■激しい練習と、菜食の両立
この冬、北京冬季五輪の出場が有力視されるフィギュアスケート・アイスダンス選手の小松原美里さん(29)も4年ほど前からヴィーガンだ。「以前は4分間の演技を終盤の体力を気にしながら滑っていた。ヴィーガンになって練習後の疲労回復が早くなり、高強度の練習を続けられるので試合でも余力がある。ヴィーガンが成績向上の理由の一つだと思う」。全日本選手権で3連覇中だ。
ヴィーガンになるきっかけは、イタリア・ミラノにスケート留学中のこと。子宮筋腫になる恐れのある腫瘍(しゅよう)が見つかった。再発を防ぐ方法を調べ、食生活を見直そうと思い立った。
だが、激しい練習を続けながら、菜食中心の食事に変えていく試行錯誤は容易ではなかった。フィギュアスケートは体力的な負荷が大きく、小松原さんも一日の練習を終えるころには足が震えるほど消耗する。練習中にふらつき、3カ月でいったん中断。続けるかどうか悩んだ。
でも髪や肌にはつやが出て、便通もよくなった。覚悟を決め、栄養について学びながら自分に合った食べ方にたどりついた。
見据えるのは北京五輪代表の座だ。選手村でも菜食の食事はとれるのだろうか。事情を知ろうと、小松原さんは「ベジンジャーズ」に情報を求めた。
ベジンジャーズは、菜食の情報をSNSで発信・共有する、日本のアスリートの有志グループだ。小松原さんが頼ったメンバーの一人が、テニス女子で東京五輪に出た日比野菜緒さん(26)。「宗教的理由で肉を食べない選手にも対応した東京五輪の選手村では充実した菜食ライフを送れた。日本チーム専用の食事会場では、肉や魚の入っていないおかずがなかった」と話す。
■ドーピング陽性で知った食のリスク
アスリートにとって、肉を食べることはリスクでもある。日比野さんはそれを身をもって経験した。ヴィーガンになる前、出場したメキシコの大会のドーピング検査で陽性になった。原因は現地で食べた肉だった。メキシコでは食肉用家畜の成育促進にたんぱく同化薬が使われており、食事が原因で検査が陽性になった事例がある。そうした事情を証明できれば違反とされないルールがあり、日比野さんは救われた。
「肉のせいで人生をかけたテニスを奪われるところだった。怒りさえ覚えた。あの体験で、食べるということは『もの』が私の体に入ることなんだと実感した」
何を食べるか考えて選ぶうち、食べ物についてもっと知りたくなった。日比野さんは食肉についても改めて知る必要があると考え、日本の養豚農場を見学に行くつもりだ。
米国栄養士協会は2016年、「適切に計画されたバランスが取れた菜食は、アスリートや子どもにとっても健康的な食事法」との見解を示した。海外のアスリート食の動向に詳しい公認スポーツ栄養士の橋本玲子さんは、「国内では、菜食でバランスの取れた食事をとれるのか疑問を持つ専門家もいるが、考え方を少しずつ変える必要がある」。菜食の選手を心配して、チーム側が食事内容を確認した例がJリーグにあったという。結果は「たんぱく質をはじめアスリートに必要な栄養は十分にとれていた。ただ、自己流では必要な栄養をとれない恐れがあり、注意が必要だ」。
ベジンジャーズを栄養面の情報で支援するアスリートフード研究家の池田清子さんは、夫で自転車マウンテンバイクのプロ選手、池田祐樹さんとともに18年ごろから菜食になった。「肉や魚を食べることを禁じるよりも、食べるものを選ぶときに、野菜のおいしさにまず目を向けてみる。大事なのは興味を持つこと、楽しむことから始めることです」