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諜報員と監視される政治家、分断の関係を変えた言葉 『偽りの隣人』監督インタビュー

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『偽りの隣人 ある諜報員の告白』から © 2020 LittleBig Pictures All Rights Reserved.

諜報員のデグォンは別の仕事で多額の褒賞金を手にする。仕事ぶりを認められ、上司から鳳凰があしらわれた大統領時計をもらい、「お前は愛国者だ。一緒に青瓦台(大統領府)に行こう」とささやかれる。

韓国で青瓦台は「欲の象徴」だ。私も特派員としてソウルに勤務していた時代、青瓦台勤務を夢見る政治家や公務員、市民運動家、メディア関係者を山ほど見てきた。政府の仕事から退いても、大統領時計を大事にはめている人もいた。ある大統領は現職から退く際、側近たちにアパートを1軒ずつ分け与え、在任中の秘密を守るよう誓わせたという話も聞いた。デグォンもやはり勇躍し、上司に忠誠を誓う。

「青瓦台」の名で知られるソウルの韓国大統領府=東亜日報提供

イ監督は「デグォンは、家族においしい焼き肉を食べさせ、子供におもちゃを買ってやり、自分も出世したいと考える平凡な人物。でも、(監視対象の)ウィシクと会って、変わっていく。その過程を描きたかった。権力やカネとは関係なく、他人に対する温かい心があれば、終生幸せになれると言いたかった」と語る。

デグォンはウィシク親子と銭湯に行く。ウィシクが軟禁されている家に工作をする時間を稼ぐためだ。でも、そこでウィシクの「自分は銭湯が好きだ。裸になれば、人の優劣も、思想の右左も関係ない」という言葉を聞く。イ監督によれば、デグォンは「自分も荷を下ろして、きれいな人間になりたい」と考えるようになっていく。

風呂上がり、韓国では子どもに人気があるバナナ牛乳を3人で飲む。デグォンもウィシクも牛乳を飲むとすぐに下痢をする体質だ。デグォンが「なぜ、飲むのか」と尋ねると、ウィシクは「酪農家が大変だ。私が飲めば、周囲も飲み始める。やがて全国で牛乳を飲む人が増えるだろう」と答える。

イ監督によれば、この発言こそが愛国心の発露だという。「1985年は韓国で愛国心が強く求められていた時代だった。でも、本人の考えとは異なる愛国心を強要された。あの場面で、ウィシクが難しい言葉や英語を使って愛国心を表現しても、誰も何も感じなかっただろう。庶民的、人間的な姿を交え、本当の愛国心とは何かを問いかけたかった」

イ・ファンギョン監督 © 2020 LittleBig Pictures All Rights Reserved.

ウィシクは徐々に、デグォンが自分と家族の様子を監視・盗聴している事実に気づき始める。隣り合った屋上で、耐えきれなくなったデグォンが自分の正体を明かそうとしても、ウィシクは言葉を遮り、「あなたにはあなたの、自分には自分のやるべき仕事がある」と語りかける。イ監督によれば、ウィシクはデグォンも努力している人物だと認め、大きな心を示すことで、デグォンの変化をさらに促しているのだという。

そして、様々な災難がウィシクと家族、知人らを襲う。韓国では実際、故金大中元大統領が自宅軟禁下に置かれ、盗聴などによって監視された。金大中氏は訪問先の日本から拉致され、死刑判決も受けるなど、様々な辛酸をなめた。作品はフィクションだが、韓国の人々にとってはノンフィクションの世界を見ているように感じる展開だ。

『偽りの隣人 ある諜報員の告白』から © 2020 LittleBig Pictures All Rights Reserved.

一方、同じ頃に弾圧され、逮捕・拷問の被害に遭った人々も大勢いる。イ監督は「1985年は、韓国では軍部独裁政権の下、民主化の波がちょうど起き始めた激動の時代だった。ただ、胸が痛くなるエピソードが多い。人々のつらい記憶をよみがえらせたくはなかった」とも語る。

イ監督の思いは、ウィシク役をオ・ダルスに任せたことからもわかる。イ監督は「オの出演作の大部分はコメディーだ。知恵が足りず、バカみたいな役柄も多かった。でも、彼の演技のスペクトラムは非常に広いと感じていた。だから、大統領になる人物を演じてもらった。普通、政治家に面白い人はいないが、コメディーの要素も入れて、庶民的な雰囲気を出してもらった」と語る。デグォンが体を張ってウィシクを守ろうとする手法にも、コミカルな要素が盛り込まれている。

デグォンは、ウィシクの言葉に感動した場所を、自分の次の仕事場にする。大統領になったウィシクがデグォンと再会し、思わず同じセリフを吐く。「食事は済みましたか」

これは、韓国の人々が必ずと言って良いほど使う、あいさつ代わりの言葉だ。イ監督は「一番見てほしい場面。金を持っているか、持っていないか。権力があるか、ないかを超えて、みな一緒に平等に付き合うことこそ、一番の礼儀だと思う」と語る。そして、日本でも韓国でも権力や地位を得ると、態度ががらりと変わる人間があちこちにいる。ウィシクはそうならなかった。「権力を握っても、生き方を変えない」。イ監督はそんなメッセージを映画の最後の場面に込めたという。

2020年に韓国で公開された、この映画の原題は「イウッサチョン(ご近所の人)」。特に親しい隣人という意味で使われる。イ監督は「今はコロナ時代。家族とも隣人とも、すべての人間関係が断絶状態にある。人々は、利己主義に走りがちで、余裕がない。早くこの時代が終わって、映画を楽しむ時が来てほしいと思う」と語る。「日本の人々も、是非この映画を見て、交流の大切さを感じてほしい」とも語った。日韓関係が厳しい時代であればこそ、イ監督が投げかけたメッセージには大切な意味が込められている。