繰り返しながらも、あきらめずに4回転半に挑戦し続けた。そんな挑戦についてはこう述べた。
「僕が特別ではなく、みんな生活の中で何かに挑戦している。大きなことだけではない。それが生きること。守ることも挑戦。守ることも大変なんですよ。家族を守ることも大変だし。何一つ挑戦じゃないことなんて存在していない。それが僕にとっては4Aだったり、オリンピックだったり。ただそれだけ。僕もすごく挑戦を大事にしてここまできましたが、それって羽生結弦はこんなに褒められるけど、それって褒められることなのかなと、(皆さんが)自分を褒めるきっかけになれば」
オリンピックは今後、出場しないのかとの質問にはこう話した。
「このオリンピックが最後かと聞かれたら、ちょっとわかんないです。オリンピックはやっぱり特別。何より、けがをしても立ち上がって挑戦するべき舞台は、フィギュアスケートでそんなところはほかにはない。また滑ってみたいという気持ちはあります。2万件のメッセージや手紙をいただいたりとか。ボランティアも歓迎してくれたりとか。中国のファンの方々も含め、歓迎されたということをすごく感じていて、そういう中で演技するのは本当に幸せだなと。そんなスケーター、そんな簡単にいないよな。羽生結弦でよかったなと思う」
最後に、3連覇への重圧について問われ、こう答えた。
「これは泣かせに来るやつですかね。とても重かったし、でも、だからこそ自分が目指しているスケーター、4Aを探求できた。もちろん、3連覇は消えてしまったし、重圧からは解放されましたが、僕はオリンピック王者だし、2連覇した人間だし。誇りを持って、2連覇した人間と胸を張って、明日の自分が見ても胸を張っていられるようにしたいです」
羽生選手は今大会、3連覇をかけて臨んだが、ショートプログラムで氷に穴が空いていたことが影響してジャンプをミス。フリースケーティング(FS)で挽回したが、メダルには届かなかった。
だが、FSのプログラム「天と地と」の冒頭に挑んだ4Aは転倒したものの、国際スケート連盟(ISU)が「回転不足」ながら公認大会で初めて4Aを認定し、公式ジャッジシートに記録された。
記者会見はFSの後、報道各社から取材依頼が殺到したため、JOCが「個別に対応することが困難」と判断して開催を決めた。
「羽生会見」実施のニュースが報じられると、SNS上では現役引退や婚約の発表もあるのではないかといった投稿も相次いだ。JOCはそうした状況から補足のメールを出し、「今回の記者会見は各メディアから個別の取材申請が数多く寄せられ、その手配が難しいことから設定したもの」と説明していた。「選手側から何かを発表するための会見ではない」とした上で、「臆測での報道を控えるよう求めた」と伝えている。
◇ ◇ ◇
羽生選手と記者団のやり取りは次のとおり。
【冒頭発言】
まずこのような形の中で正直自分もこんなに集まってくれるとは思っていなくて、とてもびっくりしているんですけど、皆さんの前でお話しさせていただく機会を設けていただきましてありがとうございます。
写真等で見た方、またメディアの方々、当事者として感じられたかと思うんですけど、まだバブル内で陽性者が出ている中でのオリンピックで、自分がミックスゾーン、取材をしていただく時に、どうしても密になってしまう、多人数が集まってしまうということがあって、このような大きな会場で質疑応答をさせていただくことと思い、僕はこれに同意しました。
本当に足を運んで下さり、ありがとうございます。
そしてちょっと話したいことがいっぱいあって、自分もちょっと緊張していて何を話したらいいか、わからなくなっているんですけど、まず質問で来ないかもしれないと思って、ちょっと言わせていただきたいことがあって。まず金メダルを取ったネイサン・チェン選手本当に素晴らしい演技だったと思いますし、やっぱりオリンピックの金メダルって、本当に凄いことなんです。
僕もそのオリンピックの金メダルを目指してずっと頑張ってきましたし、そのためにネイサン選手もたくさん努力してきたんだと思います。彼には4年前の悔しさがあって、それを克服した今があって、本当に素晴らしいことだと思っています。
