「ダスグプタ・レビューは、コペルニクス的転回ともいえる画期的なものだ」。ダスグプタ氏と30年以上前から親交のある同志社大教授の和田喜彦氏(60)はそう評価する。
主流経済学の枠組みの中で活躍する世界的に著名な経済学者のダスグプタ氏が、「自然は私たち人間の外側にあるのではなく、人間も経済も自然の一部に組み込まれている」「人間の需要は自然の供給能力を超えてはならない」と主張したことが画期的だという。
和田氏は「経済成長には限界があり、野放図な成長は生態学的に無理だと主張する経済学者は、煙たがられてきた。人間の経済成長には限界がなく、イノベーションで解決できると考える経済成長至上主義者とは相いれず、特に北米では大学の経済学部から追い出されるほどだ」と苦笑する。
人間の経済活動による自然・生態系の利用量(需要)が、食料や森林資源など自然・生態系の供給能力を上回っていないかを可視化するのが「エコロジカル・フットプリント」という考え方だ。需要が供給を超えることをオーバーシュートといい、和田氏は「1970年ごろからオーバーシュートで、今は1.7倍程度に達し、2030年には地球が二つ必要になるとされる」と説明する。
また、ダスグプタ・レビューのポイントとして挙げられるのが、「国内総生産(GDP)ではなく『包括的な富』を経済指標にしよう」や、「自然保護のために金融などの制度を改革しよう」と提言していることだ。
GDPには、自然の価値も破壊による損失も評価されていない問題点を指摘。道路や建物などの「人工資本」、教育や健康などの「人的資本」、森林や農地、漁業資源などの「自然資本」を合わせた「包括的な富」を経済発展の尺度とし、政府の制度や企業の会計に、自然や生態系の価値を評価する「自然資本」の考え方をとりいれることを提唱した。
ダスグプタ氏の著書『経済学』などを翻訳した、国立環境研究所主任研究員の山口臨太郎氏(43)は「効率を重視する主流経済学の考え方を自然資本にも広げ、きちんと評価すれば効率だけに基づいたとしても自然資本への投資は増えると指摘していることが新しい」と解説する。
ダスグプタ・レビューは、同じく英政府が06年に公表した「気候変動の経済学/スターン・レビュー」を思い起こさせる。スターン・レビューは二酸化炭素(CO₂)など温室効果ガスの排出削減に早く取り組めば効果が大きく、経済的効果も生むと指摘。地球温暖化対策の国際枠組み「京都議定書」から離脱していた米国もその後の国際交渉に引き入れ、09年の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)や、15年の「パリ協定」につながった。
今年10月に生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)が中国で開かれることも、ダスグプタ・レビューがスターン・レビューに重ね合わせて注目されるゆえんだ。山口氏は「ものづくりから金融へシフトした英国が、金融の力で気候変動対策を促すという動きが進んでいるのと同じように、生物多様性でもスタンダードをつくりたいというねらいも透ける」とみる。和田氏は「スターン・レビューが化石燃料消費など人間の経済活動が大気に与えている影響という大きな全体像の一部を扱うのに対し、ダスグプタ・レビューは大気だけでなく、土壌、海洋、河川、森林、農地などさまざまな生態系と生物多様性への影響と範囲が格段に広い。スターン・レビューより強い影響を及ぼすのではないか」と話す。