What I Learned From Kristi Yamaguchi ニューヨーク・タイムズ・マガジンから
初めて彼女を見たのは1991年。フィギュアスケート世界選手権の表彰台の頂点で、「100万ボルト」の笑顔を振りまいていた。アジア人だ、と私は思った。アジア人が、テレビに出て、大勢の人の歓声を浴びている。
ある年代の人たちにとってクリスティ・ヤマグチはおそらく初めて見る、公の場で祝福されたアジア系アメリカ人女性だっただろう。彼女やのちにミシェル・クワンが脚光を浴びる姿を見て、多くのアジア系アメリカ人の子どもたちが感じたのは、称賛やファン的熱狂よりも、めったに味わえないからこそ強力なもの、「承認」だった。
ヤマグチは、私がずっと求めていたものを満たしてくれた。韓国からの養子としてオレゴンで育った私にとって、日々目にする全ての人が白人で、白人の女の子でさえブロンドの髪をうらやむような学校では自分が失敗作のように感じていたから。
日系アメリカ人の若い女性が金メダルを首に、アメリカ国歌を歌っているのを見ながら、自分の知っている世界が覆されるような思いだった。2人の白人女性にはさまれて、外見が一番自分に近い人間がスターとして輝いていたのだ。白人でないのに国民みんなから愛されるなんてありえず、アジア系アメリカ人のヒーローなんて存在しないと思っていた。
子どもの頃、良心的な大人たちからは私の人種や生い立ちなんて問題じゃないと言われてきた。しかし、「肌の色で差別しない」という主張や「人種のるつぼ」という決まり文句があっても、私が英語を話すだけで人々はほめたり、養子になった経緯をいつまでも聞いてきたりしたし、同級生の好奇の目からも、彼らが恥ずかしいスラングを教えてくるのからも守ってくれなかった。「一体どこなら居場所があるの?」「アメリカへ養子に来た以上、白人に憧れないといけない?」といった問いに答えてくれる人もいなかった。私を見るとき、人は何を見ていたのだろう――アジア人の女の子、それともアメリカ人?
そんな中、全アメリカ国民の「五輪の恋人」となったヤマグチは居場所を見つけたように見えた。彼女が表紙を飾った92年の雑誌「ニューズウィーク」には、ヤマグチと伊藤みどりのライバル関係について書かれた記事がある。「金メダルを懸けた勝負は、ヤマグチと伊藤という2人の女性の一騎打ちとなった。興味深いのは、パワフルな伊藤みどりが名古屋出身、繊細なヤマグチは日系4世ということ。世界を異にして氷をともにする『菊と刀』というわけだ」。記事の筆者はヤマグチの出自が秘密兵器となりうるとした上で「自身の深いところにおいては、依然日本人なのだ。彼女が勝つべき理由があるとしたら、二つの世界のいいところどりをしていることだろう」とした。
ヤマグチが五輪で金メダルを取った夜から、私はずっと胸の内に秘めてきた願いをだんだん自覚するようになった。居場所や仲間を求めてさまよう存在でなく、自分自身の力と可能性を持った人間として見てもらいたい、と。
マレーシア・中国系アメリカ人の友人にあの頃抱いていたヤマグチへの思いを話すと、彼女は言った。「私たちに同じお手本しかいなかったなんてちょっと悲しいけどね」。自分たちの「代表」を手にすることは、人生を変え、かつて抱いたことのない可能性を想像させてくれる。一方で、軽視されたり見向きもされなかったり、いかにもなキャラクター化や使い古されたジョーク、固定観念によって自分のアイデンティティーがおとしめられたりしたら、自分の力や本来的な価値を信じることはもっと難しいだろう。
私には今2人の娘がいる。茶色い目をした彼女たちにとって、どんな人がヒーローとなり、人生の可能性を感じさせてくれるのだろう? 右も左も白人ばかりのアメリカ映画を観た長女は私に聞いた。「ここに住んでるアジア人って何人いるの?」
子どもの頃の私は自分のプライドや所属意識の全てをヤマグチに託していた。そして今、子どもたちにもっとお手本があればと願わずにはいられない。もっと自由に自分を肯定できるよう。みんな、自分のヒーローを選び取れるべきなのだ。(ニコール・チャン、抄訳 菴原みなと)©2017 The New York Times
Nicole Chung
ライター、編集者として「ニューヨーク・タイムズ」「GQ」などに寄稿。Webマガジン「Shondaland」では実際にクリスティ・ヤマグチへのインタビューが実現している(2018年1月3日)。
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