東京開催が決まってから半年ほどたった2014年春。米村氏は大会組織委の森喜朗会長(当時)からこう言われた。
「開催後、『警備で何か問題があっただろうか』と振り返ることができたら成功だ」
米村氏は「そのためには膨大な準備が必要だ」と答えた。
東京大会は一定のエリアに施設群を集中させたロンドンやリオデジャネイロでの大会と異なり、施設が点在していた。警備要員が足りず、全国の警備会社553社でジョイントベンチャーを組んだ。大会前後の期間を含め、動員した警備関係者はのべ50万人、大会期間中は、1日最大1万4千人体制で臨んだ。
米村氏は「国際オリンピック委員会(IOC)は、民間の警備会社に懸念を抱いていた。ロンドンやリオでは軍隊の力を借りないと大会が運営できなかったからだ」と語る。
警察庁警備局長などを務めた米村氏は「イベント警備の主体は主催者。そのうえで、交通規制や要人警護などを警察が行うのが日本のやり方」と語る。「警備で一番怖いのは、大勢の人が集まったり、移動したりする状況。対応が遅れれば動きを止められないからだ」とも話す。
テロ対策などの課題に対応するため、東京大会で初めて導入されたのが「統合映像監視」と「顔認証」の両システムだった。約8千台の監視カメラを設置し、現場や組織委、警視庁などで同時に24時間、情報を共有できるようにした。選手や報道関係者らに対する「顔認証システム」は最大で1日17万回作動した。
大会では、サイバー攻撃も懸念されていた。東京大会の公式ウェブサイトにアクセスした人は過去最多の約2億人を数え、東京大会へのサイバー攻撃はロンドン大会の2億8千万回を大幅に上回る4億5千万回にのぼった。すべて水際で阻止したため、100以上ある大会のネットワークシステムがダウンする事態は避けられたという。
こうしたなか、米村氏も「予想外の出来事だった」と認めるのが、新型コロナウイルスの感染拡大だった。米村氏は「1年延期や無観客などは、政府や組織委などのごく一部で決められた。私は意思決定にはかかわっていない」と断りつつ、コロナの影響について振り返った。
世界保健機関(WHO)は2020年3月、新型コロナのパンデミック宣言を行った。米村氏は当時、「新型コロナの実態もよくわかっていない状態で、とても五輪は無理だろう」と思ったという。
組織委は当初、会場確保などの問題から「延期などできるわけがない」という空気だったが、同月末、IOCのバッハ会長と安倍晋三首相(当時)との会談で、開催の1年延期が決まった。
当時、安倍首相は記者団に「人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証しとして、完全な形で東京五輪・パラリンピックを開催する」と語っていた。
米村氏は安倍氏の発言について「何をもってそう言い切れるのか具体的な根拠が不明で、内閣危機管理監の時にときおり感じた『科学と政治のギャップ』のようなものを感じた。いずれにせよ、例えばワクチン効果としての集団免疫は、1年ではとても無理、完全な形での開催は無理だろう」と思ったという。「新感染症というのはどこまでも未知で、その分、願望的思考に走る傾向がある。当時の関係者らに、1年経てば状況が好転するかもしれないという思いがあったとしても不思議ではない」
米村氏は21年4月末、同級生だった大阪の医師から「医療崩壊の兆候が出ている。無観客にしなければ、五輪の開催は無理だろう」という連絡も受けていた。米村氏も「医療崩壊が起きてしまえば、組織委がどんなにがんばっても、五輪開催は無理だろう」と思っていたという。
IOCは最後まで開催にこだわった。調整委員会のジョン・コーツ調整委員長は昨年5月、緊急事態宣言が発令された状況でも、大会の開催は可能だと断言した。米村氏は「IOCには選手出身の関係者も多い。パラリンピックの場合、選手としての寿命が短いという事情もあった」と語る。「IOCが結んだ巨額の放映権料などを守るためではなかったのか」と米村氏に問うたが、「コメントしないし、コメントしない理由もコメントしない」との答えだった。
米村氏は当時の組織委内部の雰囲気について「中止を考えるという声は出ていなかった。パンデミックのなか、どうやったらできるのか、文字通り必死の思いと努力に包まれていた。ある意味、組織委としては当然であり、一方、新感染症対策が国家の危機管理の最大テーマである以上、究極の選択は国家の決断事項だった」と語る。
東京大会は新型コロナのなか、海外からの観戦客受け入れを断念し、最終的には無観客での開催を決めた。大会の開会式が行われた昨年7月23日、都内では新たに1359人の感染が確認された。パンデミックと緊急事態宣言のなかでの開催になった。
米村氏らは、選手や報道、大会関係者らを外部から隔離する「バブル方式」の徹底を図った。「まず、訪日する人数を徹底的に絞り込んだ。訪日したら、定期的に検査を行い、行動も管理する。中から感染の火が燃えないようにと考えていた」と語る。数人の違反者は出たものの、全体の陽性率は0.03%以下だった。米村氏は「五輪の関係者が感染拡大の原因になったとは思わない」と話す。
米村氏は新型コロナに振り回された東京大会について「正確な評価はもう少し時間が経ってから行う方が良い」と語る一方、「人類史の一つの大きな事件だった」と振り返る。「コロナに完全に打ち勝った大会ではなかったが、打ち負けなかったとは言えるだろう。選手が人々に感動を与えてくれた」と話す。オリンピック、パラリンピックを通じ、全競技が予定通り行われた。
米村氏は大会後の10月、森喜朗氏に会い、オリンピック警備を振り返って「おかげさまで、何か問題があったかな、で済みました」と報告したという。
よねむら・としろう 京大卒。1974年に警察庁に入り、外事課長、小渕恵三首相秘書官、公安部長、大阪府警本部長、警視総監、内閣危機管理監などを歴任。2015年12月から21年9月末まで東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会CSOを務めた。