――ダスグプタ・レビューで最も訴えたかったことは何でしょうか。
強調したいのは、今日まで経済学が本質的に自然をとりいれていないということだ。人間の経済は自然の外にあると考えられ、世界経済を主導する公的機関も、生産や消費のために自然が使われたことによる生物圏への影響を記録してこなかった。道路や建物などの「人工資本」、教育や健康などの「人的資本」を蓄積している間に、限りある自然の過剰利用の結果、環境を劣化させた。
――「生物圏に限りがあるのだから、世界経済も有限だ」というレビューでの主張は、当たり前のことを言っているように思えます。
過去に多くの人によって言われてきたことだが、多くの経済学者はそうは言っていない。「産業革命以降の200年のようにいつまでも拡大できる」「第2次世界大戦後の日本や韓国、中国を見ればわかるように、私たちはどんどん生産し、成長してきた」と言ってきた。技術革新は自然の制限を克服できるように見えるが、地球には限りがあり、世界経済にも限りがあると言い続けなければならない。
ほとんどの自然には価格がない。だから私たちは自然を過度に使いすぎる。人の活動のために使う自然資源に対する規制やルールをつくるべきだ。例えば、太平洋を横断してモノを運ぶ貿易船のオーナーは、大量の航行で海にダメージを与えているのに、船の所有にかかる費用や、荷積みなどの労賃は払うが、海を使うことにはお金を払っていない。海を使う企業や人に課金する国際的な機関が必要だ。
――「1992年から2014年までに1人あたり人工資本の価値は2倍に、人的資本は約13%増えたが、自然資本は40%近く減少した」というデータをレビューで引用しています。
その推計値は世界経済の姿を表している。私たちは生物圏の質や量が低下するまで収穫したり使ったりして、人工資本や人的資本に変えてきた。同じ期間のGDPを見れば、人工資本や人的資本はわかるが、自然資本に何が起きたかはわからない。生産高が増えればGDPは増える。代わりに生物圏を劣化させているが、記録されない。生物多様性を減少させれば、気候変動と同じように徐々に打撃を与えるだろう。いずれGDPも影響を受けるだろうが、今はまだGDPは増えている。だから危険なのだ。
では、どうすればいいのだろうか?人工資本や人的資本だけでなく、自然資本を合計した「包括的な富」を算出する必要がある。GDPが高い伸びだったとしても、同じ期間に自然資本が減少していれば、包括的な富は減っているかもしれない。持続可能な発展というのは、我々が前の世代から受け継いだ資本と少なくとも同等のものを、次の世代に引き継ぐ、未来に残すということだ。持続可能な発展をめざすのが重要で、GDPではない。
――レビューの中で、「低所得国はコーヒーやパーム油など1次産品の輸出に依存しているため、低所得の輸出国から裕福な輸入国へ、富の隠れた移動がおこなわれている」と指摘しています。自由貿易はそうした格差拡大や環境悪化を引き起こしているということでしょうか。
その通りだ。熱帯雨林は生物多様性の最大の宝庫だが、赤道周辺の熱帯の国は貧困国だ。東南アジアなどで森林が伐採され、富裕国へ輸出される。川の上流の森を減らすことは、下流での洪水や土砂崩れを増やし、土壌劣化によって農家の収穫物を減らす。しかし、そうしたコストは輸出価格に含まれていない。森林伐採や輸出をしている会社は、ダメージを受けている人々に補償金を支払わなくてもいいからだ。包括的な富は貧乏な人から裕福な人に、輸出国から輸入国に移動している。しかし、誰も気づかない。国の統計に記録されないからだ。
世界貿易機関(WTO)が推進している自由貿易によって、問題が起きている。だが、「自由貿易は恩恵がある。データを見てみろ。企業は繁栄し、日本や韓国などは輸出が成長を促している」といった反論があるかもしれない。すでに述べているように、GDPは誤った指標だ。メートル法は何が良いかを測るために使われているだろうか?GDPは成長しているかもしれないが、自然資本の無駄遣いによって得たものだ。WTOは自由貿易の推進ではなく、自然資本の値付けに取り組まなければならない。
――自然開発の結果、病原体が人間社会に広まる危険性が指摘されています。
環境劣化で、より頻繁に病原体が人間の経済活動のなかに出現するようになった。新型コロナウイルスの感染拡大はその一例だ。世界経済の統合や貿易の拡大が進むほど、パンデミックは頻繁になる。自然の利用増加に結びつけられたリスクをモノの価格に含むことができれば、利用は減る。パンデミックは人間活動や経済の影響だ。自然に対する我々の活動の影響は何なのか、自らに問う必要がある。もし自然に相応の価格がついていれば、自然に対する人間活動の影響を知る必要が生じる。影響によって価格が高くなるからだ。
――貧困・開発経済や資源・環境経済の研究に取り組んだのは、インドでの幼少期の経験が影響していますか。
貧困問題に興味を持ったのは、インド出身の経済学者としては自然なことだった。始めてすぐに貧困研究が不完全だということに気づいた。貧しい人が住む地域の生態系のことを考慮に入れていなかったからだ。私にとって貧しい人はインドの村の人だった。そうした人々がどういう生活をしているか、どれほど森林や土地など自然環境に依存しているかを研究した。今回のレビューは40年間の研究の集大成といえる。
――英政府が公表した「気候変動の経済学/スターン・レビュー」はどう思いますか。
非常に重要なレビューだが、一つだけ不満がある。それは彼(世界銀行元チーフエコノミストのニコラス・スターン氏)の問題ではなく、気候変動を研究しているすべての人の問題だ。生態系は相互に連関しており、そのうちの一つに下手に手を加えれば、他にも影響を与えてしまう。気候変動問題だけに集中すると誤った方向に進んでしまう。
例えば、炭素取引市場で相殺されれば他のところで炭素を排出できるカーボンニュートラルは、非常に危険な考え方だ。ブラジルの熱帯雨林の生物と、アフリカの草原の生物はとても異なる特徴をもっているのに、アマゾンで減らした生物と同じ量の生物をサバンナで増やせばよいと考えるのは、ばかばかしい話だ。生態系が完全に変わってしまい、破壊されるだろう。これは極端な例だが、生態系は我々に多くの異なったサービスを提供してくれる。一つがダウンすれば、徐々に他もダウンする。カーボン・フットプリントの代わりに、エコロジカル・フットプリントについて検討すべきだ。
スターン・レビューのように経済成長の伝統的なモデルを気候システムにとりいれた結果、何が起こるか。カーボン・フットプリントをゼロにしようと、化石燃料ではないクリーンエネルギーを開発する必要がある。でも経済成長は決して捨てない。そうすると素晴らしいストーリーができあがる。「クリーンエネルギーに移行するための投資には成長が必要だ。GDPの2~3%をクリーンエネルギーに費やせば問題は解決し、我々は成長できる」と。だが、これは誤った指標を見ているのだ。スターン・レビューは非常に重要だが、大きな誤解を招く。
Partha Dasgupta 1942年、現在のバングラデシュ・ダッカ生まれ、インド育ち。英ケンブリッジ大名誉教授。2015年に旭硝子財団の「ブループラネット賞」を受賞した。