4年に一度の戦いに集った精鋭スケーターは「アイス・プリンス」(「氷の王様」)の情熱と飽くなき挑戦を確かに見届けた。
10日に行われた北京オリンピックフィギュアスケート男子フリースケーティング(FS)。2大会連続覇者の羽生結弦は公約通り、前人未踏の4回転半ジャンプ(4A)に挑んだ。
結果は転倒。しかし、採点上は4Aのアンダーローテーション(「回転不足」)となり、国際スケート連盟(ISU)公認大会で初めて4Aが記録された。ISUのTwitter公式アカウントも「あともう少しで着氷していた」と速報した。
Yuzuru Hanyu executed the quad axel and almost landed it!!!
— ISU Figure Skating (@ISU_Figure) February 10, 2022
He goes into first with a score of 283.21.#FigureSkating #Beijing2022 pic.twitter.com/wznSGMd6sq
羽生の3回目のオリンピックはメダルを逃す4位。しかし、また一つHANYU YUZURUの名を、スポーツ史の一ページに新たに刻んだ。
4回転半ジャンプを英語で「クアド・アクセル」(Quad Axel)という。アクセルは19世紀のノルウェーの名スケーター、アクセル・パウルゼン(Axel Paulsen)に由来する。
パウルゼンは1882年、ウィーンで開かれた国際大会で「1A」、つまり1回転半ジャンプを人類史上初めて跳んだ。アクセルはジャンプの中で唯一、前に滑りながら跳ぶ最高難易度のジャンプ。パウルゼンの挑戦を称え、本人の名前がこのジャンプにつけられた。
それから140年、ついに人類が4Aを跳ぶ時代に突入した。
羽生の挑戦開始は4年前にさかのぼる。
「4回転アクセルを目指す。これからちょっとだけ自分の人生をスケートにかけたい」
2018年、平昌オリンピックでこう宣言し、まさに、この前人未踏のジャンプを形にするため、血のにじむような努力をしてきた。
北京大会のFSのプログラムは、「天と地と」。義を重んじ、軍神とあがめられた武将、上杉謙信が主人公のNHK大河ドラマのテーマ曲をリメイクしたものだ。
8日のショートプログラム(SP)でまさかの失敗。95.15点となり、最大のライバル、ネイサン・チェンとは20ポイント近くの差がついた。今の羽生なら4Aを跳ばなくても、プログラムを無難に「置きに行く」構成内容に組めば、銀メダルは十分に射程圏内だったはずだ。
しかし、羽生は誰も踏み入れていない道のりを選んだ。冒頭の4Aに挑むだけでなく、中盤のコンビネーションジャンプのレベルをさらに上げ、FSのプログラムを自身のキャリアで最高難易度の構成要件にした。
曲が始まり、すぐに冒頭の4Aの局面が訪れた。緊張の面持ちで羽生が踏切のポイントにスケートを滑らせる。
「立て、立て、立ってくれー」
テレビ観戦した日本中のお茶の間が、いや、この生中継を固唾をのんで見守っていた全世界のユヅファンたちが、1998年長野オリンピックのジャンプラージヒルでの原田雅彦の飛行に、絶叫した実況アナウンサーと同じ気持ちだったはずだ。
結果は転倒。しかし、ISU公式ツイッターが速報したように、あともう数センチ高く飛んでいれば、身体のバランスが保たれていれば、確かに着氷していたはずだ。
【#北京オリンピック】速報
— gorin.jp (@gorinjp) February 10, 2022
⛸️#フィギュアスケート
男子 フリー
歴史に挑んだ🇯🇵 #羽生結弦 選手。惜しくも史上初のクワッドアクセル(4回転半)成功はならず。それでも優雅な演技で3度目の #オリンピック を滑り切り、4位に入りました。#Beijing2022 #gorinjphttps://t.co/oOdJnrK5cR pic.twitter.com/nGUOPBcRWg
審判団はこのジャンプを4Aと認定した。成功の状態から4分の1~2分の1という「回転不足」として認め、4Aとしては最低点となる5.00点をつけた。
羽生が昨年12月の全日本選手権で4Aを挑んだ際には、4Aとは認められなかったのだから、大きな飛躍だ。成功はしなかったものの、ISU公認大会で初めて、羽生の挑戦が認定されたのである。
演技後のインタビュー、羽生の目には光るものがあった。
「いやあ、一生懸命頑張りました。これ以上ないくらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれない」というと、こみ上げる感情を抑えきれなかった。
この4年間、1人でもくもくと練習し、4Aにかけてきた思いがにじんでいた。
【インタビュー #羽生結弦 選手】
— NHKスポーツ (@nhk_sports) February 10, 2022
「これ以上ないぐらい頑張った」
📺総合テレビで放送中!#フィギュアスケート#男子シングル#男子フリー
💻📱特設サイトでライブ配信中✅https://t.co/3BKx5TsYXt#チームジャパン#TEAMJAPAN#Beijing2022#北京オリンピック#オリンピック pic.twitter.com/sbzrCAdBq4
新王者となったチェンも試合後、羽生のフィギュアスケートにかける情熱の思いを代弁して見せた。試合後に行われたメダリスト会見でこう言った。現地で取材しているジャッキー・ウォング記者がTwitterで速報した。
「自分のキャリアで、この位置(オリンピック金メダル)に来るなんて想像すらできなかった。オリンピックでユヅに対抗するためにやってきた。彼と一緒にスケートの大会に立てることはこの上ない名誉だ」
羽生は今季で12シーズン目となるが、この間にオリンピック、世界選手権、GPファイナル、四大陸選手権を全て制覇するキャリアゴールデンスラムを成し遂げている。チェンは「日出ずる国」の偉大なレジェンドへの賛辞を惜しまなかった。
羽生の4Aへの挑戦を聞かれると、こう答えた。
「今日の4Aの挑戦は、もう少しで成功だった。彼は手ごたえをつかんでいたと僕は思う。ユヅがスポーツを前に進化させようとしているのを間近で見ることができた。北京オリンピックは僕にとって本当にスペシャルな体験だった」
4Aにかけた羽生の魂は、北京のリンクに。そして、世界中のフィギュアファンがこの熱き戦いに夢を見た。またいつの日か、この北京大会で羽生の情熱を感じた後輩スケーターが4Aの挑戦のバトンを引き継いでくれるだろう。