「Broadway is back!(ブロードウェイが戻ってきた!)」
9月以降、ニューヨークでは何度もこの言葉を聞いている。2020年3月、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて全てストップしていた、ブロードウェイのミュージカルや演劇が再開しているのだ。
劇場内でも興奮が伝わってくる。ミュージカル「ハミルトン」が再開してから数日後の公演では、新たな役者が舞台に登場するたびに、それだけで歓声が上がった。
観客とやり取りをしながら即興でラップを展開する「フリースタイル・ラブ・シュプリーム」で、役者が「再開して、最初のショーの人はどれくらい?」と問いかけると、大きな拍手が起きた。
ブロードウェイがこれだけ長く閉鎖された例は過去にない。第2次世界大戦のさなかでも公演は続き、世界貿易センタービルが崩落した2001年9月11日のテロの後も、「逆境の中での強さ」を示すため、わずか2日後に再開した。
2012年にハリケーン「サンディー」がニューヨークを襲い、市内が広範囲にわたって停電するなどした際も停止は数日だった。
それだけに、公演再開はニューヨークにとって大きな意味がある。加えて、ブロードウェイの存在の大きさも影響している。
近年は観客数も売り上げも右肩上がりが続いてきた。2011年のシーズンは観客が約1233万人、売り上げが約11億3900万ドルだったのに対し、2018年のシーズンは観客が約1477万人、売り上げが約18億2900万ドルまで伸びた。
業界団体「ブロードウェイ・リーグ」によると、2018年のシーズンの観客数はニューヨーク周辺に本拠地を持つ10のプロスポーツチームの合計よりも多い。
周辺のレストランやホテルへの波及効果も大きく、チケット売り上げ以外の経済効果は147億ドルに上ると試算されている。まさに、ニューヨークの観光のエンジンなのだ。
だが、肝心の観客が来なければ、このエンジンも回らない。「ブロードウェイが戻ってきた!」というキャッチフレーズは、「見に来てください!」というアピールでもある。
この思いは、9月26日にあったトニー賞授賞式にも現れていた。
その年にブロードウェイで始まった舞台を対象とするトニー賞は、アカデミー賞(映画)、グラミー賞(音楽)、エミー賞(テレビ)と並んで、アメリカのエンターテインメントの4大アワードとされている。だが、例年はアワード争いに注目が集まるのに対し、今年はまるで違っていた。
まず、公演が2020年3月から中断したことで対象作品が減ってしまった。新作ミュージカルの作品賞にノミネートされたのは3公演だけで、ミュージカルの主演男優賞にいたっては候補が1人しかいなかった。
さらにパンデミックによって、2020年6月に予定されていた授賞式も1年以上遅れての開催となった。いつもであれば授賞式前後にブロードウェイが盛り上がり、候補作や受賞作にとっては格好の宣伝となる。だが、今回は既に終了した作品や、まだ再開していない作品もあった。
それもあって、トニー賞の主催者も最初から、例年のような授賞式を考えていなかったようだ。2部構成とし、大半の賞は、ストリーミングサービスだけで放送された第1部で発表された。
対照的に、テレビ放送された第2部ではノミネートされた作品だけでなく、過去の人気作のデュエットなども披露し、エンターテインメントの要素を強調していた。番組を通じて、ブロードウェイの復活を全米に宣伝しようという狙いは明らかだった。
ただ、コロナで遠のいた観光客は、一夜にして戻ってくるわけではない。
ブロードウェイ・リーグはこれまで、各公演の売り上げの詳細を毎週、公表してきた。現在は公演ごとの詳細は公表していないが、10月最終週は全体で定員の78%が入っていたという。
ブロードウェイでプロデューサーとして活躍し、ミュージカル「キンキー・ブーツ」ではトニー賞の作品賞を受賞した川名康浩さんによると、公演が黒字となって続くためには、定員の75%が一つのラインとされている。いってみれば、現在はブロードウェー全体がギリギリの状態なのだ。
客足の少なさはチケット販売にも現れている。ニューヨークの中心のタイムズスクエアにある、ブロードウェイの当日券が割引で購入できる「TKTS」というボックスでは、通常であれば割引の対象にならないような人気作品が出ている。ネットの転売サイトでも、正規価格を下回る値段のチケットを見ることが珍しくない。
まだ客足が戻らない大きな要因はコロナへの不安だろう。観客は全員、マスク着用が義務づけられ、大人はワクチン接種の証明、ワクチンを接種できない子どもは陰性証明を求められるが、劇場の中はやはり密集空間だ。実際、公演の途中で後ろの席の人がせき込むと、思わず身構えてしまう。
海外からの観光客が途切れていることもある。米国は欧州の多くの国の市民について、直接入国することを長く制限してきた。11月8日になって、ワクチン接種を条件に入国が再開されたが、まだ本格的な回復には遠い。
これから年末年始を控えていることも、観光客の足に影響していそうだ。この先も当面はブロードウェイ公演にとって厳しい状況となりそうだ。
影響を特に受けるのは、新作の公演だ。ロングランを続けていたヒット作であれば、これまで積み重ねてきた蓄えがあり、観光客の人数が限られていても、一定の入場者を見込むことができる。ただ、新作はそうもいかない。既に、来年1月まで上演予定だった演劇公演が2本、11月中に終わることが決まった。
パンデミック前から計画されていた新作の上演も、すんなり行くとは限らない。川名さんによると、ブロードウェイが停止していた1年半の間に、役者がニューヨークを離れたり、テレビの仕事に回ったりした例も多いという。限られた稽古場の確保なども課題となる。
だが、新作が出ないと、本当の活気は生まれない。ブロードウェイは例年であれば、40前後の新作が公開される。短い公演期間で終わる作品も多いが、この中から一部がヒット作となり、トニー賞を受賞したり、ロングランになったりする。競争の中で、「新陳代謝」が起きていくともいえる。
そして、影響はニューヨークにとどまらない。ブロードウェイでヒットとなった作品が全米、さらには全世界へと広がっていくためだ。
本当にブロードウェイが戻ってくるまでは、まだしばらくかかりそうだ。改めて、パンデミックの影響の大きさを感じている。