そしてちょっと前後しちゃいますけど、この大会に関係している方々、ボランティアの方々、そして今回氷を作ってくださった方にも、感謝を申し上げたいです。
もちろんショートプログラムの時に氷に引っかかってしまって、なんかちょっと不運なミスだなというか、悔しかった部分ももちろんあります。
けど、本当に滑りやすくて跳びやすくて、気持ちも良い会場で気持ちの良いリンクでした。本当に、この場を借りて感謝したいと思います。ありがとうございました。すいません、以上です。ありがとうございます。
【質疑応答】
――今日、演技を終えて初めてリンクで練習をされたかと思うんですが、その時に笑顔も見られました。リンクから離れていた数日間、気持ちの面では変化はいかがだったでしょうか。
もちろん色んな事は考えました。自分が4回転半というものにどんなこと、そして成功させきれなかったということ、そして今まで頑張ってきたこととか、道のりだとか。そしてその道のりの価値だとか、結果としての価値とか、色んなことを考えました。
けど、まあ、やっぱり足首がちょっと痛いというのがあって、今日は練習であんまりジャンプはやっちゃいけないと思ってはいたんですけど、痛み止めも飲んではいますけど、かなり強いものを、許容量以上に。それでもやっぱここで滑りたいなと思って、今日は滑らせていただきました。
そしてこの3日間、何ですかね、オリンピックのことについてももちろんですし、今までのことを考えていた中で、僕は本当に色んな人に支えられてるんだなということ、この足首に関しても、今回この3日間で、すごくたくさんケアしてくださったりとか、本当に、まだ歩くのはちょっと痛いですけどね、歩くのも痛いですけど、それでも最大限治療してくださったりとか、本当にサポートしてくださったりだとか。食事の面でも栄養の面でもケアしていただいたりとか。ほんとにたくさん支えていただいているので、それにもっと感謝したいなって思わされた3日間だと思っています。
――フリーの演技が終わった後、観客席に向かっていつもより少し長くお辞儀をされて、そしてその後、氷に触れてリンクに何か伝えるような仕草をされたんですが、あの時どんな思いがあったのですか。
実際にあそこに足を運んでくださった関係者の方々も含めて、足を運んで下さった方々があそこにいらっしゃって、自分の演技自体が結果として勝敗としてよかったかどうかと言われたら、ベストのものではなかったので、でもそれでもすごく残念だったなという雰囲気に包まれなかったというのが、すごく大きな拍手をいただいて、それにやっぱり感謝したいなと。
実際に目に見えてはいないんですけど、きっとこのカメラ越しの向こうに、たくさんの方々が応援してくださって。地元の方も含めて、被災地の方も含めて。日本だけじゃなくて、色んな国々から見てくださっている人がいて、それはオリンピックならではだし、そういう方々にも感謝を込めたいなと思いました。
もちろん、いつも氷に挨拶はするんですけど、このメインリンクで競技するのが最後だなと思って。先ほども言ったように、ちょっと苦しかった部分もあったんですけど、でも、やっぱりこの氷好きだなと思って感謝してました。
――フリーのあと、最後に聞いたんですけど、4回転半への挑戦どうされますかと。「ちょっと考えさせて」ということでしたけど、どうでしょう。
どうなんでしょうかね。まだ自分の中でまとまってないです。ただ、あの時もそうだったんですけど、今言えることとして今回、これを言うことが正しいのかどうかわからないですし、言い訳くさくなって、それで色々言われるのも嫌だなと。
平昌の時もそうでしたけどね。何か言ったら絶対嫌われるっていうか。何かしら言われるんだろうなという怖い気持ちももちろんあるんですけど、でも事実なので。前日の練習で足を痛めて、4回転半で思いっきり。まあ、自分の中でも一番にしめて、片足で降りに行って、その時に捻挫しました。
その捻挫の程度も思ったよりひどくて、本来だったら、普通の試合だったら、完全に棄権していただろうなと思いますし。
