北朝鮮にも美容室が存在する。朝鮮中央テレビなどは、金正恩氏が建設を指導した平壌の未来科学者通りなどで、美容室や温水プール、ジムなどを併設した総合施設が完成したニュースを次々と流している。
一方、農村部には美容室が存在しない場所もたくさんある。中朝国境沿いにある北部・両江道の農村。姜教授が数年前の6月末に撮影した映像には、粗末な木の柵に囲まれ、白菜が植えられた小さな庭で、髪を切ってもらったり、パーマをかけてもらったりしている女性たちがいた。
庭のすぐ前には鉄条網で遮られた鴨緑江が流れていた。髪を切ってもらう女性が使っているオレンジ色の散髪用ケープには「LOREAL」の文字。世界最大の化粧品会社ロレアルを意味しているようだ。美容師のそばには漢字で「香」と書かれた容器や髪をぬらすために使うとみられる噴霧器などが置かれていた。庭の後方には小さな井戸があり、そこでくんだ水を使っているようだった。
姜教授は「美容室がない地域には、美容師が出張してやってくる。韓国でいえば、1970~80年代の姿だ」と語る。姜教授が脱北者から聞いた話によれば、韓国で高齢の女性によく見られた「ポグルパーマ(アンジュマパーマ、ハルモニパーマ)」と呼ばれる、髪をくるくる巻いた髪形が、北朝鮮では30代過ぎの女性に大勢見られるという。この脱北者は「北朝鮮では機器もないし、パーマと言えばポグルパーマしかない」と話す。
別の脱北者によれば、出張美容師に支払う料金はコメ2キロ分に相当する1万ウォン程度だという。北朝鮮の地方都市では、一家4人が一カ月暮らすために最低必要な生活費が30万ウォン程度だとされる。美容師の資格を持つ人間は国営の企業所などに登録し、収入の一定額を国に納めるほか、企業所単位で行う政治集会などに参加する義務があるという。農村部に移動する際には許可証が必要になるが、当局の目が届きにくい場所で、どこまで国に報告して商売をしているのかはわからない。
一方、姜教授は、数年前の4月、鴨緑江に入って砂金を捜す北朝鮮男性の姿も撮影した。6人のうち5人が潜水メガネをつけて川に潜り、砂金を集めていた。残る1人は小さな台に集めた砂金が混じった土砂に水をかけて、不純物を取り除こうとしていた。
別の場所では、10数人の男性が自転車やオートバイに乗って、鉄条網を越えて鴨緑江の川岸に到着。潜水服を身につけた後、スコップと木の台を持って中州に向かった。そこで周辺の土砂を木の台に乗せ、水をかけながら、砂金を選別する作業を繰り返していた。小学生くらいの年格好をした男の子も一緒に作業をしていた。
また、咸鏡北道穏城郡の街角では、足が不自由な中年男性が、軍人2人に頼まれて自転車の修理をしていた。歩道の端に修理用の工具を置いただけで、露天で仕事をしていた。たびたび訪朝している北朝鮮研究者によれば、金正恩氏が2012年に導入した「社会主義企業責任管理制度」の影響だという。国営の企業や農場に独立採算制度を一部導入したため、利潤追求の傾向が高まった。
北朝鮮では党の課長級以下にあたる男性の定年が60歳と決められている。それまでは、顧問や相談役といった形で事実上の定年延長が認められていたが、無駄なコストを削るため、定年制が厳格に守られるようになった。年金もほとんど出ず、生活に困った高齢者が自転車の修理や床屋などの仕事に携わるようになったという。
さらに、姜教授は中朝国境にある両江道恵山市の市場の様子を撮影した。市場では水を運ぶ女性、穀物を売る女性、荷車を押す男性などの姿が見られた。呼び出しらタクシーに乗る女性もいた。北朝鮮では世帯主は公務員として働く義務がある。月給はコメ1キロ程度にしかならないため、世帯主ではない女性が市場で働いたり、世帯主が勤務時間外にアルバイトをしたりして生計を立てている。
脱北者たちの証言によれば、北朝鮮では皆、知恵を絞って様々な商売に手を出している。電気不足でエレベーターや水道もきちんと動かない平壌では、アパートの高層階まで荷物を届ける仕事、浴槽に水をためておく仕事もある。
北朝鮮研究者は「経済制裁や災害、新型コロナウイルスの防疫措置による国境封鎖があっても金正恩政権が倒れないのは、一般の市民が懸命に働いているからでもある」と話した。