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イングリッシュネームを「強制」された記憶 「新しい名前」を求める行為の”強さ”

World Now
写真はイメージです=gettyimages
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私が通っていた高校の英語教員には、ネイティブスピーカーの先生が1人いた。学外の活動もしている先生だったので、常勤ではなかったと思う。

その高校は地方都市の公立高校で、特別な教育機関ではないが、地域に研究機関があり、親の仕事の関係で海外滞在歴のある生徒が一定数いたので、英語教育に予算を割いていたように思う。(余談だが、「研究機関のお膝元である」ことで、理系科目への熱の入れようは英語以上だった)

高校1年生の時、その先生による最初の授業で、私たちは「イングリッシュネーム」をつけることを指示された。自分たちが自由に選んだ名前を紙製の大きなネームプレート(肘から手首ぐらいの長さ)に書き、その先生による授業の際には、自分の机の上に置くのだ。

イングリッシュネームとは、英語圏以外の出身者が、英語圏の人にとってなじみのある名前を使うことだ。

高校生だった当時は、「まるで『海外』にいるかのような雰囲気を作ろうということだろう」と思い、気にしてもなかったし、結構楽しんでいた。イングリッシュネームは高校時代の「割と楽しい思い出」の一つに過ぎなかった。

引っかかりと共に蘇った高校時代の記憶

時は経ち、2021年@イギリス。この記憶が、引っかかりと共に蘇ってきている。

英語圏の教育機関に身をおいた時、留学生には、イングリッシュネームを持っている人も多いと知った。

中国語圏からの留学生は特にイングリッシュネームがある人が多いように感じる。曰く、「中国で、英語の先生が決めた名前。そのまま使い続けている」「イングリッシュネームは自分の本名に似た音なので、違和感はなく、気に入っている」という感じ。中国からの学生に初対面で名前を聞くと「(中国の)名前は発音が難しいと思うからイングリッシュネームで呼んで」と言って、最初からイングリッシュネームを教えてくれる人も一定数いる。

大学院の方に限らず、日本人の知人でも、自分の名前の「音」などを理由にイングリッシュネームを持っている方が複数いる。

確かに特定の「音」は、他の言語話者にとっては難しいこともある。たとえば、日本語が第一言語の私にとって、英語のthやrの発音が難しいことと比べることができるかもしれない。

確かに、自己紹介のたびに「発音」を説明するのは、相手の時間をとってしまって申し訳ない気持ちになることは私もあるので、イングリッシュネーム利用を進んで選択する気持ちもよく分かる。

また、「どう呼ばれたら心地が良いか」は、その人の意思が尊重されるべきだと思うので、それが守られる状況は素敵だと思う。

そう、名前に関する意思が尊重されるべきという話なのだ、と思った時に、私は少し考え込んだ。

写真はイメージです=gettyimages
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「新たな名前をつける」ことを求めるという行為の”強さ”

私の通う大学院の教授たちは、主に欧州の帝国主義・植民地主義がいかに現在の価値観にも残っているかという視点を失わないように、学生たちに繰り返し訴える。

例えば「侵略」先の土地に、自分達の言語の名前をつけて呼ぶということは帝国・植民地主義の中で行われてきたことだ。

とすると、たとえどんなに自分にとって「発音しにくい」としても、相手に「新たな名前をつける」ことを求めるという行為は、侵略的な発想なのではないかという思いが強くなってきた。

あの時の先生(とても好きな先生だった)が、「日本人の名前は発音しにくい」、あるいは「日本語の名前の発音を間違えたら申し訳ないので、英語名で呼びたい」などと考えていたか……はもちろん今となっては分からない。

また、日本語が第一言語ではない一人の教員に対して、生徒全員の名前の発音を「完璧に覚えて」というのはこくな話だろう。

イングリッシュネームも先生が勝手に決めていたわけではなく、自分で自由に選ぶことができた。つまり行為の一部は自主的だった。

かといって「英語の名前を持つこと」が強制だったという、その行為の侵略性について、私は考えることをやめることができなくなった。

時を再び現在に戻す。

通っている大学院では海外からの留学生に向けて、アカデミック英語の無料講座などを開催している。

ある授業に参加した際、語学教育を専門とするその教員は、たとえ生徒側がイングリッシュネームを伝えても、「あなたの名前を教えて」と言って、その場で発音を練習していたのが印象的だった。

また私にとっても、日本以外の国からの留学生の名前の発音が難しく練習していたところ、その人から「ありがとう」と言われたことはすでに何度かある。

私も、相手が日本語の音やイントネーションで名前を覚えようとしてくれた時に、感謝を伝えるようにしている。フラットにakikoと発音してくれても、抑揚をつけてA・kikoでも、私はどちらも好きだけど、やっぱり「尊重されている」感覚は嬉しいから。

繰り返し書いておくが、イングリッシュネームを使っている人に疑問を抱いているわけではない。あらゆる強制やプレッシャーがない中での意思であるならば、それは選択の問題であり、尊重されるべきだ。

ただ、「どう呼ばれたいか」が尊重される限り、「私を○○と呼んで」という権利はもちろん、特殊な事情がないかぎり尊重されるべきであり、それが「発音しにくい」という”理由”でないがしろにされることはあってはいけないと思う。

「新しい名前が必要とされた(る)」という雰囲気や行為の強さには、私は気を配り続けようと思った。