今も本当は安静にしていないといけない期間で、ドクターの方からは「もう10日は絶対に安静にしてね」と言われていてるんですけど。それぐらい悪くて。
朝の公式練習、当日の朝の公式練習、あまりにも痛かったので、どうしようかなと思ったんですけど、注射を打ってもらって、6分間練習の直前に、10分前ぐらいですかね、注射を打ってもらって出場することを決めました。
でも、その注射だったり、その注射の痛みを消してもらえる感覚であったり、または自分自身がけがをしていて、追い込まれていてショートも悔しくて。色んな思いが渦巻いた結果として、アドレナリンがすごく出て。自分の中でも最高のアクセルができたと思っています。
なので、きっとジャンプには色んな技術があって、僕は4回転半というものを習得するにあたって、色んな技術を研究して、学んで、自分のアクセルにつなげようと思ったんですけど、やっぱり自分自身のジャンプは、負けたくないっていうか。
あのジャンプだからこそきれいだって言ってもらえるし、僕はあのジャンプしかできないし。だから絶対に思いっきり跳んで、思いっきり高いアクセルで、思いっきり速くしめてということを追求しました。
その結果として、ジャンプとしても最高点には僕の中ではたどり着けたと思っていますし、回転の判定もいろいろありますけど、でも僕の中ではある意味、納得してます。満足した4回転半だと思っています。
――4日たって今日滑ろうと思った理由、実際リンクに立って滑ってみて抱いた感情を教えてください。
正直、本当は滑っちゃいけない期間だったんですけど、どうしても滑りたいなと思って、滑らせていただきました。これからちょっと練習すると思います。
スケートのことを本当に嫌いになることはたくさんありますし、フィギュアスケートって何だろうとよく思いますし。僕自身が目指しているものがフィギアスケートなのかっていうことも、色んなことも考えます。
ただ今日滑って、今まで習ってきたこととか、ちっちゃい頃にやってたこととか、スケーティングに関して色々やってみて、上手くなったなぁと思ったり、それがすごく楽しかったり、それを見ていただくのが本当に気持ちよかったり。
やっぱり僕は僕のフィギアスケートが好きだなって思えた今日の練習だったと思います。
またここから練習していくにあたって色んな感情がわいてくるかもしれないですし。ジャンプ飛びたいなと思いながら練習してたんですけど、フィギアスケート自体を、自分が靴から感じるその氷の感触とかを大切にしながら遊びたいなと今は思っています。
――東日本大震災の時に避難所で一緒だった坂田俊明さんという方が今、金沢市で羽生選手を応援する応援会報誌をずっと作り続けていて、北京オリンピックでそれが100号になります。坂田さんを始め、被災者の方にすごく今大会も力を与えてもらったのかなと思っているのですが、改めて受け止めを聞かせてください。
色んな方々から色んな声をいただいたり、もちろんおめでとうにはならなかったかもしれないですし、おめでとうございますにはならなかったかもしれないですけど、色んな、よかったという声をいただいて、僕はすごく、ある意味で幸せです。
僕は皆さんのために滑ってるところももちろんありますし、僕自身のために滑ってることももちろんありますし。
色んな気持ちの中で最近、フィギアスケートというものと向き合ってますけど、東日本大震災の時に感じましたけど、何かをきっかけにしてみんなが一つになるということが、どれだけ素晴らしいことかということを、あの東日本大震災から学んだ気がしていて。辛い犠牲の中でのことですけども。
僕の演技で、皆さんの心が少しでも一つになるきっかけになっていたら僕は幸せ者だなと思いますし、それが東日本大震災とか、災害とかじゃなくて、もっと何か健康的に、何かを犠牲にすることのない幸せの方向のきっかけだったらとてもうれしいなと思うので、こんなに応援していただけて本当に光栄だなと思うと同時に、皆さんも自分を応援することで幸せになっていただけたらうれしいなと思っています。
――王者として守るのではなくて、王者として挑戦する。改めて羽生選手にとって挑戦とは何なのでしょうか?
