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福岡伸一さんが訪ねた「ごみゼロ宣言」の町  「45種分別」を続けられる細かな工夫

World Now
福岡伸一氏=徳島県上勝町、坪谷英紀撮影

■増大するエントロピーをどう処理するか

SDGs(持続可能な開発目標)の一つに、「住み続けられるまちづくりを」(sustainable cities and communities)があります。

私は生物学的な観点からこの問題に興味を持ってきました。なぜなら持続可能性のためには、たえず増大するエントロピーをいかに処理するかが喫緊の課題だからです。

エントロピーとは乱雑さという意味で、具体的にはごみや廃棄物のことです。自然界ではエントロピーは生物から生物に手渡され、最終的に植物の光合成によって有機物の循環に戻ります。人間だけが文明と都市生活を構築したせいで、分解できないものや生命のサイクルに戻せないものを一方向につくり出し続けています。

徳島県上勝町という棚田が広がる山あいの小さな町がゼロ・ウェイストの町として、全国的にいやそれ以上に世界で注目を集めていると聞き、訪れました。住民たちの協力で廃棄物を45種類に分類し、生ごみは自家処理してリサイクル率80%を実現している現場を見学し、感銘を受けました。

山あいのまち、上勝町の説明を受ける福岡伸一さん=徳島県上勝町、坪谷英紀撮影

なぜこのようなことがこの町で行われるに至ったか。科学の世界もそうですが、大きな潮流を生み出す運動の原点には必ず最初に井戸を掘った先駆者がいます。私は世界的に名をはせるようになった、このゼロ・ウェイストの町にもそんな人がいるにちがいないと思いました。

■最初に井戸を掘った人

ゼロ・ウェイスト宣言が出されたのは2003年ですが、ここには「必要は発明の母」ともいうべき前史がありました。1990年代半ばまで、この町ではごみは野焼きによって処理されていました。しかし野焼きは違法行為で、解決のために町では小さな焼却炉が設置されました。

ですが、その直後にダイオキシン排出の法規制が強化され、基準がクリアできなくなり、わずか3年で閉鎖されました。しかし、ごみは日々発生します。埋設するか、他の自治体に処理を委託するか議論が交わされました。

棚田が広がる徳島県上勝町=坪谷英紀撮影

そんな中、そもそも「ごみ自体を減らすことが先決だ」と考えた人がいました。当時上勝町役場産業課にいた、町職員の東ひとみさんです。そこで彼女はごみの分別を研究したり、リサイクルの受け手を探したりして奔走しました。東さんは志半ばで2013年急死してしまいました。現在、ゼロ・ウェイスト推進員で町で自然派カフェを営む、東さんの長女輝実さん(33)は当時をこのように振り返ります。「母はごみ問題というよりも、子どもたちの未来を考えて生き残れる町にするためには何が必要かを一番に考えていました」

ひとみさんの熱心な働きかけにより、町はごみの分別を主体とする処理法に大きくかじを切ることになりました。地域住民に丁寧に説明するとともに、分別ステーションをつくりました。このような取り組みを聞きつけた、海外の研究者からの支援もあり、町議会は日本で初めて「ゼロ・ウェイスト宣言」を全会一致で可決し、潮流に勢いがつきました。

ごみステーションで45分別について説明を受ける福岡伸一さん=徳島県上勝町ゼロウェイストセンター、坪谷英紀撮影

この取り組みには、生活に根ざしたきめ細かい配慮がなされています。ごみをステーションに運べないお年寄りのために、運搬を支援する仕組みをつくりました。このアイデアを思いついたのは、町の女性たちのリーダー的存在だった中山多與子さん(故人)でした。ひとみさんと中山さんは二人三脚で活動。ごみゼロを中心になって進めるNPO法人ゼロ・ウェイストアカデミーの初代理事長に中山さんが就任しました。

現在ごみの運搬支援を担っている中野智子さん(49)は2カ月に1回山間部に点在する約70軒のお宅を巡回訪問し、どんな急坂でも軽ワゴン車を巧みに運転して廃棄物を集めています。単にごみの回収だけでなく、それぞれのお宅で世間話をしてお年寄りたちが孤立しないよう、コミュニティーを支える重要な役割を果たしています。住民からの信頼も厚く、「がいやな(阿波弁で「たくましい」)」と言われているそうです。