ありがとうございます。挑戦ですね。ま、きっと、別に僕だけが特別だと思ってなくて、別に王者だったからとか。みんな生活の中で何かしら挑戦しているのだと思います。
うーん、それが大きなことだったり、目に見えることだったり、報道されることだったり、それだけの違いだと僕は思っていて。それが生きるということだと僕は思います。
守ることだって、挑戦なんだと思うんですよね。だって、守ることは難しいなと思いますし、守るって大変なのですよ、だって家族を守ることだって大変だと思いますし、なにかしらの犠牲や時間が必要だったりもします。
だから、何一つ挑戦じゃないことなんて存在していないんじゃないかな。
それが僕にとって、4Aだったり、オリンピックというものにつながっていたり、ただそれだけだったな。だから、僕も挑戦を大事にしてここまで来ましたけれども、みなさんもちょっとでもいいから、自分は挑戦していたんだなとか。
それって、羽生結弦はこんなに褒めてもらっているけど、実は褒められることなんかな。自分のことを認めて認められるきっかけになっていたら嬉しいなって僕は思います。ありがとうございます。
――挑戦したオリンピックを冷静に振り返ってみて、満足度はどれぐらいでしょうか。4Aを自分の中ではできたと言っていますが、これから何をモチベーションにしますか?
らしい質問ですね。ありがとうございます。まず冷静に考えてみて、自分の演技はどうだったかということを。まずショートプログラムから。ショートはすごく満足しています。ショートプログラムって、最初のジャンプでミスをしてしまったりとか、何かしらトラブルがあったりとか、氷に嫌われてしまうことというか、何か「ガコッ」となったりとか。実際、転倒じゃなかったり、ミスにつながらなかったとしても、「ガコッ」となることはたまにあるんですね。
その中でも、そのあとに崩れずに、ちゃんと世界観を大切にしながら自分のプログラムでしたいこと、プラスいいジャンプが跳べたんですね。そういう点ではすごく満足しているショートでした。
そして、フリープログラムでは、サルコージャンプでミスしてしまったことは悔しいですし、アクセルも降りたかったなと正直思いますけど、なんか上杉謙信というか、自分が目指していた「天と地と」の物語というか、自分の生き様というか、それにふさわしい演技だったのではないかと思うんです。冷静に考えたとしても。
得点はのびないですけどね。ルールにのっとると、やっぱりPCS(演技構成点)は出ない。どんなに表現がうまくても、どんなに世界観を表現したいと思っても、それが自分で達成できたと思っていても(点数が)上がらないのはわかっています。
冷静に考えたら悔しいことだと思いますが、フリースケーティングもプログラムとして満足しています。
ええ、モチベーションについてなんですけれども、うーん、うーん、そうですね。
正直な話、いままで4Aを跳びたいとずっと言ってきて、目指していた理由は僕の心の中に9歳の自分がいて、なんかあいつが跳べとずっと言っていたんですよ(微笑)。
ずっと「お前へたくそだな」と言われながら、練習していて。今回のアクセルはなんか褒めてもらえたんですよね。一緒に跳んだというか。
気づいてくださらないか、ほとんど気づかないと思うんですけど、実は(アクセルが)同じフォームなんですよ。9歳の時と。ちょっと大きくなっただけで、だから一緒に跳んだんですよ。なんかそれが自分らしいなと思ったし。
何より、4Aをずっと探しているときに、技術的にたどり着いたのがあの時のアクセルだったですね。なんかずっと壁を上りたいと思っていたんですけど、色んな方々に手を差し伸べてくださって、色んなきっかけを作ってもらって上ってこれたと思っているんですけど。
最後に壁の上で手を伸ばしていたのは、9歳の俺自身だったな。最後にそいつの手をとって、一緒に上ったなという感触があった。そういう意味では羽生結弦のアクセルはやっぱりこれだったんだ。納得できているんですよね。
それがモチベーションとして、これからどうなるかということはちょっとわからないのですが、まだ(終わってから)3日しかたっていないので。でも正直、今の気持ちとしてはあれがアンダー(※編集部注=4Aと認められない)だったとしても、転倒だったとしても、なんかいつか見返したときに、羽生結弦のアクセルって軸細くて、ジャンプ高くてやっぱりきれいだね、と思える誇りのアクセルだったと思います。
――最後のオリンピックになりますか?
ごめんなさい。もう一回通訳してもらってもいいですか? 誰か通訳してくださる方いますか?(自動翻訳機の)電源ついていなかったのかな?
(会場から日本語で誰かが訳す声あり)
日本語で答えさせていただきます。このオリンピックが最後かと言われたら、ちょっとわかんないです。やっぱりオリンピックやってみて、オリンピックって特別だなと思いました。
何て言えばいいんですかね。怪我してても立ち上がって挑戦するべき舞台と思います。フィギュアスケーターには他の舞台はないので、すごく幸せな気持ちになっていたので、また滑ってみたいなという気持ちはもちろんあります。
そうですね。そうやってメッセージをいただいたりとか、手紙をいただいたりとか、今回、ボランティアさんも歓迎していただいたりとか、中国のファンの方々も含めて凄く歓迎してくださったりしていたのをすごく感じていて、なんかそういう中で演技するのは幸せだなって思いながら今回滑りました。
本当に、そんなスケーター、そんな簡単にはいないよなと思いますし、うん、羽生結弦でよかったなと思いました。
――(英語の質問)オリンピックの後の未来のゴールはなんですか?
(英語で少し話したのち、日本語で答える)
えーと。うーん、そうだな。ゴール。4回転半は降りたいという気持ちが少なからずあって。それとともに、自分のプログラムを完成させたいという気持ちはあります。
ただ、先ほどもいったように、自分のアクセルは完成しちゃったんじゃないかなと思う自分もいるので、これからさきフィギュアスケートをやっていくとして、どういう演技を目指したいか、どういふうに皆さんに見てもらいたいかとか、そのことを今考えています。
次のオリンピックどこでやるのかなとか、自分の中でも把握できていないし、正直混乱しているんですけど。でも、これからも羽生結弦として、羽生結弦が大好きなフィギュアスケートを極めていけたらいいなと思っています。
――オリンピック前、2連覇を失うのが怖いと仰っていました。今日は、8年前にソチオリンピックで優勝した日なんですが、それを失った今、率直にどういう心境なのか?
はい。そうですね。これは泣かせにくるやつですか?(笑)
いやでも、とても重かったですし。とても重かったからこそ、自分が目指しているフィギュアスケートというものと、自分が目指している4Aというものを探求できたなと思っています。
ソチオリンピックで優勝していなかったら、報道の数も違ったなと思いますし、羽生結弦というスケーターがいるんだ、「パリの散歩道」とか「ロミオとジュリエット」の演技を見ていただいて、あっ、こういうスケーターがいるんだって注目していただけるきっかけにもなったし、それから応援してくださる方もたくさんいたと思います。
そして、平昌オリンピックで「SEIMEI」と「バラード第1番」をやって、やっぱ「羽生うまいじゃん」とか「羽生選手、これから応援したいな」と思ってくださる方もたくさんいましたので、だからこそ、今があるんだと思っています。
もちろん、3連覇ということは消えてしまったし、その重圧からは解放されたかもしれませんけど、ソチオリンピックが終わった時に言っていたのと同じで、僕はやっぱりオリンピック王者だし、2連覇した人間だし、それは誇りをもって、これからもフィギュアスケートを2連覇した人間として、胸をはって、後ろ指をさされないように、自分自身が、明日の自分が、今日を見たときに胸をはっていられるようにこれからも過ごしていきたいなと思っています。ありがとうございます。