■女性たちが作った「生活の基盤」

ごみステーションの分別の現場を案内してもらった、ゼロ・ウェイスト推進員の藤井園苗さん(41)は、ゼロ・ウェイストアカデミーの事務局長の公募に応じて、この町にやってきました。分別とリサイクルには、住民の努力だけでなく製造者側の協力も必要です。藤井さんはリサイクル業者に働きかけてこれまで燃やすしかなかったアルミつき紙パックの分別回収をできるようにしました。

このように、上勝町のゼロ・ウェイスト活動を始めたのも、推進したのも、現在これを担っているのも、ほとんどが女性です。やわらかな心を持った女性たちが柔軟な思考で、いきいきと活動しています。かつ、町外の人も活動について学べる「HOTEL WHY」の運営会社CEO(Chief Environmental Officer)の大塚桃奈さん(24)のように、全国からやってきて活動に参加する女性たちの様子をみると、私は思わず「女たちのテロワール」だとつぶやいてしまいました。テロワールは大地という意味ですが、衣食住を含めた生活の基盤という意味です。

徳島県上勝町でゼロウェイストに取り組む女性たちと福岡伸一さん(中央)。藤井園苗さん(右)と大塚桃奈さん=徳島県上勝町の「ゼロ・ウェイストセンター」

人以外の生物はごみや産業廃棄物を出しません。すべての排泄(はいせつ)物や巣、まゆであっても他の生物が資源化し、再利用できるかたちで手渡しています。つまり、生命現象においてはあらゆるものが、あらかじめ分解することを予定してつくられています。人間だけが分解できないごみを出し続け、エントロピー増大を促進し続けています。地球環境の持続可能性のためには、際限ない一方的な排出を改め、自然な循環に引き戻すことを考えることが必須です。SDGsに対する人間の責任もそこにあります。

「HOTEL WHY」の宿泊客は従業員の案内で45分別を体験する=徳島県上勝町

「ゼロ・ウェイスト活動」とは、人間が生きものとしての本来の姿を取り戻すための活動です。上勝町の試みはこのための壮大な実験といえます。ここに若い人の力が集まっていることに、私は大きな希望を感じました。(構成・坪谷英紀)

ふくおか・しんいち 生物学者、作家。青山学院大学教授、米ロックフェラー大学客員研究者。専門は分子生物学。1959年生まれ。京都大助教授などを経て現職。著書に「生物と無生物のあいだ」「動的平衡」など。

■2030年に向けて、新たな目標

上勝町が「ゼロ・ウェイスト宣言」をしたのは、欧州で初めて宣言した、イタリアのカパンノリ市より4年さかのぼる2003年。住民一人ひとりがごみゼロ達成に向けて努力するが、カパンノリ市と同じくリサイクル率は8割で頭打ちだ。

活動の拠点、ゼロ・ウェイストセンターには住民たちが軽トラックなどでごみを持ち込む。分類するごみごとに箱が置かれ、そこに住民が自らごみを入れる。箱の前には「割り箸 38円 徳島市 固形燃料」「ガラス陶器類 42円 徳島市 路盤材」など、種別、1キロあたりの引き取り価格、引き取り先、どう再利用されるかが書かれた札が掲げられている。住民たちの意識を高めるのがねらいだ。

それでもどれにもあてはまらないごみ、つまりリサイクルできずに焼却、埋設せざるをえないごみがある。紙おむつ、布とゴムが貼り合わされた靴などだ。

町企画環境課の菅翠(すが・みどり)係長(41)は「町では新生児に布おむつを使ってもらおうと、布おむつ、おむつカバーなどを希望者に無償で配布しているが、限界がある」と話す。

前町長でNPO法人ゼロ・ウェイストアカデミーの笠松和市理事長(75)は「不要になったものは製造企業がすべて有価で回収し、回収できないものはつくらせない法制度が必要だ」と訴える。

住民らが、こいのぼりなどをアップサイクルしたかばんや筆入れをつくり販売している=徳島県上勝町、坪谷英紀撮影

町は20年12月、30年に向けた新ゼロ・ウェイストを宣言。企業や大学と連携してごみゼロに向けた試みをし、人材づくりに力を入れる。菅さんは「教育や情報発信を充実させて、楽しくゼロ・ウェイストな暮らしができるようにしたい」と言う。

取り組みは始まっている。町の保育園などで子どもたちが遊ぶ「おかえりブロック」は、町内で回収された洗剤などの使用済み詰め替えパックを再生した。花王が16年から取り組みを始め、他の自治体にも広がっている。アルミ付き紙パックのリサイクルは徳島県阿南市の日誠産業が町と一緒に取り組み、12年から分別回収ができるようになった。また、東京の商社は分解できる靴の開発に町と一緒に取り組んでいる。(編集委員・石井徹)